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チョコチップは万物に通づる

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いつものように車を走らせ、いつものように公園掃除をする。
だけれど、心では様々な感情がぐるぐるして、なんだかよくわからない。クリームパンだと思って食べたものの中に、あんこが入っていたみたいな……。
いや、あんこが入っていても嬉しいけれど、うーん、どうこの気持ちを表せば良いんだ。

これから鈴ちゃんと一緒にお昼ご飯だ。最近鈴ちゃんは仕事が忙しくて、お昼ご飯を食べたらほんのすこしだけ話してすぐに会社に戻っていた。だけれど今日は、なにやら重要な仕事がひと段落して、ゆっくりお昼休憩がとれそうだというのだ。
この前、鈴ちゃんから電話で突然、【鈴子さん】という呼び方をやめてくれ、恋人同士だし、自分の方が年下なんだから、【鈴子】と呼び捨てで呼んでくれないかと恥ずかしそうに言われた時は固まってしまった。
呼び捨ては恥ずかしいし、向こうだって俺のことをさんづけで呼んでいる。
お互い恥ずかしくなって、声の小さくなっていく話し合いの末、俺は鈴ちゃん、鈴ちゃんは俺のことをゆうさんと呼ぶことが決まったのだ。
呼んだり呼ばれたりするたびにくすぐったくて小麦粉が震えた気持ちになるけれど、心地よくて嬉しい気持ちになった。

スミさんのところの庭仕事も順調だ。前よりは地面がすごく綺麗になってきたし、今日は、前の庭に合わせて置かれていた石を、これからスミさんがしたいという庭のデザインに合わせて、配置を変える予定だ。近々、一緒に園芸用品を買いに行こうと話をした時のスミさんの笑顔が本当に嬉しかったし、今日だって鈴ちゃんのお弁当を食べて、百人力で庭の石を運ぼうと思う。

だけれど……今日はその後、ついに大地くんと、大地くんをいじめていた主犯格であり、現在いじめに遭っている子との三人での話し合いなのだ。
何度も何を話すべきか迷って、開けたくない引き出しを開けて、考え続けた。未だに答えが出ていないものをどう伝えれば良いのか。


不思議だ。自分の心は一つのはずなのに、嬉しい気持ち、楽しい気持ち、苦しい気持ち、悩む気持ちが同居しているのだから。
そんなに一度に同居されたら、さぞかし狭いのだろう。だから、きっとこんなに心がせわしないのだ。
できれば順番に住んでほしいと思いながら、ホースの水を止めて、鈴ちゃんがいるはずのベンチを見た。
鈴ちゃんはいつものベンチから、俺に笑顔で手を振ってくれた。
この瞬間だけは、俺の心が一致団結するのだった。


「お疲れ様です、ゆうさん」
笑顔の鈴ちゃんの元に行くと、鈴ちゃんはもう俺用のお弁当を出して待っていてくれた。
鈴ちゃんは、自分の弁当箱じゃ小さいし、俺には足りない。それに俺が鈴ちゃんが食べないことを心配するからと言って、俺用の弁当箱を一緒に買いに行ってくれたのだ。
鈴ちゃんのお弁当を食べると元気が出るし、俺が食パンばかり食べていることを心配して、お弁当に沢山の野菜やお肉を入れてくれる。
何度も材料費のことを言ったのに、やりたいことを気兼ねなくやらせてくれと笑って言われた。
気兼ねなく、という部分に少し引っかかったけれど、鈴ちゃんがそれが良いなら、それ以上は何も言えず、俺は毎日世界で一番美味しいと思われるお弁当を食べていた。

「いただきます!!」
いつものように俺は手を合わせて大きな声で叫ぶと、弁当をかっこみ始めた。
「ふふっ、よく噛んで食べてくださいね。誰もとりませんから」
鈴ちゃんが嬉しそうな声で言ってくれる。
チラリと見ると、鈴ちゃんも少しずつだけれど、お弁当を食べているようだ。俺は安心して、またお弁当に目を戻した。
全部綺麗に食べ終わって、ふう、と一息つくと、いつものように鈴ちゃんがお茶を渡してくれる。
「ありがとう、鈴ちゃん!やっぱり鈴ちゃんのお弁当は世界一だよ!」
俺が笑顔で言うと、鈴ちゃんは頬を染めて笑顔で頷いてくれる。
最近は褒めても泣くんじゃなくて、笑ってくれるようになったことも、俺にとっては凄く嬉しいことだった。
「あの、ゆうさん、今日は、デザートにチョコチップマフィンを作ってきたんです」
鈴ちゃんはそう言うと、可愛い紙袋から、チョコチップマフィンを取り出して、俺に差し出して来た。
受け取りながら、俺はそのチョコチップマフィンを輝く目で見つめた。
塔か!?これは奇跡の塔か!?
こんがりふんわりこんもり焼きあがったマフィンに、散らばっているチョコチップ。
しかも鈴ちゃんの手に持つ袋には、その奇跡の塔が残り五つも。いつもの鈴ちゃんのことだ。持って帰れるように小分けにしてくれていたんだろう。
「いただきます!」
ガブリとチョコチップマフィンにかぶりつく。ああああ、柔らかな生地に、広がる甘み、そこに訪れるチョコチップの感触とチョコの甘み……。
チョコチップは万物に通づるとはまさにこのことだ……!!

「ゆうさん、お味は……ふふっ、顔を見て安心しました」
「ふぇ?」
最後の一口を食べていた俺は、変な声が出てしまった。
「実はこれ、今回のプロジェクトで完成して発売が決まった、お菓子の時短グッズで作ったものなんです。まだ売り出し前の試作品で作ったのですけれど、ゆうさんのその顔を見て安心しました」
ふむ……鈴ちゃんは、こんな奇跡の塔が簡単に作れる道具を開発しているのか。もはや鈴ちゃんが奇跡だ。
「鈴ちゃんは本当に凄いなあ」
「え?」
「だって、これを使えば、みんな奇跡の塔が……あ、いや、チョコチップマフィンが普通に作るより簡単に作れるんだろう?」
「は、はい……」
「うん、本当に凄いよ!鈴ちゃんの仕事は!」
鈴ちゃんの目が、潤んできた。ああ!?また泣かせてしまうのか!?
だけれど鈴ちゃんは、涙を流さず、目に涙を溜めて、にっこりと笑ってくれた。
うん、嬉し泣きしてくれるのも良いんだけれど、やっぱり鈴ちゃんの笑顔が好きだ。

その時

「あれー、庄野さん、こんなところでお昼を食べていたんですねー」
女の人の声に、俺は驚いて顔を上げた。
そこには、スーツを着た二人の女性と、後ろに、控え目に男性が一人立っていた。
「あ……」
鈴ちゃんも驚いた顔をしている。
「庄野さんの彼氏さんですかー??」
女の人の一人に聞かれた。
「はい!いつもお世話になっております!」
俺は慌てて立ち上がって、三人に頭を下げた。
こういう癖が抜けないのは、前の職場に感謝しないといけないのだろうか……。
「あ……ゆうさん、こちらの方々は今回のプロジェクトでお世話になって……」
鈴ちゃんが、何故か少し下を向いて、途切れ途切れに言った。
なるほど、職場の方か!やっぱり、俺といるのを見られたら恥ずかしいのかなぁ。
「へー、庄野さん、彼氏さんいたんですねー」
「いつもどこでお昼を食べてるのかと思ってましたけど、彼氏さんとだったんですねえ」
女の人二人は、俺のことを舐めるように見ている。うむ、多分このピンクのつなぎが珍しいのだろう。そりゃそうだ。俺だって初めはそうだった。
……そういえば、鈴ちゃんは初めてこのつなぎを見ても、驚いていなかったなあ。あの時は清掃員だと思われてたしな。
鈴ちゃんは、何故か下を向いたままだ。うむ……やっぱりこのピンクのつなぎのせいかな。もし恥ずかしい思いをしたのなら後でちゃんと謝らないとな。鈴ちゃんには理解があっても、初対面の人が驚くのは当たり前だから。
「彼氏さんはー庄野さんのどこが好きなんですかー!?」
クスクスと、女性のうちの一人に聞かれた。
もう一人の男性が、女性二人に何か言おうとして、もう一人の女性に睨まれて黙ったのは気のせいだろうか……?
「鈴ちゃんの好きなところですか?うーん、出会った時から可愛いなぁと思っていましたし、お弁当は宝石箱や伯爵や勇者になれるし、作ってくれるご飯も王族だし、俺の為に焼いてくれたパンも、手作りジャムも、とにかく作るものがどれも最高ですし、いつも遅くまで頑張っているし……俺のことも凄く考えてくれるし、あ、でも笑顔がやっぱり一番好きですね!!」
笑顔で言った俺を、女性二人がポカンと眺めていた。
そして一瞬……真顔になって、チラリと鈴ちゃんを見た気がしたけれど、気のせいだろうか。
鈴ちゃんはというと、顔を上げて、これまた驚いた顔で俺を見つめていた。
何故か、男性は、少し安心した様子だったけれど、ピンクのつなぎの男がちゃんと鈴ちゃんを好きなのか心配だったのだろうか。

何故か会話が止まってしまった。女性二人は顔をくっつけるようにして話しているから、何を話しているか聞こえないし、男性はまた下を向いているし、鈴ちゃんは、まだ驚いた顔で俺を見ている。
ううむ、鈴ちゃんの好きなところはまだまだ沢山ある。言い足りなかったのだろうか……。
その時、奇跡の塔のチョコチップマフィンが、俺の目に映った。
そうだ、さっき鈴ちゃんは、プロジェクトで一緒だったって言っていたよな。
「あの、鈴ちゃんが、プロジェクトで開発した時短グッズで奇跡の塔……じゃなくて、チョコチップマフィンを作ってくれたんですが、凄く美味しかったです!皆さん凄いですね!」
俺の言葉に、また女性二人がポカンとして俺を見た。男性も驚いて顔を上げていた。
だけれど、女性二人はすぐに笑顔になった。
「ええ、私たちが開発したものですからー」
「庄野さんには沢山お手伝いしてもらいましたしい」
「そうそう、本当に助かりましたー」
ふむ、この人達は、プロジェクトの中心にいたのだろうか?
でも、さすが鈴ちゃんだ。そんな人たちからも一目置かれてるのだから。
「じゃあ、私たちはこれでー。ランチの時間が遅くなってしまうんでー」
俺は慌てて三人に頭を下げた。
そうだよな、忙しいのに引き止めちゃ駄目だよな。鈴ちゃんだって久しぶりにゆっくり時間がとれたんだし。
三人に頭を下げて、見送った後、俺はまたベンチに座った。
何も言わず、俺を見ている鈴ちゃん。

「あの……鈴ちゃん……??」
「はっ、はい!」
「俺、何か悪いこと言ったかな……?鈴ちゃんに迷惑をかけないと良いけれど……」
俺の言葉に、鈴ちゃんの目にまた涙が溜まっていく。やっぱり俺は、何か失態を!?
「そんなことないです!ただ、ちょっと驚いて……」
「え?何に?」
「……ゆうさんが、あんなに熱弁してくれるとは思わなくて……」
熱弁?当たり前じゃないか。この奇跡の塔を簡単に作るなんて本当に凄いことなんだから。
「あの……ゆうさん!」
「はい!?」
鈴ちゃんが改まって俺に向き合ったから、思わず背筋が伸びる。
「私も……ゆうさんのこと、大好きですよ」
鈴ちゃんの言葉に、俺は赤くなるしかなかった。突然何を言いだすんだ……!!


こうして俺と鈴ちゃんは残り少ない休憩時間を過ごして、お互い仕事に戻った。
俺の手には、可愛い紙袋に入った奇跡の塔。
大事に大事に今日の夜に食べよう!!


さあ、次はスミさんの家で力仕事だ!!
奇跡の塔を手に入れた俺は、どんな重い石でも運んでみせる!!
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