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1章 絶望の始まり

第二話

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〇箱庭階級第72位:アンドロマリウスの箱庭→フィルスト地方→西の草原

 俺たちはコマンドを睨みながら操作し、ログアウト表示を必死に探した。だが、灰色になっているその一か所以外にログアウトボタンは見つからない。白い文字が灰色で表示されている。これが何を意味するかはゲーマーなら誰しもが察することができるだろう。「使用不可」という意味を持つことを。

「バグですね」
「たまにあるからね」
「バグにしても致命的すぎではないか?」

 MMOの初日なのだ。バグが存在すること自体は普通だろう。もしくは大量のトラフィック制御により、ログアウトできるのは順次、というパターンもあり得る。そんな風に楽観的に考えて居た。
だが、ルシアは深刻な顔をして、コマンドの緊急タブからGMコールのボタンを押した。

「一応GMは呼んだ。すぐには繋がらないだろうから、しばらく待つこととしよう。いくらなんでもログアウトができないというのはおかしい」

 ログイン前、マニュアルは概ね目を通していたが、ログアウトボタンを押す以外にゲームから離脱する方法は書かれていなかった。また、この世界は簡単に言ってしまえばオンラインの夢の世界なので、こちらでいくら体を動かそうとも、現実の自分が強制ログアウトのような行為を行うことはできない。

 そう考えると嫌な予感がする。確かにルシアの言う通りかもしれない。いくらバグでもログアウトできないというのは異常すぎる。そもそもそのバグが発生してしまった段階で全てのプレイヤーをいったんログアウトさせるべきじゃないのか。そうでもしないとプレイヤーたちは混乱を生むことになる。今ルシアがGMに通報したのだ、少なくとも運営が気づいていない訳はない。

 それに例えば夜勤の人間がいたらどうするのだろうか。ログアウトできない以上出勤することはできない。そうなれば金銭的、社会的な損失もある。「ゲームをしていたために遅れました」なんて言ったらそれこそ信用は地の底だ。

「……大丈夫なのか? いや、俺らは別にいいけど」

 草原を吹く風が急に寒く感じる。

「待つことしかできんな。下手にいろいろしても無駄だろう。いったんフィルストに戻ろうか」
「そ、そうですね」

 草原を歩きながら上を見上げると、遠くの空にはいくつかの他の箱庭が見えた。赤い炎を纏った箱庭、緑に覆われた箱庭、真っ黒い箱庭。当分先の話になるだろうが、次の箱庭はどこなのだろうか。
 その神秘的な光景に、ログアウトできないことも一瞬忘れて、そんなことを考えながらフィルストに向かっていた。

 フォン。

 通知音だった。運営からの連絡が来たようだ。GMコールをした姉だけでなく、俺たちの元にもその通知は届いていた。そのメッセージを読むべく、運営からの連絡をコマンドからすぐに選択する。その操作には少し焦燥が混じっていた。
 しかし、そこにメッセージは書かれておらず、代わりに視界が眩く白い光で覆われた。突然のことに一瞬目を瞑る。
 次に目を開けた時、そこは草原などではなく、ただただ暗く広い部屋にいた。周囲が錆びた鉄格子に囲まれており、刑務所を想起させる。頭上には先ほどの夕焼けなどなく、ただただ無機質な石の天井が見えた。
また、周囲には同じ状況だろうと予想される、多くの人々がひしめき合っていた。

「……テレポートか?」

 ルシアとイチちゃんにも同じことが起きたようで、二人は隣に立っていた。イチちゃんは何が何だか分からないといった様子で周囲をきょろきょろ眺めており、ルシアは状況を確認するべくコマンドを開き、運営からの連絡を待っていた。

「運営側の強制テレポート。それもなんの警告も無しに。……何か変じゃないか?」
「うむ。テレポートするにしても、いったんメッセージを読んだ後でもいいはずだ」
「よっぽどの緊急事態だからじゃないですかね?」

 俺たちがこうして話し合っているように、周囲の人間も突然の事態にざわめき始め、それはだんだんとなりを強めて行った。
 その内容は「どうなってるんだ」「早くログアウトさせろ」「ここはどこなんだ」「運営遅いぞ」などと運営を批判する声が殆どだ。

「な、なんだ……あれ」

 誰かが部屋の奥の方を指さした。そちらの方に目を細めると、教会にあるような祭壇が見えた。すると直後、その祭壇はスポットライトが当たったかのように明るくなった。だが、周囲を見回しても光源は見当たらない。
 誰もがそこに目を奪われ、そして事態の把握が出来ず、ただ息を飲んでいた。そこへ何者かが登壇する。白と黒の巨斧を2つ背負った、身長10mほどのライオンの顔をした人型だった。
 しかし、その人型の何者かは巨大な斧に相反してマスコットキャラクターのようなかわいらしい見た目をしている。くま〇んとかふなっ〇ーとか言ったような所謂ゆるキャラのような風貌。景色とのギャップ、解離。誰も口を開かない。

 不意にその人型が動いた。両手を左右に広げ、空を仰いでいるかのようなポーズをとる。そして、口を開いた。

「やあ。ようこそ、不運な人たち☆」

 あまりにも間抜けた声だった。あまりにも軽快。あまりにも礼を欠く。ログアウト不可となったプレイヤーたちに向ける声ではなかった。
 そして言い放たれた言葉の意味が掴めなかった。「不運な人」。今あいつが言った言葉だ。疑問に眉を顰めながら顔を見合わせる俺たち。そこに言葉が続く。

「ボクはマルバス! 箱庭階級第5位を守護する悪魔だよ☆ よろしくネ~」

 階級5位の箱庭のボス……? そいつがなんで階級72位のこの場所に? そもそもそれがログアウトできないことと何の関係が? 続く疑問。疑問に次ぐ疑問。脳内を“?”が支配する。思考を止めずに考える。考える。
 しかし、その考えるという行為が次の言葉で停止されることとなった。

「えっと、お前ら全員さ、ログアウトできないでしょ? 残念だネ~、可哀そうだネ~。でもねでもね、それ不具合じゃないの。バグでもないの。仕様なんだよね~☆」

 その内容は、その口調も相まって質の悪い冗談を言っているようにしか聞こえなかった。
……は? 仕様? 何が? ログアウトできない? のがバグではない? 何を言っている? 一体何が起きている?

「あ~、お前らは今後このゲームの箱庭を全てクリアしないとログアウトできないっつーか現実に帰れないっつーか、そんな感じだから、頑張ってね~」

 意味が理解できなかった。いや、言葉としての国語的な意味合いは脳に入ってくる。その言葉そのものの理解はできる。しかし発生している事象、今現在やつが言い放った言葉の意味が処理できなかった。疑問。疑問。
 疑問疑問疑問疑問疑問疑問。次々と止めどなく湧く疑問の渦。

「え~、あとアレね。外側の人? なんていうか、現実世界の人? にあのーあれだよなんだっけ、メモリー・ブレインギア? が外された場合は」

 須臾。短い間。息を飲んだ。口が乾く。嫌な静寂が場を染める。そんな中、やつの口からゆっくりと言葉が発せられた。

「電子配列処理による記憶の改ざんとかいうやつでお前ら全員植物状態になっちゃうから」

 停止する思考。口をぽかんと開いた俺たちが顔を見合わせる。まるであいつが言ったことが自分の聞き間違いではないだろうかという確認するかのように。
 だが、聞き間違いでなければ、あいつは確かに言った。外部の人間によってギアが外された場合、俺たちは植物状態にされる。

「た、ただのゲーム機にそんなことできるわけないだろ」

 誰かが言った。それを皮切りに周囲も怒号を発する。そんなことあるわけない、できるはずがないと言う声。しかしその声色には怯えも含まれていた。

「あーうるっさいなぁ。じゃあ一回証拠見せるから、黙れ黙れ。例えば~、うーん、どうしよっかなぁ。あ、昨日の晩御飯忘れてもらおうかな。分かりやすいし。運営さんよろ~」

 マルバスがそう言った、その瞬間。ぐらり。視界が歪んだ。眩暈だ。転びそうになるも一瞬の出来事で実際に転ぶことはなかった。周囲の人間にも同じことが起きたようで、尻餅をついてしまった人間もいた。だが、妙なことに気が付いた。気が付いてしまった。

「どう? 昨日の晩御飯思い出せる人1人でもいる? 正確には昨日の夜何をしてたか思い出せる人いる? いたら手ぇ挙げて、はぁ~いってね☆」

 ……誰も、答えなかった。誰ひとりとして声を上げない。何故か。本当にその通りなのだ。今、昨日の夜に何があったかを思い出すことが出来ない。いつ何を食べたのか、いつ風呂に入ったのか、いつ寝たのか。そんな日常の記憶に真っ黒い穴が開いたかのように何も思い出すことが出来ないのだ。体が震えた。鳥肌が立った。本能で理解してしまった。

「あーそんな感じ、あ~いい顔するねぇ。絶望みたいな顔。いやぁいいよ。大好物だよ。そういう感じのやつだよ。今は昨日の記憶だけにしたけど、これを今までの人生全てにしたらどうなっちゃうか~、わかるよねん?」

 放心。呆然。長いのか短いのかもわからない沈黙が続いた。
 不意。悲鳴が上がった。それに連鎖するように叫び声。怒号。悲鳴。怒声。悲鳴。泣き声。悲鳴。笑い声。悲鳴。沈黙は絶望の喧騒へと姿を変えた。
 俺はと言えば、未だに脳が理解を拒否している。分かっているはずなのにそれを受け入れようとしない。
 振り返る。イチちゃんは放心状態。それに対しルシアはいたって冷静に見えた。

「ルシア、これって、なぁ、なんで冷静でいられるんだよ。分かってるのか?!」
「うむ。落ち着いて欲しい。落ち着ける状況ではないのは理解している。私も実際落ち着いたフリをしているだけだ。だが、混乱しても何にもならない。今はやつの言葉を最後まで聞こうではないか」

 ……少し八つ当たりをしてしまった。薄い後悔の念が浮かぶ。だがそれよりもルシアの言う通り、現実を見るのが先だ。

「えーっと、そのなんだっけ、ギア自体はヤバいバッテリーついてるから1年は持つんだけど、無理やり外したりとか、ネットワーク切断したりだとかしたら即座にサヨナラだから。でも、安心してね。今この場で話していることは同じ内容が今現実のニュースで流れてるはずだから。あ、でもね、残念なことに……もう警告を無視してギアを外されちゃった人がいるんだよね……しょんぼり。887人くらい……8の末広がりニアピン……」

 ……既に1000人近くが、植物状態になった、ということ……なのか……?

「あ、でも今生きてる人は心配しなくていいよ。今ニュースとかの必死の呼びかけでお前らの肉体はビョーインに搬送されてるはずだから。ま、安心して攻略しなさいな。全部攻略したら解放されるからさ。その頭の上にあるHPバーが0にならないようにね。こーうんを祈っておくよ、じゃ」

 じゃ、じゃって……。

「おい待てよ!」

 気づいたら叫んでいた。無意識だった。周囲の人間も同様の声をあげる。しかし、マルバスと名乗った悪魔は戻ってくることはなかった。
 嘆息し、頭上の緑色のゲージに目をやる。HP。魂。これが0になった瞬間、全ての記憶が消され、植物状態となる。嫌味な偶然に、“植物“と”緑色“のHPバーが符号している気分さえする。
 やつは言った。「全部攻略したら解放されるからさ」。その暢気に、どうでもいいかのように放った言葉が脳を巡っていた。

 既に平静を保っていられる人間はほぼいなかった。未だに理解を拒否している者。膝から崩れ落ち、地面にうずくまって泣いている者。呆然自失で宙を見上げる者。何かぶつぶつ言いながら地面を見つめている者。焦点の定まらない目で乾いた笑いをしている者。
 絶望の音が、失意の空気が、その場に満ち溢れていた。

 フォン。

 そんな絶望の空間に似つかわしくない軽快な通知音が鳴った。通知を急いで確認する。

『運営より:事態は説明通りです。またこれより一切の運営への連絡は受け付けられません。それでは、ゲームの攻略を開始にあたって、最初に“ふるい“をかけさせていただくこととします。現在この場にいるプレイヤー23788人を箱庭階級第72位から第68位のいずれかにランダム転送いたします。どの階級をクリアした場合でも、次の階級は第67位となります。また、この第72位から第68位に難易度の差はほぼないため、攻略に大きな差は出ません。このメッセージが読み終わると即座に転送が開始されます。また、このメッセ―ジは転送と同時に自動削除されます。それでは転送を開始します』

 読み終わり、素早く顔を上げた。

「姉さん、二葉ちゃん!」

 2人の名前を叫ぶ。ゲーム内だということも忘れて、日常で呼び慣れた方を瞬時に選択してしまった。だが、2人の返事が返ってくる前に、即座に転送が開始される。
 視界が眩く光り、一瞬の瞬きの直後、立っていたのは鉄と石の建物、鍜治場が周囲にいくつか見える場所だった。
 マップ名、場所が書かれているであろう視界の右上に目を移す。
 そこは、箱庭階級第69位。フルカスの箱庭の街エリア「リヴァストの街」だった。
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