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本当の被害者はどっちだ?
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9月8日
ついに彼を手中におさめることに成功した。
ライブの打ち上げで他の面子に不自然と思われない程度に近付き、彼の好きなクラフトビールに一瞬で溶ける錠剤をひとつ。あえて薬名は記載しないが、決して違法な物ではない。
ほどなくして彼は、指先でそっとなぞりたくなるような鼻梁に皺を作り、眠気を訴えだした。しかし、わたしは場の雰囲気を読んでから錠剤を投下していた。即ち、彼が眠くなる時に、打ち上げの熱気が最高潮になるタイミングを狙った。
わたしは彼より年上だが、一応彼の同期ということで、諸先輩方には、家まで送ってきますとだけ告げてかしましい居酒屋を後にした。
彼はさほど身長もないし、身体も細い。それでいてあれだけパワフルでどこまででも響き渡るような声の持ち主なのだ。わたしは彼を背負い、迷うことなく自分の部屋へと歩を進めた。ビールへの錠剤とは別に、居酒屋を出てから彼には少量の睡眠導入剤を飲ませていたから、わたしが彼を自宅に連れて帰り、今日この日のために準備してきた監禁室に運んで寝かせても覚醒しなかった。
わたしは多幸感でどうにかなってしまいそうだった。
ついに、ついに、手に入れた。
——この世で最も美しい人間を。
深い溜め息をついてから、これからの行動を計画通りに進める。
まずは着替えだ。彼はあまりファッションに頓着しないことで有名で、バンドメイトやファンからも愛の混じった『ダサい』を喰らい続けていた。
わたしのマンションは、最近流行りのミュージシャン専用の、全部屋防音のひとつだ。その中で最も狭く、最も暗い部屋を監禁室にすることは、まるで自分が人間であることを無意識に常に意識しているように自然と決めた。そして本来木目の壁すべてを、ペンキでグレーに塗っていた。そうした方が、彼に似合うと直感していたからだ。今、その選択が大成功だったという結果が、わたしの目の前に広がっている。
嗚呼、駄目だ、ここまではいわば序盤、ないしはオープニングアクト。本番はこれからなのだ、と自らに言い聞かせ、半袖の白いTシャツをナイフで裂いた。もちろん、彼の美しい肌には傷ひとつつけないように。予定ではトップスは着させないつもりだったが、わたしが雑に切り裂いた白い布は、何だかこの空間に似合うような気がしたのでそのままにし、サイズの合っていないデニムに取りかかることにした。
彼はまだ、深く眠っている。ベルトを切断するのは困難と判断し、そっと彼の身体を倒して引き抜いた。それからデニムのボタンを外し、ジッパーも静かに下ろした。彼の白い皮膚には、色素の薄い産毛以外ほとんど見苦しい体毛がない。新しい発見だ。わたしはナイフでだぼだぼのデニムをショートパンツ丈に慎重に慎重に切っていった。その過程にどれだけ時間を要したか、測りはしなかったが私は額に汗を滲ませながらも、無意識に緩んでしまう唇を制御できなかった。
靴は玄関で脱がせていたので、いよいよこれを着用していただこう。
わたしは、彼を手に入れたいと思ったその日から様々な用途の様々なガジェットを揃えていた。
そのすべてが収められた箱の、一番底にあるソックスを取り出す。色は真夏の空のような青、丈はニーハイ、膝上のものだった。
「……んっ」
わたしが彼がもとから穿いていた白の無地の靴下をビニールの手袋をした状態で脱がすと、流石に違和感を覚えたのか、小さく彼は声をあげたが、またすぐに眠りに落ちた。
そしてわたしは、事前に店舗で穿きやすさや伸縮性等をチェックした上でネット通販で購入した青いニーハイソックスを彼に穿かせるために、彼の両手首に柔らかいリストバンドつけ、その上から手錠をかけた。そして彼の脇の下に手に射し込んで、この部屋にある唯一の家具、赤錆まみれのパイプ椅子に彼をなんとか着座させた。
ひとつひとつのタスクが、まるで地球存亡を左右するかのように感じられた。緊張感、わくわくとはしゃぐ幼子のような感情、彼を今支配しているのが他ならぬ私自身であるという事実に恍惚としていたが、それでもわたしは彼にブラックのアイマスクを付け、そっと、爪などで彼の肌に傷がつかないよう細心の注意を払いながら、その細い両足に、青いニーハイソックスを穿かせることに成功した。
悦び、達成感、躁転した多幸感はもはやわたしを人間というカテゴリからはじくかのように監禁室で飽和していた。
一度冷静になる必要があると感じ、彼の足首にリストバンドと手錠を取り付けて部屋の隅のパイプに繋いだ。念のため左手首の手錠はそのままにした。
わたしはキッチンに向かい、換気扇の下で一本だけ煙草を吸ってから、調理を開始した。
こう見えてわたしは自炊が苦ではない。得意と言ってもいいかもしれない。だからよく仲間たちがアルコールと適当な具材だけ買ってきて『なんか作って~』と押しかけてきても、肩をすくめて迎撃できる。
彼には、一度だけ彼が食べてくれて、「美味しい」と、まるでつぼみが開花するような微笑みを浮かべてくれた、パンケーキを振る舞うことにしていた。彼が意識を取り戻し、空腹を訴えたらわたしが焼いたパンケーキ、そして食事の間だけは牛乳の摂取を許可しよう。
わたしは早く彼が目覚めないか、内心で遠足前夜の小学生のように興奮していた。
9月9日
「……ここ、どこ」
彼があくびを噛み殺しながらそう発した時、私は監禁室の中で別途用意した椅子に座って彼の横顔を眺めていた。
『知る必要はない』
わたしはボイスチェンジャーを使用し、機械的で無駄に低音の響く声で言った。
「え、これ、手錠? あ、足も? 何これ」
嗚呼、これは悲劇だ。困惑している彼の瞳が見たいのに、アイマスクを外せばわたしの顔が彼の眼に映る。
「腹減ったんだけど」
彼は今、切り刻まれた白いトップスと、ショートパンツにしか見えないデニム、そしてニーハイソックスを着用した状態で、わたしに声を掛けた。正直、私は動揺を隠せない。ライブ後の打ち上げで気を失って、覚醒したら目隠しに手錠、という状況下で、彼は空腹を訴えているのだ。別に彼が怯える姿などは興味がないのだが、逆にいつも通り振る舞っているのが強がりや虚勢なのかもしれないと考えを改め、
『食事を持ってくる』
と発してから、トレイにパンケーキ二枚とバター、メイプルシロップ、そして牛乳を監禁室に運び込み、それらすべてを床に配膳した。
「えっと、俺見えねぇから分からないんだけど、飯って俺の足下にある?」
『ご名答』
「でも良い匂いする」
彼は椅子から腰をずらして床に座り込み、利き腕の右腕だけで、手探りをしながらも、わたしが焼いたパンケーキを食し始めた。わたしはもう死んでも後悔はないとすら身を焦がしながら、彼が咀嚼する姿を自分の眼に、刻み込むように見詰めていた。
「飲みもんないの? 口ぱっさぱさ」
あと一枚パンケーキを残したまま、彼が脳天気な声で問う。
わたしはペット用の飲み物入れに注いだ牛乳をそっと彼の右手にそえさせた。
流石にこれはやりすぎたか、と予備のグラスを手にした瞬間、彼は、デニムのショートパンツと青いニーハイソックスという格好で、尻を犬のように突き上げ、何の躊躇もなくペロペロと牛乳と舐め始めた。
わたしには何故か、それが極めて扇情的であるにも関わらず、どこか神聖にすら見えたのだ。
「お疲れ様ですー」
「お、お疲れ~」
「なあ、このシールドって——」
「誰だよ俺のエフェクターに落書きした奴!」
わたしはその夜、仕事をしていた。正確には、仕事を終えたばかりで、まだ肩で息をしていたし、汗も噴き出したまま止まらなかった。商売道具である七弦のギターを片付けてから、タオルでガシガシと顔面を拭き、日常に、現実に戻ろうと煙草を一本取りだした。
すると、完全に頭を下げた状態でくわえていた煙草の前に、ジッポーの火が差し出された。眼だけで相手をすると、彼だった。
わたしはぞっとした。
焦りを、この恐怖を悟られないようにと煙草に火を付け、軽く礼を言った。
「たった二泊だったけど」
彼は隣に座るでもなく、かといって遠ざかるわけでもなく、こう言った。
「また、パンケーキ喰わせろよ」
(了)
ついに彼を手中におさめることに成功した。
ライブの打ち上げで他の面子に不自然と思われない程度に近付き、彼の好きなクラフトビールに一瞬で溶ける錠剤をひとつ。あえて薬名は記載しないが、決して違法な物ではない。
ほどなくして彼は、指先でそっとなぞりたくなるような鼻梁に皺を作り、眠気を訴えだした。しかし、わたしは場の雰囲気を読んでから錠剤を投下していた。即ち、彼が眠くなる時に、打ち上げの熱気が最高潮になるタイミングを狙った。
わたしは彼より年上だが、一応彼の同期ということで、諸先輩方には、家まで送ってきますとだけ告げてかしましい居酒屋を後にした。
彼はさほど身長もないし、身体も細い。それでいてあれだけパワフルでどこまででも響き渡るような声の持ち主なのだ。わたしは彼を背負い、迷うことなく自分の部屋へと歩を進めた。ビールへの錠剤とは別に、居酒屋を出てから彼には少量の睡眠導入剤を飲ませていたから、わたしが彼を自宅に連れて帰り、今日この日のために準備してきた監禁室に運んで寝かせても覚醒しなかった。
わたしは多幸感でどうにかなってしまいそうだった。
ついに、ついに、手に入れた。
——この世で最も美しい人間を。
深い溜め息をついてから、これからの行動を計画通りに進める。
まずは着替えだ。彼はあまりファッションに頓着しないことで有名で、バンドメイトやファンからも愛の混じった『ダサい』を喰らい続けていた。
わたしのマンションは、最近流行りのミュージシャン専用の、全部屋防音のひとつだ。その中で最も狭く、最も暗い部屋を監禁室にすることは、まるで自分が人間であることを無意識に常に意識しているように自然と決めた。そして本来木目の壁すべてを、ペンキでグレーに塗っていた。そうした方が、彼に似合うと直感していたからだ。今、その選択が大成功だったという結果が、わたしの目の前に広がっている。
嗚呼、駄目だ、ここまではいわば序盤、ないしはオープニングアクト。本番はこれからなのだ、と自らに言い聞かせ、半袖の白いTシャツをナイフで裂いた。もちろん、彼の美しい肌には傷ひとつつけないように。予定ではトップスは着させないつもりだったが、わたしが雑に切り裂いた白い布は、何だかこの空間に似合うような気がしたのでそのままにし、サイズの合っていないデニムに取りかかることにした。
彼はまだ、深く眠っている。ベルトを切断するのは困難と判断し、そっと彼の身体を倒して引き抜いた。それからデニムのボタンを外し、ジッパーも静かに下ろした。彼の白い皮膚には、色素の薄い産毛以外ほとんど見苦しい体毛がない。新しい発見だ。わたしはナイフでだぼだぼのデニムをショートパンツ丈に慎重に慎重に切っていった。その過程にどれだけ時間を要したか、測りはしなかったが私は額に汗を滲ませながらも、無意識に緩んでしまう唇を制御できなかった。
靴は玄関で脱がせていたので、いよいよこれを着用していただこう。
わたしは、彼を手に入れたいと思ったその日から様々な用途の様々なガジェットを揃えていた。
そのすべてが収められた箱の、一番底にあるソックスを取り出す。色は真夏の空のような青、丈はニーハイ、膝上のものだった。
「……んっ」
わたしが彼がもとから穿いていた白の無地の靴下をビニールの手袋をした状態で脱がすと、流石に違和感を覚えたのか、小さく彼は声をあげたが、またすぐに眠りに落ちた。
そしてわたしは、事前に店舗で穿きやすさや伸縮性等をチェックした上でネット通販で購入した青いニーハイソックスを彼に穿かせるために、彼の両手首に柔らかいリストバンドつけ、その上から手錠をかけた。そして彼の脇の下に手に射し込んで、この部屋にある唯一の家具、赤錆まみれのパイプ椅子に彼をなんとか着座させた。
ひとつひとつのタスクが、まるで地球存亡を左右するかのように感じられた。緊張感、わくわくとはしゃぐ幼子のような感情、彼を今支配しているのが他ならぬ私自身であるという事実に恍惚としていたが、それでもわたしは彼にブラックのアイマスクを付け、そっと、爪などで彼の肌に傷がつかないよう細心の注意を払いながら、その細い両足に、青いニーハイソックスを穿かせることに成功した。
悦び、達成感、躁転した多幸感はもはやわたしを人間というカテゴリからはじくかのように監禁室で飽和していた。
一度冷静になる必要があると感じ、彼の足首にリストバンドと手錠を取り付けて部屋の隅のパイプに繋いだ。念のため左手首の手錠はそのままにした。
わたしはキッチンに向かい、換気扇の下で一本だけ煙草を吸ってから、調理を開始した。
こう見えてわたしは自炊が苦ではない。得意と言ってもいいかもしれない。だからよく仲間たちがアルコールと適当な具材だけ買ってきて『なんか作って~』と押しかけてきても、肩をすくめて迎撃できる。
彼には、一度だけ彼が食べてくれて、「美味しい」と、まるでつぼみが開花するような微笑みを浮かべてくれた、パンケーキを振る舞うことにしていた。彼が意識を取り戻し、空腹を訴えたらわたしが焼いたパンケーキ、そして食事の間だけは牛乳の摂取を許可しよう。
わたしは早く彼が目覚めないか、内心で遠足前夜の小学生のように興奮していた。
9月9日
「……ここ、どこ」
彼があくびを噛み殺しながらそう発した時、私は監禁室の中で別途用意した椅子に座って彼の横顔を眺めていた。
『知る必要はない』
わたしはボイスチェンジャーを使用し、機械的で無駄に低音の響く声で言った。
「え、これ、手錠? あ、足も? 何これ」
嗚呼、これは悲劇だ。困惑している彼の瞳が見たいのに、アイマスクを外せばわたしの顔が彼の眼に映る。
「腹減ったんだけど」
彼は今、切り刻まれた白いトップスと、ショートパンツにしか見えないデニム、そしてニーハイソックスを着用した状態で、わたしに声を掛けた。正直、私は動揺を隠せない。ライブ後の打ち上げで気を失って、覚醒したら目隠しに手錠、という状況下で、彼は空腹を訴えているのだ。別に彼が怯える姿などは興味がないのだが、逆にいつも通り振る舞っているのが強がりや虚勢なのかもしれないと考えを改め、
『食事を持ってくる』
と発してから、トレイにパンケーキ二枚とバター、メイプルシロップ、そして牛乳を監禁室に運び込み、それらすべてを床に配膳した。
「えっと、俺見えねぇから分からないんだけど、飯って俺の足下にある?」
『ご名答』
「でも良い匂いする」
彼は椅子から腰をずらして床に座り込み、利き腕の右腕だけで、手探りをしながらも、わたしが焼いたパンケーキを食し始めた。わたしはもう死んでも後悔はないとすら身を焦がしながら、彼が咀嚼する姿を自分の眼に、刻み込むように見詰めていた。
「飲みもんないの? 口ぱっさぱさ」
あと一枚パンケーキを残したまま、彼が脳天気な声で問う。
わたしはペット用の飲み物入れに注いだ牛乳をそっと彼の右手にそえさせた。
流石にこれはやりすぎたか、と予備のグラスを手にした瞬間、彼は、デニムのショートパンツと青いニーハイソックスという格好で、尻を犬のように突き上げ、何の躊躇もなくペロペロと牛乳と舐め始めた。
わたしには何故か、それが極めて扇情的であるにも関わらず、どこか神聖にすら見えたのだ。
「お疲れ様ですー」
「お、お疲れ~」
「なあ、このシールドって——」
「誰だよ俺のエフェクターに落書きした奴!」
わたしはその夜、仕事をしていた。正確には、仕事を終えたばかりで、まだ肩で息をしていたし、汗も噴き出したまま止まらなかった。商売道具である七弦のギターを片付けてから、タオルでガシガシと顔面を拭き、日常に、現実に戻ろうと煙草を一本取りだした。
すると、完全に頭を下げた状態でくわえていた煙草の前に、ジッポーの火が差し出された。眼だけで相手をすると、彼だった。
わたしはぞっとした。
焦りを、この恐怖を悟られないようにと煙草に火を付け、軽く礼を言った。
「たった二泊だったけど」
彼は隣に座るでもなく、かといって遠ざかるわけでもなく、こう言った。
「また、パンケーキ喰わせろよ」
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