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思い出のコッペパン 前編

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俺は、重い足取りで大地くんの家へと行った。だけれど、なんとか気持ちを切り替えようとする。
大地くんが俺を信頼して、付き添いの依頼をくれたのだ。だったら俺はできることをするだけだ。

大地くんのお母さんが、嬉しそうに俺を出迎えて、早口で何か言っていたけれど、俺の頭には何も入ってこなかった。
俺は足早に大地くんの部屋へと向かった。

「……どうぞ……」
大地くんの声が弱々しい。やっぱり緊張しているのだろう。
「やぁ!こんにちは!」
俺はできるだけ明るい声で言って、ピンクのつなぎになった。
話し合いの付き添い人がこの格好はどうかと思うかもしれないけれど、大地くんの緊張が少しでも減るようにと思ったのだ。
いつもの場所に座った俺を見て、大地くんが少しホッとした表情をした。

「ねぇ、おじさん、話し合いだから、俺もベッドから降りるべきだよね」
「そうだなあ、やっぱり向かい合うのが定番なのかな?」
「じゃあ、おじさんは間で、三角形になるように座ろうよ」
「そうだね。……緊張するかい?」
俺の言葉に、大地くんは頷いた。そしてそのままベッドから降りる。
「……母さんには、部屋に近づくなってメッセージを送ったんだ。口を出されたくなくて……。でも、おじさんになら、口を出されても良いと思ったんだ」
大地くんが床に座りながら、真剣に俺を見た。その表情に答えるように、俺はしっかりと頷いた。

大地くんのスマホが鳴った。
「……母さんだ。あいつが来た」
大地くんが俺を見た。
「……大地くん、君は君で良いんだ」
俺はそう言うのが精一杯だったけれど、大地くんは、少しホッとしたように頷いてくれた。


大地くんの部屋で、俺を間に、大地くんと、大地くんをいじめた主犯格で……今はいじめの対象になっている男の子。安田 翔也くんが座っていた。
とてもいじめの主犯格には見えなかったけれど、今の環境が環境だったからだろう。
二人とも下を向いて黙っていた。
「……おじさ……先生、何か話したいことがあるんだよね……」
大地くんの弱々しい声に、俺は頷いた。
「あぁ。おじさんの昔話だ。少し長くなるけれど、二人とも聞いてくれるかい?」
俺の言葉に二人は下を向いたまま頷いた。
俺は自分の心の引き出しを自分で開けて、深呼吸すると、語り始めた。



あれは、おじさんが中学生の時だった。
おじさんのクラスは比較的おとなしい人が多くて、休み時間もいつもみんな教室で何かしているような子が多かったんだ。おじさんも、机で小説を書いていた。友達がそれを読んでくれて、そこそこ楽しく過ごしていたんだ。

隣のクラスからは、いつも元気な声が響いていた。クラスによってこんなに違うんだなと思っていたんだ。
そんな時だよ。女の子の噂で、隣のクラスのガキ大将とあだ名がつくくらい元気で乱暴な男の子が、女の子をいじめていると噂していたのは。
だけれどその女の子をおじさんは知らなかったし、そもそも女の子の噂だ。その時はふーんくらいにしか思わなかったんだ。

ある日、おじさんが職員室に用事があって、帰りが遅くなってしまった時、暗くなりかけた公園で、隣のクラスの、顔くらい見たことがある気がする女の子が、ノートに何か一生懸命書いていてね……。普段なら気にも止めないのに、おじさん、何を書いているのか気になって、話しかけたんだ。

女の子の名前は、ゆみちゃん。ゆみちゃんは、絵を描くことが好きで、ノートに沢山の絵を描いていた。
何故かおじさんは、そのまま隣に座って、ゆみちゃんと話をして、ノートを見せてもらったりしたんだ。

その日から、放課後はその公園で、ゆみちゃんと話すようになったんだ。ゆみちゃんは、将来デザイナーに、特に服を作りたいと、沢山のデザイン画を見せてくれたんだ。色鉛筆を使ってカラフルなゆみちゃんの世界に、おじさんは釘ずけになってね。おじさんの書いた小説も読んでもらったんだ。そうしたら、ゆみちゃんは小説のキャラクターや風景を絵に描いてくれたんだ。……嬉しかったなぁ。本当にあの時間は楽しかった。

……でもある日、ゆみちゃんはボロボロに破られたノートに、折れた色鉛筆を持っていたんだ。
もちろん驚いて理由を聞いたよ。でもゆみちゃんが言ったのは、鞄を階段から落としてしまったということだけだった。
……そんな嘘、いくらおじさんが鈍くても、気がつくのに。
その日もいつものように楽しく話して、次の日学校に行くと……おじさんとゆみちゃんが付き合っているという噂が立っていたんだ。

幸いおじさんのクラスの子達は、本当なの!?と騒ぐだけで、家も近いし話しているだけだと言ったら、残念そうに話しは終わったよ。
でも、その日のお昼にたまたま教室から出た時に見てしまったんだ。
ガキ大将が、ゆみちゃんの給食を、目の前でひっくり返してゆみちゃんにかけるのを。
俺は思わず、ハンカチを持ってゆみちゃんに駆け寄ったんだ。ガキ大将は言ったよ。彼氏の登場かよ。手が滑っちまってと。そして俺を蹴った。そのまま笑いながらどこかに行った。
ゆみちゃんは小さな声で、ありがとう、でも本当に彼氏だと勘違いされるから、自分には近づかない方が良いって言ったんだ。
あなたもいじめられたら嫌だからって……。
俺には、ガキ大将に何か言う勇気はなかった。だけれど、気がついたら、ゆみちゃんの制服を拭きながら、今日もいつもの公園でね、と言っていたんだ。
その時のゆみちゃんの顔は、忘れられない。何を思っていたのかはわからないけれど。

教室に戻ったおじさんは、やっぱり彼女だったんだとはやしたてられる声を後ろに、慌てて自分の給食のコッペパンを鞄に入れたんだ。おじさんと一番仲が良かった、一番に小説を読んでくれていた友達も、何かを察したように、こっそりと自分のコッペパンを俺の鞄に入れてくれた。

その日の放課後、いつもの公園で、ゆみちゃんは待っていてくれた。おじさんは、黙ってコッペパンを渡したんだ。ゆみちゃんは驚いていたけれど、コッペパンを食べてくれた。二つ目を食べている時に、泣き出した。そしてポツリと言ったんだ。私がここまで頑張れたのは、優矢くん……おじさんのおかげだよって。
おじさん、何も言えなくて。何か言いたかったのに、中学生のおじさんは、何を言って良いのか、分からなかった。そもそもゆみちゃんがずっとガキ大将とクラスの人ににいじめられていたことに気づいていなかったんだ。
あのノートを破ったり、色鉛筆を折っていたのはクラスの人間だった。

ゆみちゃんは、帰り際に俺に笑って言ったんだ。ありがとうって。私、優矢くんが大好きだよって。
おじさんは、俺もゆみちゃんが大好きだよ!と返したんだ。お互いそれが恋愛感情だったのか、今でもわからない。
だけれど、その時のゆみちゃんの笑顔は……すごく嬉しそうだったし、おじさんも嬉しくて笑っていた。
そして、また明日ねと言って別れたんだ。


……その次の日だよ。ゆみちゃんが、夜に自ら命を絶ったと、担任から聞いたのは。
おじさんは理解が追いつかなかった。友達が俺に何か言っていたけれど、何も覚えていない。
そのまま、数日後……わけもわからないまま、おじさんは……学年のみんなは、お葬式に連れていかれた。
数日間、毎日公園に行ったけれど、ゆみちゃんはいなかった。
お葬式で冷たくなったゆみちゃんを見た時に、おじさん、はじめて現実を理解して……必死でゆみちゃん、と名前を叫んだんだ。気がついたら泣きながら、何度も何度も。
おじさんのクラスの女の子の泣き声が聞こえたのだけ覚えているな……。

お葬式が終わって、おじさんは先生と……ゆみちゃんの両親に呼び出された。ぼーっと言われるがままについて行って、話を聞いて、綺麗なノートを見せられた俺は、また泣くしかなかった。
それは、ゆみちゃんの日記だった。いじめられていることの辛さが続いていた日記が、ある時から変わっていた。
……おじさんのこと、おじさんと話したこと、それが楽しくて嬉しいと、毎日記録されていたんだ。そして最後のページには……ウエディングドレスを着た女の人と、タキシードを着た男の人が手を繋いでいる姿がとても鮮明に……色とりどりに描いてあったんだ。
泣いても後悔しても、どうしようもなかった。
なんでもっと早くいじめに気がつかなかったのか、なんで給食を拭く時、あの日、もっと何か言えなかったのか。なんで夢があって、あんなに……キラキラしていたゆみちゃんは自分で死を選んだのか。

それから、いじめの調査があったけれど、その辺はおじさん覚えてないんだ。ただボーッとしていて。
だけれど、隣のクラスでは、ガキ大将が責められ、犯人としていじめの対象になっていたんだ。……ゆみちゃんの日記には、沢山のいじめた人の名前が書いてあったのに。その人たちは、全てをガキ大将に押し付けて……。

しばらくすると、誰もその話をしなくなった。
隣のクラスがどうなったのか、わからない。
……そこからなんだ。おじさんが小説を書くのをやめてしまったのは。
そのまま高校で、みんなバラバラになった。
ゆみちゃんの家族は、引っ越して行った。
……俺に、最後のページのコピーを渡して。

ガキ大将も……この前大学に行ったとは聞いたけれど、誰もどうなったのかわからない。



「これが、おじさんの昔話だよ」
俺が話し終わった時、二人は黙って下を向いて、涙を流していた。
でも、俺は続けた。
「大地くんは、今生きてくれている。でも、自ら命を捨ててしまうくらい、辛かったはずだ。そして……翔也くん。君はあの時のガキ大将と同じだ」
二人は何も言わない。
「でも……でも、二人とも今ここで生きている。だから、話をしよう。話したくない気持ちも、これからのことも」

俺の言葉に、二人とも、俺を見た。

そう、今二人は生きている。
だから、話をしよう。
今までのこと……そして、これからのことを。
許す許さないじゃない。
二人が二人の人生を生きていけるように。
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