小さく身近にあるもの

エルマ

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寝耳に涙

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 高校の先生が心筋梗塞で亡くなった。彼はほんの50歳だった。
 古典の先生で、1年と2年の担任だった。
 私の古典の成績はと言うと、あまり良い方ではなかったが、落語家のような話し方をする先生の授業は聞いていて面白かった。
 サッカー観戦が好きという共通の趣味があり、たまに地元のサッカーチームの話で盛り上がったりもした。だが卒業して10年会うこともなく、社会人として荒波に揉まれて生きていた私は、先生との思い出はすっかり記憶の片隅にしまわれていた。
 卒業すれば、学校の先生の思い出なんて大半の人はそんな程度のものだと思う。
 先生は、1人息子の話はするものの、奥さんの話は一言も出てこないし、聞いても話を逸らされる。
 そんな事から当時、奥さんとは離婚してるのではという噂が流れていた。だからその知らせを最初に聞いた時、驚きとショックよりも、
 (息子さん1人じゃん。かわいそう。)
 というどこか人ごとのような気持ちの方が正直強かった。
 とは言え、私は2年間お世話になっていたし、遠方にいて参列できない友人も中にはいたので、行ける人だけでも通夜に参列することにした。
 分かってはいたものの 、会場は予想以上に参列者で溢れていた。
もはや人が多すぎて会場に入る事ができなかいようだ。
 別室に式の様子を映しているテレビ画面があるというので、仕方なくそこへ行ったが、そこすら人で溢れていた。
 テレビ画面に向かって御焼香だなんて味気なかったが、この人の多さでは仕方がない。
 改めて周りをみると、卒業して会うことがなかった懐かしい顔がちらほらいた。
 皆それぞれ歳を重ねて、今ここに集まっている。
 制服を来た高校生もいた。おそらく先生が受け持っているクラスの生徒だろう。
 世代は様々だが、みんな目に涙を浮かべている。
 喪主である先生の息子の弔辞が始まった。
 1人残された彼に誰もが同情の色を浮かべ彼の言葉に耳を傾けていた。
 そこで明らかになった。先生は病気で奥さんをなくしていたのだ。
 奥さんを亡くしてからほんの1年しか経っていない時に、私の担任になったのだった。
 若くして奥さんと生き別れ、どんなに辛かっただろう。
 当時、先生の様子からはそんな悲しさは微塵も感じなかった。
 時には母親代わりとなって男一人で息子を育て、温泉旅行にも連れていってくれたのだと言う。
 泣きながら話していてたまに上ずる息子の声が、どことなく忘れかけていた先生の声を思い出させる。私はもうたまらなくなった。
 その時、先生がよく言っていた言葉を思い出した。
「家庭の貧富の格差で子供の教育にも格差が出るなんて馬鹿げている。そのために学校があるんだ。」
 そう言って先生は意気込んでいた。
 私は素晴らしい先生と出逢えたのだと思う。世代を超えてみんな先生を慕い、こうして集まっている。これこそ、先生のこの世で生きた歴史であり証だと思った。
 “人の心”というかけがえのない、どんな高価な物よりも強く、あまりにも偉大なものを先生は遺したんだ。そう思うと涙が溢れてきた。
 こんなに大勢の方が来てくれて父も幸せですと感謝を述べ、息子の弔辞は終わった。
 立派に喪主を務めあげた息子の姿は、あまりにも大人で勇敢だった。
 式が終わっても、会場に溢れていた人達がせめて先生の顔を一目見ようと列ができていた。私もその列に並ぶ。
 近づくにつれて見たくないような複雑な気持ちになったが、先生の顔を見てすぐにその気持ちは吹き飛んだ。
 私の知っている顔より10年の時を刻んだ彼の顔は、命が尽きたというよりは、生き抜いたような安らかな表情を浮かべていた。

先生、お疲れさまでした。
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