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大地くんの引きこもる理由

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高級マンションの前に立った俺は、前の職場で着ていたスーツを着て、ネクタイをしめていた。
チャイムを鳴らし、鍵を開けてもらうと、部屋の前に立った。
また、部屋のチャイムを鳴らす前にドアが開いて、大地くんの母親が満面の笑みで立っていた。
家の中に入りながら、俺はこの笑顔の違和感を考えていた。
この違和感、絶対に知っているはずなのに……。

そんな俺に関係なく、いつものように大地くんのお母さんは、一方的に話を進める。
「先生!!分かってくださったのですね!やはり、さすが先生ですわ!あぁ、先生、これ、大地に渡してくれないでしょうか。学校のみんなから定期的に届くんですけれど、私からは受け取ってくれないんです!みんな気にかけてくれているというのに!!部屋の前に置いておいたら無くなっているので捨てているんでしょう。あ、先生。内申点もありますから、そろそろ大地を学校に行くように説得もお願いしますわ!!」
ふむ、学校のみんなからか……。
プリントか何かだろうか。
しかし説得しろと言われても……。
俺は口を開く前に荷物を押し付けられ、大地くんの部屋の前に立っていた。

「……どーぞ」
ノックした俺に、大地くんの声が返ってきた。気のせいだろうか、いつもより暗いというか……怒っている?
俺は扉を開けた。
大地くんはいつもの場所にいたが、俺をチラリと見ると、スマホに目を戻した。
「やぁ……あの、これ学校か……」
「そこに置いておいて」
大地くんの声が、トゲトゲしている。何かあったのだろうか。
お腹が空いているのだろうか?
うーん、できることなら、昨日マーカーでチラシに印をつけた、メロンパンを差し入れしてあげたいが……。
外はカリカリ、中はふんわり、という謳い文句。
ああ、思い出してもよだれが……っとそうじゃなくて。

俺はいつものように、すぐに座らなかった。
黙ってネクタイに手をかける。
「えっ?」
大地くんがチラリとこちらを見て驚いた声を上げたが、まずはこのスーツを脱ぐのが先だ。
「おじさん、何して……」
俺がスーツを脱ぐのを見て、大地くんが息を飲むのが分かった。
スーツの下から現れたのは、ピンクのつなぎ。
うん、やっぱり、このつなぎじゃないとしっくりこない。

ふう、と息を吐いた俺は、スーツを隣に置いて、いつもの場所に座った。
「おじさん、その格好……」
「うん?やっぱりこっちの方がしっくりくるね!おじさん、やっぱりこのピンクのつなぎが気に入ってるようだ!」
久しぶりのスーツだったけれど、何故か全く嬉しくなかった。
前の職場を思い出したし、前の職場に良い思い出はない。良いことと言えば、今より給料が入っていたことだ。
「……母さんに逆らうの?」
「え!?これは内緒だよ!!」
「……」
「いやあ、大地くんがこの制服を気に入ってくれてるって言ってくれて嬉しくてね!でも、お母さんの言い分もわからないことはなかったからね、ほら、家庭教師には見えないだろう?」
「……」
大地くんは唖然として俺を見ている。
「もしバレたら……」
大地くんが、はじめて、少し暗い声で言った。
だけれど俺は、胸を張った。
「大丈夫!!社長は知っているから!!」
大地くんが俺を見つめていた。
いつもはすぐにスマホを見るのに、俺を凝視している。

そうか!俺のスーツ姿が珍しかったのか!!
「ははは、このスーツ、前の仕事で着ていたんだ。うーん、少し痩せたのかなあ、少し緩くなっていたお陰で、下につなぎを着ていても違和感がなかったよ!」
「母さんに逆らうの、怖くないの?」
大地くんが、俺を見て真顔で言った。
「うーん、社長に許可はとっているし、お母さん、誰かと似ていて……」
そこまで言って、俺は思い出した。何故大地くんのお母さんに違和感を感じ続けたのか。背中に嫌な汗が流れる。
だけれど……だからこそ、もう怖くなかった。
「大地くんのお母さん、前の職場の上司にちょっと似ているんだ」
ははは、と笑った俺に、大地くんが、一瞬うつむくのが分かった。少し下唇を噛んでいたようだけれど、やっぱりお腹が空いているんだろう。
うーん、今度あのメロンパンを買ってこようかな……高いから、一つがやっとだけれども、こんな高級マンションに住んでいる子に、俺の普段の食パンを渡すのも気がひけるというか……。

「そ、それでおじさんも、俺に学校に行けって言うの?」
スマホを見始めた大地くんの声が少し裏返っていた気がしたけれど、お腹が空いている時はそういうこともあるのだろう。
「うーん、なんとも言えないなあ。そもそも大地くんが学校に行かないのは、ちゃんと理由があるんだろう?」
大地くんの手から、スマホが落ちた。慌てて拾っているけれど、大丈夫だろうか。お腹が空いて意識が朦朧としているんじゃ……。
「……なんで、そう思うの」
「え?だって、大地くんはおじさんより勉強ができるじゃないか。それは大地くんが努力しているからだろう?それに夢だってある。それなのに、何も考えていないわけないじゃないか」
首を傾げた俺をみると、大地くんは、初めてスマホをベッドの上に置いた。
充電が切れたのかな?

「俺が学校に行かない理由、知りたい?」
大地くんがこっちを見ている。
「うーん、そりゃ、気になるさ。お母さんから、いじめって言葉は出たのを聞いたけれど……。でもおじさんに言いたくないことを無理矢理話させる訳にはいかないだろう?」
「うん、いじめだよ」
大地くんが、さらりと言った。
「おじさんの学生時代もいじめってあった?」
「もちろん。いつの時代もいじめはあるんだなあ。でも、おじさんは幸い学生時代にいじめられたことはなくてね。でも、隣のクラスの女の子が……」
そこまで言って、俺はハッとして口を閉じた。また、引き出しが開いてしまった。今度は絶対に開きたくなかった、引き出しが……。
「ふうん……俺もさ、最初はいじめられてなかったよ」
「そ、そうなのかい?」
俺は慌てて、無理矢理引き出しを閉めようとして、大地くんに集中した。
「うん。後ろの席の、『元』友達がいじめられてたの」
……元?
「それで、ある日、俺はかばったんだよね、そいつのこと。その時は友達だったし、見てるのも胸糞悪かったし」
「なんだって!それはとても勇気がいることじゃないか」
「そう?別に俺は勇気なんていらなかったよ。だって、いじめてた奴らに好かれたくもないし」
「……でも、止めたら君も……」
「うん、案の定、いじめの対象は俺に移ったよ」
「……」
「でもさ、それくらい別に良かったんだ。なんていうかさ、俺、自分がいじめられても、ふーんくらいにしか思わなかったんだ」
「大地くんは芯が強いからかなあ……」
「でも、さすがにさ、かばった奴がいじめに加わった時は、あーあって思ったんだ」
「……」
俺は何も言えない。言えるわけない。
「そしたらさ、俺をいじめることでクラスが団結し始めたんだ。俺、それを黙って見てた。へー、こうやって人は団結するんだって。だからさ、クラスが団結し終えるまで待ったの」
「……え?」
「だってさ、全員が団結する前に俺がいなくなっても、すぐに次のターゲットが生まれるだろ?でも、もし全員が団結した後に俺がいなくなったら?そう考えたんだ」
「……」

大地くんは、ベッドの端から降りると、俺が渡された箱を開けた。
しばらく中を見ていた大地くんを、俺は無言で見つめていた。
必死で心の引き出しを閉めようとしながら。

「ほら、やっぱりね」
大地くんが、何か取り出した。それは色とりどりの画用紙に一人一人がメッセージを書いているようだった。
俺は黙って受け取ると、それを見た。

「早く学校来いよ!」
「みんな待ってるよ!」

そのメッセージに、吐き気を覚えた。引き出しを、引き出しを閉めなくては。
俺は、大地くんにメッセージを渡した。箱に戻す大地くん。

「書かされてるの、丸わかりだよね。それにさ、新しいターゲット、多分俺をいじめてた主犯格だよ」
「えっ!?」
そう言うと、大地くんは少しだけ笑った。初めて見たその笑顔は、とても苦しそうな顔に見えた。
「確かに俺が引きこもって、母さんが学校に乗り込んだけどさ。ここ最近、あいつの字が変わった。前みたいにでかい字じゃなくて、弱々しくて、ずーっと謝罪の言葉がくるんだ。どうしても来て欲しいって。あー、いじめの主犯が今度はターゲットなんだなって思ったよ」
「……そうだね。いじめの対象がいなくなったら、次は犯人探しだからね……」
「……おじさん?」
「い、いや、いつの時代も変わらないなと思って」
「やっぱりそうなんだ」

大地くんがベッドの上に戻った。
「……俺さ、別にいじめられてもなんとも思わないんだよね。それが気にくわないんだろうけど。でも、気にならないならやっぱり行った方が良いのかなー、そしたらさ、主犯のいじめもなくなるだろうし」
「行かなくて良いよ!!」
なんともないように言う大地くんに、俺は思わず大きな声が出た。
「ちょ、おじさん、母さんに……」
「なんとも思っていない、そう思って自分の心を閉じ込めないでくれ!君は、しっかり考える心を持った人間なんだ!なんとも思わないはずがないだろう!!それに、今君が言った理由だと、君は主犯の子を庇っている!!君は優しい心を持っているんだ!!」
俺は続けた。
大地くんに言っている言葉。あの日、俺があの子に言えなかった言葉と重なる。こんな引き出し開きたくなかった。でも開いたものはしょうがない。
もう、後悔したくないんだ。

大地くんが、また下を向いて下唇を噛んだ。
でもすぐに立ち上がると、いつものように問題集に手をつけ始めた。
俺はハッとすると、慌ててスーツを着る。スーツを着ながら、ずっと迷っていたことに決心がついた。

「大地くん、おじさんの友人に、技術職をしている人がいるんだ。今連絡がとれるかわからないけれど……連絡がとれたら、色々聞いてみるよ。何か参考にできることがあるかもしれないだろう?」
問題集を受け取りながら言うと、大地くんが目を丸くした。
「……うん、わかった」
「じゃあ、おじさんは帰るね。……今日も話してくれてありがとう」
そう言って部屋を出ようとすると、後ろから大地くんの小さな声が聞こえた。
「ありがとう……おじさん……」


「先生?少し声が聞こえましたけれど?どういうことでしょうか?学校に行かなくても良いと?」
大地くんの部屋を出ると、大地くんのお母さんが待ち構えていて、尋問された。
「……今は、学校に行くより勉強に集中した方が良いと思っただけです。学校の授業をするより、問題集をやった方が効率が良いです」
よくもまあこんな言葉がペラペラと出るな、と自分で思ったが、前の上司と喋るのと何も変わらない。
大地くんのお母さんがパッと笑顔になる。
「さすが先生ですわ!」
俺は黙って大地くんのお母さんに頭を下げると、大地くんの家を後にした。


会社に戻って報告書を書いていると、少し遠慮がちに社長に声をかけられた。
俺を心配してくれている社長。
俺は手を止めると、また口頭で、今日大地くんの家であったことの全てを報告した。
うん、うんと聞いてくれる社長。
「……苦しそうだね」
社長に言われた。でも、この苦しさは、きっと仕事と関係ない。
開けたくなかった引き出しが、開いてしまっただけだ。また、閉めれば良い。
「……大丈夫、何かあったら私が出向くさ」
社長のいつもの言葉を聞いて、やっと俺は安心した気がした。
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