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第三章 血
第12話
しおりを挟む呼ばれる声に導かれて左手に行くと庭だった。
庭はそんなに広くは無いが、白くて綺麗な玉石が敷き詰められていて、ところどころに抱えられない程の大きさのごつごつした石が座っている。何だか近寄ることの出来ない、不思議な世界観がある庭だ。
「こっちだよ。そこで靴を脱いで上がりなさい。」
このつるつるの人がチウンさんだろう。チウンさんは大きな袖の変わった服装をしていて、若そうな見た目なのに頭はつるっとしている。目が細くて、開いているのか閉じているのかわからないが、端正な顔立ちをしている。座る姿勢も良い。
チウンさんに言われた通り、庭から靴を脱いで板張りの床に上がる。よく分からないけど、神妙にならざるを得ない雰囲気なので、俺達はだれも声を出さない。
「こっちこっち。さ、部屋に入って。」
チウンさんのいる部屋には緑色の、草を編んだような床だ。莚みたい。綺麗な刺繍を施された布が線となって縦横に貼ってあるのは、何か意味があるのか。
「えーっと、5人かな?シンオズ、そこの角に積んであるザブトンを配ってくれ。そして皆、それをクッションみたいにして尻に敷いて座ってくれ。」
「ザブトン…ってこれですか?ってか俺の名前…。」
「そう、それ。とりあえず座って。リョクチャを煮てある。最初は渋くて上唇がくっ付いたかと思ったけど、正しいやり方を聞いたし、慣れたからもう大丈夫。ちょっと変わったお茶だが美味い。まぁ飲んでくれ。」
「頂きます…お、ほんとだ。美味しいです。」
「気に入って貰えて良かった。庭はどうだ?美しいだろう?」
「はい。でもなんだか入っちゃいけないみたいな雰囲気がありますね。」
「これはここから見て楽しむものだよ。流行りだからやってみたが、実に良い。落ち着くし、心が洗われるようだ。」
「あの、流行りって?フリジールやロクラーンとは全然違いますけど。」
「魔族の中での流行りってことだよ。何年か何十年か何百年か特に決まりは無いが、偶に流行を決める会議を開くんだ。飽きちゃうから。テンセイさんって人が参加してくれて、その意見が面白そうだってなってね。こういうスタイルなんだ。私のこの髪型も、その中のひとつだ。」
「髪型って、髪無いじゃないの!あはは…。」
マキちゃんのことはもう知らない。
「それもそうか。こりゃ一本取られましたな。あはは今ハゲって言ったか?」
「言ってません。」俺。
「言ってません。」ミコ。
「言ってません。」シン。
「言ってません。」リズィちゃん。
「つるつるに剃ってハゲ誤魔化すおじさんがうちの店にも来るわね。」
マキちゃん…。
「なるほど。そういう手もあるのか。これは勉強になった。」
…あれ?別に普通だ。こんなことじゃ怒らないのかな?それなら大丈夫か。
「あの、僕達、っていうか僕なんですけど、記憶が無くなっちゃう呪いに関して、リリーディアさんって人から聞いて来たんですけど…。」
「リリーディアさんか。」
「世界中全員の記録をしているとか?」
「そうだな。記録している。」
「ホントに出来るの?そんなこと。」
「…マキオズ。疑うのも無理は無い。では挨拶替わりに…そうだな。ミコーディアミック。」
「はい。」
ミコが返事をすると、チウンさんは袖の中から一冊の本を取り出して開いた。その前に、言ってないのに名前が解るのが既に凄いんだけど。
「もし私が今、君の昨晩の行動について話す事が出来たら、信じて貰えるかね?」
「え?それは信じますけど、ちょっと恥ずかしいような…。」
「ん?ミコは昨日部屋に入ってから恥ずかしいことしてたの?」
「ち、ちがいます!良いわ、チウンさん。話すなら、どうぞ。」
「ふむ。ではご清聴を。」
ーー疲れて部屋に戻った彼女は入るなりベッドに横たわり、軽く溜め息をついた。そして天井を眺めていたが、もう一度溜め息をつくと左手を軽く胸に当てた……。
「どうだね?ミコーディアミック。何か間違っているかね?」
「えっ…と、私は昨日、部屋に入ってからは髪を梳かしたり、日記を書いたりしてたんですけど…。」
「なんだと?違うと言うのか?」
なんだと?違うのか?部屋に戻ってこっそり恥ずかしいことをしてたなんて聞いたら俺はもう今度から寝られないのに!
「ええ、その、違いますけど…。」
「ふむ、そんな筈は無いが…もうちょっと読んでみよう。」
ーー「駄目なのに」そう呟くと彼女は左手で胸を触りながら右手の人差し指を口に含み、唾液でしとどに濡れるそれをおもむろに……。
「すみませんでしたぁっ!」
マキちゃんが叫んだ。そっちだったか。
「うん?どうした?」
「すみませんでしたぁっ!」
「今はミコーディアミックの話をしてるんだが?」
「それ、私なんです!すみませんでした!もう勘弁して下さいぃ!」
「姉ちゃんのそんなの聞きたくなかったわ…。」
マキちゃんと、ついでにシンまでひどいことになった。リリーディアさんの言ってたのはこういうことだったのか…。
「私はハゲだろうか?」
「いえ、今流行りの髪型にしてるだけですよね?お似合いです!」
「そうか、流石に少し照れるな…ただ、私が嘘を吐いてないと本当に信じて貰えたのかは分からない…ミコーディアミック。」
「は、はい…あの、私は何も…。」
ミコは最初に聞いた時だけだから大丈夫かな?
ちょっと聞いてみたかったけど。
「ミコーディアミック、君は少し前までロクラーンの魔法学校で博士として研究をしていたね?」
「え?あ、はい。そうですけど…。」
「そこで君は魔法研究の論文を書いていた。そうだね?」
「そんなことしてたの?」
「ええ。一応、研究結果としてまとめておいて偶に学長に提出してたけど、それは流石に私と学長以外は知らない筈…ホントに記録されてるんだ。」
「…ふむ、なるほど。魔法を使えない人間に魔法紙を持たせて精霊に、とはなかなか興味深い。我々もそちらの魔法は使えないからね。それで、これは君と学長以外は見たこと無いんだね?」
「はい、恐らくは。」
「では、これを一字一句間違えず読めたら信じて貰えるかな?」
「ええ。もう信じてますけど。」
また袖から本を取り出すチウンさん。
あの袖凄いな。
「では、ご清聴を。」
ーーこれは魔法を使えない人間が魔法紙によって魔法を使い、蝋燭の火を消す実験の記録である。私ミコーディア・ミックはエルフ、被験者タキ・トルトは人間……。
「…と、ここまでどうだ?」
「凄い…ホントに一字一句合ってる…。」
「ミコは大丈夫そうだね。ちょっと残念だけど。」
「ふふっ、聞かせられるようなことが無くて残念だったわ。ま、私はそういう恥ずかしいようなことが無いから全然大丈夫だけどね。」
「ふふ…では続けるよ?」
ーー私はエルフ。タキ君は人間。私は人間を好きにならない。だからタキ君のことは好きにならない。好きって言われて嬉しいなんてことはない。好き、ではない。大好き、でもない。キスしたいなんてことはない。抱き締めて欲しいなんてことも無い。いつか……。
「やめてぇぇぇぇぇっ!」
真っ赤な顔でぷるぷるしてたミコが叫んだ。
全然大丈夫じゃなかったらしい。
「む?何か違ったか?」
「…ち、違わないですけど、そのにっ、論文はちょっと止めて欲しいなって…。」
日記らしい。
「ふむ。しかし私は疑われるのが嫌いでな。だから続きももう少し…。」
「すみませんでした!私、あの時まだ知らなくて、本当にすみませんでした!」
「信じて貰えたかな?」
「信じます!疑う余地もありません!本当に記録出来てるなんて凄いです!」
「そうまで言われたら嬉しくなってしまうな。では信じて貰えたところで…。」
「あのっ!」
「リズィカリフ、なんだ?」
「あの、シン君もチウンさんのこと信じてませんでした!」
「リズ!お前何言って…。」
リズィちゃんがシンをハメようとしてる。そんなにまでしてシンの恥ずかしいことを知りたいのか?女の子って恐ろしい。
「ふむ?では確認してみてくれ。」
ーー「勘弁してくれリズ、もう5回目だ」「まだ5回、だよ、シン君」……。
「すみません!私嘘吐きました!」
「なんで俺まで…。」
リズィちゃんがシンをハメた話だった。
それにしても5回とはとんでもないな。リズィちゃんって恐ろしい。
あとシンに優しくしてやろうと思った。
「リズ、しばらく禁止。」
「ええっ!?酷いよシン君!」
「酷いのはどっちだ!禁止ったら禁止!」
「うぅ…もうどうなっても知らないからね!」
禁止なのに搾り取られるシンの未来が見えた。
「さ、あとはタッ君だけね。」
「タキ君?ひとりだけずるいよ?」
「君達何言ってるの?」
そんなに俺の恥ずかしい話を聞きたいのか?でも、ひどいことになったとは言え、自業自得でしょ?俺は悪口言ってないもん。
「チウンさん、タッ君は何か無いんですか?」
「探せば何か出ると思います。」
「ん?無いよ。」
「くっ…ミコ、ちょっと!」
「うん。」
なんだか2人で向こうに行ってごにょごにょやってる。俺の恥ずかしい話を聞く相談だろう。だが、俺は特にチウンさんの悪口は言ってないし、馬鹿にもしてない。ちょっとだけ、チウンって10回連続で言うと、とか思ったけど、これは思っただけだ。問題無い筈。
ミコやマキちゃんが嘘を吐けばさっきのリズィちゃんの二の舞になることは分かってるだろう。俺の夜の秘密が暴かれることはあるまい。
…すると話がまとまったのか、マキちゃんが来た。
「チウンさん?チウンさんって世界中の全員の記録を取ってるんですよね?」
「如何にもそうだが…何だね?」
「そんなこと出来るって、やっぱり凄いですね!」
白々しく持ち上げるマキちゃん。
「いやまぁ、凄いって言われる程はあるかな?はっはっは。」
持ち上がるチウンさん。
「それで私達に、その本見せて貰う訳にはいきませんか?ああ、でもそんな凄い本、私達に読めるかなぁ?ねぇ、ミコ?」
「ええ、私も色々読んだけど、そんな凄い本読んだことないもの。」
まさかの正面突破狙いか!まずい!
「ふむ。本当は簡単に見せちゃ駄目なんだが、今日は気分が良い。内緒だぞ?言語は共通だから読める筈だよ。」
「いやいや見せちゃ駄目でしょ!?」
「タキ君は黙ってて!本当ですか!?タキ君の本をお願いします!」
ミコはあとで絶対お仕置きする。絶対だ。
「え?だから無いよ?」
「無いって、そんな筈無いでしょ!?世界中全員はどこ行っちゃったの!?」
決めたからな。絶対だからな。
「いや、基本的に魔族のは無いんだ。」
「え?」
え?
「あ。」
「まぞく?」
「あの、まぞく?」
「俺、魔族なんですか?」
「……しばしご歓談を。」
そう言うとチウンさんは、後ろを向いて狭い板張りに置いてある何やら黒くて丸い円盤みたいなのが付いてる物の蓋を取った。蓋じゃないな、握ってるから。握ってるやつは紐で下のやつと繋がっている。
ジーコロコロ、ジーコロ、ジーコロ…。
ーーあ、もしもしチウンですいつもお世話になっております、ええ、はい、それがですね、今お宅のタキ君がお友達を連れてうちに遊びに、はい、お元気そうで、はい、それでですね、ちょっと確認なんですけど、タキ君が魔族ってことは、いえ、今私脅されてまして、え?嘘じゃないです、はい、すみません、え?誤魔化せ?もう無理ですよ、えぇ!?そんな、わかりましたやってみます……。
ちん。
「鬼ババめ…。」
「あの、今のって?」
「これかい?これは黒デンワといってね?テンセイさんが教えてくれたんだけど、離れた人とでも会話出来るんだって。便利そうだから欲しいと思ったんだけど、黒魔法なのかな?そんなの私達は知らないからね、書いて見せて貰った絵を参考に作ってみたんだ。便利だよ黒デンワ。」
「いえ、そうじゃなくて、その話してた相手というか、そもそも俺は…。」
「……。」
ーー「あんタッ君、駄目」と言いながら右手を……。
「ちょっと!?誤魔化すのに私を使わないでくれる!?」
ーー「ほら、まだ大丈夫だよシン君!2桁取りに行こうよ」……。
「止めてくれ!なんで俺が…。」
「私も恥ずかしいんだけど!?」
ーーまたお仕置きをして貰うには…。
「やめてぇぇぇぇぇっ!」
阿鼻叫喚に死屍累々。
「チウンさん!俺は…魔族なんですか?」
「…そうだ、タキ君。君は、魔族だ。」
「さっきチウンさんが話してたのって、ひょっとして俺の母さんなんじゃ…?」
「そ、それは言えない。それだけは勘弁してくれ!」
「チウンさん。」
ミコだ。お仕置きされて良かったらしいミコだ。
「さっきのはタキ君のお母様ですよね?私は一応エルフだからちょっとだけ耳が良いんです。」
耳が良いらしいミコ。
「……黙秘する。」
「私から、お願いがあります。」
「…なんだ?」
「どうか私に、タキ君のお母様とお話しさせて貰えませんか?」
ん?俺が話すんじゃないの?
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