巡り会い、繋ぐ縁

Emi 松原

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お参り

 マンションの前で立ち止まっていたら不審者になってしまうので、翼は慌ててオートロックのボタンを操作して扉を開くと、エレベーターに乗り込んだ。エレベーターを降りた共用廊下からは、梅山町方向が見える。
「やっぱりおかしい。なんなんだよ、これ……」
 翼は、思わず声に出して、その光景を見つめた。
 梅山町全体を黒いモヤが覆っている。それなのに、空は晴れている。電車は普通に走っているし、道路では車も、バスも何も違和感なく走っている。
 誰も、このモヤに気がついていないのか?
 モヤを見ていると、翼は胸がムカムカしてきて、気持ちが悪くなってきた。これに触れるのは駄目だと、体が叫んでいるように。
 耐えられなくなった翼は、そのまま実家の玄関を開けたのだった。

 部屋の中は、二年前と何も変わっていなかった。翼を見た両親は、一瞬絶句したような顔をしたが、何も言わずに翼を受け入れる。
 翼は母親の作った食事を目の前にすると、涙が出そうになった。こんなにちゃんとした食事は久しぶりだ。いや、それ以上に、二年前は当たり前に食べていたものが、ここにある。この食事は、当たり前なんかじゃなかった。
「ほら、しっかり食べなさい」
 母親はそれだけ、優しく言った。
 美味しい。おいしい。それだけのことが、とても尊いものに感じる。
 目に涙を溜め、何も言わずに口に詰め込んでいく翼に、母親はそっとお茶を出すと、おかずを追加する。
「疲れたでしょう。ゆっくり休むのよ。せっかくの休みなのだから」
 食べ終わった頃を見計らって、笑って言う母親に、翼は心で感謝しながら、自室のベッドへと向かい勢いよく倒れ込む。ベッドはふかふかで、暖かい香りがした。母親が整えてくれていたのだろう。
 暖かい香りを嗅ぎながら、翼はいつの間にか深く眠りについていた。

「ばぁちゃん、ここの神社は他のとこより大きくて立派だねぇ」
「ふふっ、この玉沖神社はね、氏神様の神社なのよ。この土地を守ってくれている神様。翼のことを、産まれた時から守ってくれている神様よ」
 そう言いながら、お参りをしているのは、子供の頃の僕。あぁ、ここは玉沖神社。ばぁちゃんによく連れてこられていた神社。まずここにお参りをして、近くの神社を数カ所回って、家に帰る。そんなルーティンのようなお散歩。すっかり忘れていた。
 そう思った瞬間に、翼はベッドの上で目を覚ました。

 外は明るくなっていた。時間を見ると、朝の五時。まだ起きるのには早い。
 翼はスマートフォンをいじって、ネットサーフィンをする。オカルト好きの交流サイトを見ながら、ふと、梅山町の周りのモヤを思い出す。誰か、アレに気がついていないだろうか。他の場所でも、同じようになっていないだろうか。何か知っている人はいないだろうか。
 ここの交流サイトには、自分が広井市出身だということだけ公開している。情報はそれだけで良いだろう。
《広井市に久しぶりに戻ってきたんだけれど、とある町がおかしく見える。黒いモヤが覆っていて、気分悪い。それなのに、みんな普通に生活しているように見えるんだけど、どう思う? 似た体験した人いる?》
 そう書いてみると、朝の五時だというのに、驚くほど早く色んな人が反応してくれた。
《別の県だけれど、似たような感覚を感じたことがある。でもそこは心霊スポットだったって後から知ったから、役に立たないかも》
《昔住んでた地域の一角がそうなっているのは感じたことがあるけれど、町全体ってやばくない?》
《なんだろう? 広井市、最近大きな事故も災害も起きてないよな》
《黒くて気分が悪くなるって、明らかにやばいものな感じがしますね。とりあえず、身を守ることを最優先とした方が良いのではないでしょうか》
 オカルト好きの交流サイトだけあって、誰も翼のことを馬鹿にしなかった。その上、翼ほどの規模ではなくても、同じ感覚を持ったことのある人がいる。それだけで翼は、安心感を覚えると、夢のことを思い出した。戻ってきて二回も見た、ばぁちゃんの夢。
 身を守った方が良い、その書き込みの言葉を見て、翼は久しぶりに夢で見た神社をまわってみようかと思い立った。いつも自分を守ってくれる、氏神様の玉(たま)沖(おき)神社。それに、昔祖母がいつも言っていた。神様たちは、自分のところに来る人も、心も、生活も、ちゃんと見てくれている。だから真っ直ぐに生きていたら、自分たちには分からないようにでも、必ず手を差し伸べてくれると。
《みんなありがとう。とりあえず、いつも行ってた神社をまわってくる》
 そう翼が書き込んで、皆が挨拶する。そろそろ解散の雰囲気の時、長文の返信があった。
《間に合って良かった!! あの、自分、多分その町を昨日通りました!! 電車で通り過ぎただけなんですけれど……。栄えている方から、田舎側に向かう電車で、ある駅についた瞬間、ズンって空気が重くなって、気分が悪くなったんです。外を見たら、薄暗く感じました。でも晴れていて。なんだか、凄く怖かったです。自分には少し霊感がありますが、こんなこと感じたことありませんでした。電車を降りてもまだそんな感じで、バスに乗ってさらに田舎に向かっている最中、突然ストンと楽になりました。本当にやばかったです。絶対近づかない方が良いです》
 翼はその言葉を見て、固まった。身バレしないような言葉を使っているが、翼にはちゃんと分かる。栄えている方は、広井市でも街の中の方。田舎側は、まさに今翼がいる場所だ。昨日翼が乗って帰ってきた電車が、その方向に走る。間違いない。この人は、梅山町で同じことを感じている。しかも、バスでさらに田舎に向かうまで感じていたということは、範囲は梅山町よりも、もっと田舎側までだということだ。震える指で、なんとかお礼と、自分はその範囲には住んでいないから大丈夫だということを伝える。自分も電車で見たということにした。
《なぁ、ごめん。広井市に住んでたことあって、微妙に場所分かったわ。あのさ、俺が昔、霊感系で苦しんでた時、その辺の地区で介護士やってて。利用者の爺さんに、ふざけた感じで相談したんだよね。そしたら真顔で、【緑(りよく)風(ふう)堂(どう)】を探せ、昔から、そういうことを助けてくれる場所があるって言われたんだわ。でも、そこに行けるには条件があるらしくて、それは爺さんも分からないって。結局俺は見つけられなくて、別の方法で解決できたけれど、思い出したから共有しとく。いきなり思い出したし、情報はあった方が良いだろ》
 続けて書き込まれたその言葉を、翼は忘れないように、慌ててスクリーンショットすると、またお礼を書き込む。そしてそれが良い区切りになり、会話が終わった。

 朝ご飯を食べた翼は、散歩に行くと両親に伝えた。しっかりと寝て、昨日よりスッキリとした顔をしていたせいか、両親はどこか安心した顔で送り出してくれる。
 玉沖神社までは、バスで行く。翼はバス停に歩いて向かうと、路線バスを待つ。バスの時刻表はボロボロになっていて見にくいが、二年前とほとんど時刻は変わっていないようだ。田舎とはいえ十分から十五分に一本は走っている為、待ち時間は長くない。
 すぐにやってきた街側に向かうバスに乗り込むと、翼は座って窓の外を見つめた。どこを見ても山があり、古い町並みや店が並ぶ。かと思えば新しい全国チェーンの飲食店があったり、新しい鉄筋でできた建物や整備された広い道が混ざり合う景色は、どこか不思議な感じがして、それでいて心地が良い。
 そんな景色を見ながら約二十分、バスは目的地へと到着した。ここから玉沖神社まで、歩いて数分だ。
 久しぶりに立った神社の大きな鳥居の前。そこから見える景色は、子供の頃から何も変わっていなかった。子供の頃のように一礼して一歩踏み出すと、境内を歩く。広い敷地には、これまた古い集会所の建物もあるし、今は何もない平地の場所にも、お祭りの日には屋台が出る。手水場に着くと、龍の口から水が出ていた。これも子供の頃から何も変わっていない。子供の頃は、この龍が怖かった。やたらとリアルで、生きているような感覚になってしまうのだ。
 翼は、賽銭箱に五円玉を投げ入れると、ガラガラと鐘をならし、二回礼をし、二回手を打ち、手を合わせたまま頭を下げて目をつぶった。
 いつも祖母に言われていた。神様には、お願いごとをしに来るんじゃないと。自分が今ここにいることに感謝して、これからも見守ってくれるように頼むこと。そして、近況を報告したり、こんな悩みがあったりという、こっそりとした打ち明け話を心でするのだと。
 翼は、この二年間のことを心の中で報告した。一生懸命頑張ったことも、辛かったことも、帰ってきた理由も。これからどうしたら良いかわからないことも。そして……あの黒いモヤのこと。どうか守ってください。最後にそう締めくくると、顔を上げて、もう一度礼をした翼は、次の神社へと向かうことにした。
 家への方向に歩きながら、子供の頃まわっていた神社をまわる。こうして家に帰るのが、翼と祖母の散歩だったのだ。
 家へ着いた翼は、どこか気持ちが楽になっていたのだった。

※※※

「久しぶりに顔を見せたと思ったら、相当やつれておったのう。我が可愛い氏子、心配せぬとも、そなたは自分で道を見つけられる。その心がある限り。今は休息の時。だが、やはりあのことには気がついておったか……」
 明るい色の着物を着た、黒くて長い髪の女が、ふうっとため息をついた。
「かあちゃーん。今月の小遣いくれよ。さっきのヒトさぁ、久しぶりに来て、長々と喋ってたわりに、五円だぜ」
 黄色い着物を着た、十代の青年に見える者が、女に右手の平を伸ばす。
和幸わこう。賽銭は心。そもそも、ヒトの銭を手にするなど……」
「だーって、バイクの部品欲しいし。でもさぁ、あのヒト、やばいことに気づいていたよな。母ちゃん、そのことでまた出るんだろ? 俺、妹か弟が欲しいんだから、夜はあんまり出ないで欲しいんだけど」
 女は大きくため息をつき、青年を見た。
「我が留守の最中、ここを頼むぞ、和幸」
 女はそう言うと、話は終わったとばかりに、立ち上がって去ったのだった。

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