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第二章:幕を開ける前に

吸血鬼のひとりごと

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アーシュの館にある石造りの風呂場は、もはやプールと呼べる大きさである。
もちろんプールは別にあるのだが、言霊一つで掃除も水張も一瞬ともなれば風呂も遊び心を吸収して大きくなる。
その自慢の風呂に主と従者の姿があった。

王立学院に派遣した従者2名が外泊の申請処理を終えアーシュの元へ戻ったのが昼前。
昼食を共にしながら報告を受け、おやつ替わりに二度ほど抱き、余韻そのままに夕暮れの風呂場へと来た。
ゆるめの湯に浸りながら周囲の浮力を調節し、柔らかなベッドに身を沈めるように水面を滑るキャティ。
仰向けに、女神像のような姿を晒しながら、湧き出る湯の勢いにただ身を委ね。

そのキャティの姿を眺めながらアーシュは中央に島のように設けられたスペースに腰かけていた。
足湯のようにすねを漬け、夢うつつといった表情のパティを抱き寄せ、脇の下から延ばした左手で胸を転がし。

「それにしても、スーも息災そうで何よりじゃ。
 そのうちスーもここに住むのかもしれぬが…さて、あれは王国の貴族じゃしの。」

「永遠に歳を取らない異端、というのも狭い貴族社会では窮屈そうですね。
 外見はいくら変えられたとしても政略結婚や策謀からは逃れられません。」

「そこじゃ。
 どこぞの侯爵家がちょっかいを出したのであろ。
 猟犬パティが飛びかからずに良かったわ。」

「実は飛びかかろうとしていました。
 リード言霊で制止させるのも一苦労でした。」

そのパティじゃ敬愛するアーシュに抱かれた直後で、未だ意識に白い霧がかかったような状況だ。
何ら抵抗することもなく、ただアーシュに身を委ねている。

「何もかも全てがぶち壊しですね。
 貴族社会で生きるための勉強どころか、その社会そのものが吹き飛びかねません。」

「全く…パティも腹芸の一つも覚えてもらわねばの。」

積極的に共存を目指すわけでもないが、王国を滅ぼす理由も見当たらない。

「実際のところ我も貴族を従者とするのは初めてでの。
 正直スーの扱いについては悩んでおる。
 もしスーが貴族として歩むのであれば、傍に全てを理解したパティがおる方がよかろう。」

小さくため息ひとつ。

「異端は、結局は異端じゃからの。」

「…スーの血にもご執心ですし。
 座ったスーに跨って一心不乱に血を吸う様など、なかなか可愛いです。」

変わらず水面を流されながら顔だけ向けるキャティ。
とても主人に対する態度ではないが、そもそもこれはアーシュが望んだものだ。
心がしっかりとあり、態度で示すべき場所でしっかりと示してくれれば。
そもそも主従が同じテーブルで食事をとるのも、夜伽でもないのに同じベッドで眠るのも今更だ。
抱きつき癖のあるアーシュにとってキャティの腰は抱きつきやすく胸は顔をうずめやすい。

「キャティよ。」

傍らのパティを離し、その場に立ち上がる。
その言葉に察したキャティもまた浮かぶのをやめ、浴槽にて姿勢を正す。

「我に代わりスーとパティを守れ。
 命ではなく、それぞれの立場を。」

「御下命承りました、お嬢様。」

日も沈み、月と星を背に、優雅に腰を折る従者を見つめる主人。

「…妖精ニンフ?」

夢うつつのままそれを見上げるパティが、そうつぶやくのも無理はない。
最近そういう冒険譚でも読んだのだろうか。

「なかなかに嬉しいことを言うの。」

さて、普段の感情に乏しいパティと、素直なパティと、どちらがいいか。
問うまでもない。
アーシュは膝を折り、耳元に口を寄せ。

「『催淫』」

従者には絶対に抵抗できない言霊、ましてや抱かれた余韻に浸る状況では絶対に。
微かに残った理性で抗おうとしても、腕は自然と伸びて指は勝手に動く。

「や…見ないで…くだ…」

決まっている。
普段無表情なパティが乱れる方が万倍愛おしい。
だからキャティと違い気ままに抱かない。
さもなくば、この希少性が失われてしまいそうだから。

「のぉキャティや。
 これから夕食であるなら、食前酒は必須であるな?」

「ほどほどにしてくださいね。
 明日の朝には王立学院に戻らないといけませんから。
 いつものように明け方まで散々抱いて昼過ぎまでお休みというのは困りますよ。
 一応姿を門番に見せておかないといけませんから。」

「分かっておるわ。」

自らを慰めている両方の手首を掴むと、そのまま指を絡めながら体を重ね、舌で唇を割る。

「あらあら、眼福ですわ。」

横目でニコニコしたキャティが見えた。
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