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第二章:本編(再び)

そして全ての清算

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「あと、その方自身に起因する問題もあったな…
 セイシェル侯爵。」

一変、獲物を見抜く猛禽のような目つきになった王太子。

「その方、他家のメイドを凌辱したであろう。」

「な…え…いや…」


。」


有無を言わさず。

メイドではなく、他家の
 ましてや、その令嬢が誰か別の者と
 当然に貴族法廷で審理される。
 被害者である令嬢も呼び出し、辛い体験を語ってもらう必要がある。
 冤罪を防ぐためにもな。」

一拍。


「貴族法廷では一切の偽証を認めぬ。
 たとえ凌辱の被害者であろうと、爵位その他の理由で答え辛かろうと、貴族法廷での偽証は王家侮辱罪。
 その危険を冒してなおその方を庇いだてする覚悟が被害者に無いならば。
 そして結果、行いが真実と認められたならば。
 貴族令嬢が地獄を味わった対価として、実働した者もほう助した者も例外なく死刑。
 加害者が貴族だった場合は当然に御家お取り潰し、親類縁者も厳罰に処す。
 仮にセイシェル侯爵がその様な愚か者だった場合、行方不明のリャム嬢も国家反逆罪で指名手配となるが…
 ?」


王太子の脅しに対し、まだ20年も生きていない若造が抗えるわけがない。
なぜ自分とセシア以外には数人のメイドしか知らない事実を王太子が知っているのか、想像すらつかない。
ただ茫然と震えながら弱々しく頷いた姿に王太子も満足そうに頷く。

「であれば、後は当事者同士で話をすればよい。
 被害者が平民なら、その家の当主が訴えない限り貴族法廷は開かれないからな。
 …あぁ、付け加えておくが。
 もしこの件で妙な噂が立てば、王家は苛烈な報復を講じるので十分留意せよ。」

つまりは一切詮索するな、口外すらするな。
同席した者たちは、もしかしたらペニシフィン子爵家の令嬢が研究資料を手渡した理由は、とも思ったが。
ただ『好奇心は猫を殺す』という先人の教えを理解できぬほどの間抜けは、この場にいなかった。
王太子が語らない以上、そこには絶対に踏み込んではいけない何かがある。




「さて、貴族の宿命だ。
 年齢に関わらずな。」

ルファ公爵が目の前にグラスを置くと、自ら瓶を傾ける。
それは群青とも言えるほどの深い青。

「その方が、これから絶望的な艱難辛苦の茨道を行くという覚悟があるのか。
 先代の作った莫大な賠償金を背負って行くのか。
 他家の使用人を手篭めにするなどという醜聞に後ろ指をさされながら、それでもなお貴族社会を行くのか。
 それとも全てを捨てて、一介のネスとして世界の片隅で生きるか。
 どれも無理だというならば。
 セイシェル侯爵、その方が選べる道はただ一つ。」


毒杯を呷ること。
目の前にそれを置かれ、いよいよ体の震えが止まらなくなる。


「今から口にすることは他言無用だ。
 その方ら、全員耳をふさげ。」

王太子の命に全員が両手を耳に当て、聞いていませんというポーズを取る。
そしてネスの前に立つ王太子。

「その方くらいの年齢なら性に興味があるのも仕方ない。
 ただな、その場合は理解のあるメイドに頭を下げるか、親の目を盗んで高級娼館に行けば良かったのだよ。
 高級娼館はそういう客も多いからな。
 店の方も弁えているし、そういう客を逆に強請ゆすろうなどということも絶対しない。
 …ま、その歳で娼館に手を出すのもどうかとは思うがな。」

聞いていませんというポーズを取りながらも何人かは苦笑する。
王太子も若い頃は娼館で何人かと浮名を流したし、公爵だって経験はある。
王立学院の男子寮で時折メイドの喘ぎ声が漏れ聞こえるのも、まぁだ。

「実際、セイシェル侯爵家は消えると困るのだ。
 貴族社会でも大きな影響力を持っているし、これまでも我が国に多大な貢献をしてきた。
 もし万が一にも没落や消滅などしようものなら激震だ、様々な後継を巡っても騒動になるだろう。
 だから本来ならここまではしなかった。
 両親の公金横領は大問題だが、それはその方のあずかり知らぬことだし恩情も当然ある。
 天秤にかけると、どう考えてもセイシェル侯爵家が消える方が王国としては困る。」

片膝を立て耳元に口を寄せる。
小さな声で。

「良いか悪いかは別として、娘やメイドを愛人として差し出す貴族家も少なくない。
 家のためだとか、本人が貧乏暮らしに嫌気がさしたとか、理由は色々だがな。
 だから、これがそういう話であれば、俺もまぁ気にもしなかった。」

ネスの肩に置いた手に力が籠る。

「お前がセシア嬢に行ったことは父上と俺を激怒させた。
 口約束とはいえ婚約者のいる貴族令嬢だぞ、愛人希望だの誘惑されたなどという嘘は通じん。
 しかも、よりによってそのことを俺に教えてくれた者が最悪だ。
 逆鱗に触れるどころの騒ぎではない。
 お前はな、子爵家の令嬢を凌辱するという、お前自身の罪で死ぬのだ。」

もう話すことも無いとばかりに王太子は立ち上がる。

「ここで斬ってもいいが、色々としきたりが面倒でな。
 その方が賢明な判断を下すことを期待する。」

片手をあげると周囲の人間も耳から手を離す。


「せめてもの情け、我々は少し席を外そう。
 半時間の後その方が生きていたなら、その方はその最後の逃げ道を拒絶したとみなす。
 以後いかなる状況に神すら呪うことになろうとも、許可なく死ぬことは許されない。
 そういう世界に足を踏み入れることになる、忘れるな。」
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