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第42話

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「・・・・あれ、あきらくんがいる」

俺が田中とともに家に帰ると、ちょうど皐月がトイレから出てきたところで、俺たちを見て首を傾げた。

「ただいま、皐月」
「よ、天宮、おはよ」
「・・・・稔とあきらくんて、友達だったの?」

まだ寝ぼけているのか、事態を把握できていない皐月はぼんやりと俺たちを見比べていた。

「いや、バーで偶然会って・・・・関と浩斗くん、それから吉田さんもいたんだけどね、みんな朝早いからもう―――」
「―――ずるいっ」
「へ?」

皐月が、ぷーっと頬を膨らませ俺を睨んでいた。

「なんで、俺に内緒でみんなで飲んでんの?」
「え・・・だって皐月、寝てたし」
「起こしてくれればいいじゃん!こそこそ出かけて!また俊哉と一緒だったんだ!」
「いや皐月疲れてたしさ・・・てか、浩斗くんもいたよ?」
「こんな時間まで・・・・」

ジワリと、皐月の目に涙が浮かぶ。
俺は慌てて靴を脱ぎ、皐月の傍に駆け寄った。

「ごめん!ちょっと、2人に話があったからさ・・・ほんとごめんて!泣くなよ」

ぽろぽろと零れる涙を拭くこともせず、皐月は俺に抱きつき、俺の肩に顔を埋めた。
俺はそんな皐月の背中に手を回し優しく擦る。

「皐月、ほら、田中さんいるし・・・・」
「いやぁ・・・・さっき聞いた時には正直驚きましたけど・・・。本当にお二人は恋人同士なんですねえ・・・・」

そう言って、田中は複雑そうな表情を浮かべていた・・・・。




「催眠心理療法士・・・・って、言わなかったっけ?俺」

シンプルなコットンシャツにジーパンという服に着替え、顔を洗いコーヒーを入れた皐月はようやく落ち着いてリビングのソファーに腰を下ろした。

「聞いてないよ。アイドルオタクだってことは浩斗くんに聞いたけど」
「あ、そうか、ストーカーだ」
「こら!」

俺が慌てて皐月の口を塞ぐと、田中はくすくすと笑った。

「いやぁ、そういう疑いを掛けられたこともあったなあ。僕としてはちょっと危ないファンがいたからそいつから彼女を守ろうとしたつもりだったんだけどね。まぁ、オタクなのは事実だから疑われても仕方ないか」
「・・・・あきらくん、優し過ぎるから。ちゃんとそういうことは強く言わないと」
「いいんだ。神経質になってた彼女とそのマネージャーを余計に不安にさせたことは本当だからね。悪いことしたなって思ったから。でもそのあと、そのファンも他のアイドルに危険な行為をしようとしたとかでライブハウスを出入り禁止になったって聞いて、事態は収まったみたいだからよかったよ」

そう言って田中は人の良さそうな顔で照れくさそうに笑った。

「で、本題なんだけど。天宮、今の気分はどう?」
「今・・・・は、まだ眠いかな・・・・。でも最近、ずっとそんな感じ。でも寝ようとしても寝られないんだ。目を瞑っても周りが見えてるみたいな、変な感覚で・・・・。起きてる時でも急に意識が遠くなって、目の前が真っ暗になるような感覚になることがある」
「・・・・清水先生のこと・・・思い出すことはある?」

その名前に、皐月の瞳が微妙に揺れた。

田中は、そんな皐月の瞳をじっと見つめていた。

「・・・・声が・・・・聞こえるんだ・・・・」
「先生の?」
「うん・・・・。『きみはぼくのものだよ』って・・・・否定しても、何度『違う』って言っても・・・・何度も否定してたら・・・・先生が・・・・」
「先生が・・・・?」

そこで、皐月が唇を噛んだ。
ぐっと拳を握りしめ、何か辛いことを耐えるように小刻みに震えだした。
その顔色は徐々に青白くなり―――

「皐月?大丈夫か?」

俺はたまらずその肩を抱いた。

「・・・樫本さん」

田中の声に、俺はそちらを見た。

田中が、その丸いメガネの奥から優しい、でも真剣な目で俺を見ていた。

「すいません、ちょっと天宮と2人で話をさせてもらってもいいですか?できれば、天宮の寝室を使わせてもらいたいんだけど」
「寝室を・・・・?」
「ええ。大丈夫、そんなに長くはかかりません。できるだけ天宮がリラックスできる場所がいいので」

俺は皐月の方を見た。

さらに色を失くした皐月の顔色は真っ青で、噛みしめた唇は紫に変わっていた。

「―――わかりました。皐月・・・・立てる?」

皐月が、よろよろと立ち上がる。

そして俺の手を離れ、田中に支えられるようにして寝室へと消えて行ったのだった。




それからどのくらいの時間が経ったのだろう。

俺は今日非番なので何も急ぐ必要はなかった。
せっかく専門家が来て皐月のためにこうして時間を使ってくれてるんだ。
吉田の話では、田中の診療所の評判はとてもいいらしく、予約をしてもすぐには診てもらえないこともあるくらいらしいのだ。
そんな人が、昔の友達だからと家まで来てくれているのだから、感謝しなくちゃいけない。
いや、感謝はしてる。
感謝はしてるんだ。

じゃあ何が気に入らない?
なんで俺はこんなにイライラしてる?

俺は落ち着きなくソファーから立ち上がったり座ったりしながら、2人のいる寝室の様子をちらちらと伺っていた。

中からは時折2人の話し声や物音が聞こえるけれど、その内容まではわからなかった。
それが、不安なのだ。
田中が皐月の友達だってことはわかってるけど・・・・。

俺と皐月の2人の寝室に、皐月が他の男といるということが、気に入らないのだ。
関が来る時だって、あの部屋には滅多に入れることはない。
それは皐月も嫌がるし、俺も・・・・
それなのに、そこに皐月が俺以外の男と2人きりでいるという事実が、どうしても俺を落ち着かなくさせた。

何時間も経っているような気がしていた。
だけど実際は、まだ1時間しか経っていなくて。

1時間半程経ったころ、田中が寝室から出てきた。

「お待たせしました。ちょっと時間かかっちゃいましたね、すいません」
「あ、いえ・・・・あの、皐月は・・・・」
「今、寝てます。たぶん今度はちゃんとゆっくり寝られると思いますよ」
「じゃあ・・・・」
「ええ。本当は何度かに分けて少しずつ解いていこうと思ってたんですけど・・・・。天宮が思ったよりも精神的に追い込まれてたので、ちょっと早急に解く方法にしてみました。なので、今日はずっと寝てるかもしれませんけど」

そう言って、リビングのソファーに体を沈める田中も、かなり疲れているように見えた。
俺はアイスコーヒーを入れると、テーブルに置いた。

「あ、すいません」
「それで・・・もう、大丈夫ってことですか?」
「はい。まぁ、僕の力ではない気もしますけど」
「というと・・・・」

俺がそう言うと、田中は楽しそうに笑った。

「天宮自身が、早く催眠術を解きたい。早く先生のことを忘れたいと思っていたからこそ、できたことです。それは天宮の、あなたに対する気持ちがそうさせたんでしょうね」
「え・・・・」
「真剣な話・・・あれほどの強い念を込めた催眠術を、素人にかけられたということが驚きなんです」

そう言って、田中は真剣な表情で眉間にしわを寄せた。

「それほど、先生の気持ちも強かったんでしょうね。始めは、今野のことを忘れさせようと・・・それがいつしか、天宮の気持ちを自分に向けさせることに目的が変わった。・・・天宮は言ってました。先生の声を拒否しようとすると、今野の最後の姿が目の前に浮かぶと」
「今野の?」
「ええ。血だらけの今野が、自分を恨みがましそうに見ていると言うんです。その姿に天宮が動けずにいると、今野が自分に襲いかかって来て・・・・それを払いのけようとすると、今度は先生が天宮に襲いかかって来て、首を絞めるんだと・・・・」

俺は、ぐっと拳を握りしめた。

「だけど、そんな恐怖さえも、天宮は払いのけようと勇気を奮い立たせていました。それは・・・・あなたに対する愛情が、そうさせたんだと思います。これからもずっとあなたと生きていくために・・・・どうしても、その恐怖に打ち勝たなきゃいけなかったんだ」

俺は、皐月が眠る寝室へと視線を向けた。

俺と、生きていくために―――

過去に負った皐月の傷は、催眠術が解けたからと言って消えるものじゃない。

その心の傷は、俺が癒してやらなくちゃ・・・・

「―――ありがとうございます。あなたのおかげで、皐月を縛る鎖を解くことができました」

俺の言葉に、田中はにっこりと微笑んだ。

「いえいえ、お役にたてて良かったですよ。なんせ、天宮は僕の初恋の相手ですからね」
「は・・・・初恋?」
「ええ。中学の入学式で、天宮を見た時・・・・僕たちと同じ学ランを着ていたのに、僕には天宮が女の子にしか見えなくて・・・いわゆる一目惚れでした」

そう言って田中はその頬を染めた。
まるで少年のように・・・・

「可愛くて、優しくて、天宮の近くにいるといい匂いがして・・・・男を好きになるなんて自分でも驚いたけど・・・・でも、本当に好きだったんですよ。だから、先生の気持ちはよくわかるんです。天宮を自分のものにしたかったっていう気持ちは・・・・」
「あの・・・・今は・・・・」
「ふふ、心配ですか?」
「いや、その―――」
「安心してください。天宮のことは今ではいい思い出です。僕には、あの頃告白する勇気もなかった。樫本さんが羨ましいですよ」

田中は穏やかに、そして清々しい表情で笑った。

「天宮の人生に少しでも関われたことが、僕には誇りです。この先どんな可愛いアイドルを好きになっても、きっとあれほど夢中になれたのは天宮が最初で最後かもしれません。まぁ、これから先そんな出会いがあることを期待してますけどね」
「はぁ・・・・」
「だからこそ、天宮には幸せになって欲しいんです。両親のことや、学校のこと、施設のこと、親戚のこと・・・彼は辛い経験をし過ぎてます。そんな天宮が幸せを感じることができるのが、あなたの―――樫本さんの傍にいる時だと思います。どうか、天宮を幸せにしてあげてください。」

田中の言葉に、俺は深く頷いた。

「約束します。皐月は、僕が必ず幸せにします」

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