1 / 19
プロローグ
しおりを挟む
さんさんと輝く陽の下で一人の少年が馬を走らせている。
年のほどは十二、三程度だろうか。
身なりは下男が着込むそれとあまり大差ない貧しいものだがまくった袖から見える腕はたくましく、まだ髭が生えていない顔は精悍でどこか武人を彷彿ほうふつとさせる。
だが、この少年 白嬰は商人の子である。
本拠は周にありながらも、 幼い頃から旅好きで商売熱心な父に伴われ数々の国を旅して回った。
今日も父の商売に同行し戦国七雄の一角を担う韓を訪れていた。
では何故父と共に商売に勤しんでいるはずの少年が地元の人達ですらめったに通らない閑散とした街道を一人爆走しているかというとそれには深い理由わけがあった。
一言で言うと拗すているのだ。
それも尋常ではなく。
話は四刻ほど前に遡る。
韓の都での商談を終え巨額とまでは言えぬまでもそこそこの利益を得ることができた白嬰とその父 白圭白圭はくけいはホクホク顔で町を歩いていた。
韓は秦、楚、魏、西周など大小さまざまな国と国境を接しており人の行き来と物流が盛んで自然町には活気があふれている。
商談を終えたとき昼を過ぎていたので目抜き通りの市はもうすでにほとんど片付けられていたが、品を市に出しに来た商人や地元の農夫を相手にした飯屋や立ち飲み屋は未だ店を広げていた。
今日の仕事を終えた人たちは老若男女問わず路上に出された木製の卓を囲み何やら冗談を交えつつ酒を酌み交わし、酒のあてにと並べられた皿からはもくもくと湯気が立ち、複雑に煮込まれた汁やら本能に直接訴えかけてくるような焼けた肉の匂いやらが溢れ出している。
町が醸し出す心地の良い喧騒けんそうに耳を浸していた白嬰は不意に空腹を覚えた。
そういえば今日はいろいろバタバタしていて朝餉あさげを食べていなかった。
「なあ親父おやじ、俺たちもここで何か食べていかねぇか?」
旅籠はたごへ戻るまで我慢するつもりだったが耐えられそうにないため白嬰より少し前を歩いていた白圭にそう呼びかけた。
「そうだな、そういえば腹も減ってるしここらへんで食べていくか。」
そう言って、二人はどこか適当な店に入ろうとしたその時前方から砂埃すなぼこりをあげ自分達の方へ走ってくる人影が見えた。
その人影は白嬰らに近づくにつれて、はっきりとした輪郭りんかくを表し姿が浮き彫りになっていく。
これでもかと存在を主張する瞼まぶたからギョロッと飛び出た眼球にぷっくらと膨らんだ腹。
肩から腕にかけてゴツゴツとした筋肉が盛り上がっており首が埋もれてしまっていて、顎あごには豊かな髭ひげを八の字に蓄えている。
「白圭殿、一大事ですじゃ」
「おう、茶房どうした?」
お前のカミさんと喧嘩でもしたのか、という軽口にも反応せず深刻な面持おももちで白圭に何やら耳打ちする。
どうやら周りの人に聞かれたくない話のようだ。
初めは飄々とした顔で聞いていた白圭も次第に顔がこわばっていき突然一目散に駆け出した。
「待ってくださいなのじゃ白圭殿」
茶房も少し遅れてついていく。
何やら事情はわからないが自分も遅れまいと走り出そうとした白嬰に突如袋が飛んで来た。
慌ててそれを受け止めるも皿の形を作った手が地面の方へと引っ張られる。
袋はずっしりと重い。
どうやら中には相当数の銅貨が入っているらしい。
これで人を殴ったりしたら死にはしなくとも大変なことになるだろう。
「嬰!金貨それで何かうまいものでも喰って買い物でもしたら先に旅籠に戻ってろ」
「何でだよ?俺もい…」
「ダメだ、じっとしていろ。事情は後で話す。」
そう言って白圭と茶房の姿は人ごみの中へと溶け消えていった。
頬を膨らませて不機嫌そうにぽつんと佇たたずむ少年一人を残して。
「まったく親父め。」
白嬰は馬上で揺れつつ先ほどまでのことを思い返し、そう毒づいた。
無論、聡明そうめいな少年である白嬰には何が起きたのか、何が起きようとしているのか大方見当はついていた。
もし自分が考えていることが真実ほんとうならば親父が自分を置いていったのもあの仕単語事をやらせる為だったと納得できる。
いや、茶房の先ほどの慌てぶりを見る限り自分の推測は当たっているのだろう。
だが、納得はいってもやはり置き去りにされたのは面白くない。
胸に燻くすぶった刺々しい感情を搔かき消すように二度三度大きく深呼吸する。
その際に細めた目に雲ひとつない青空が吸い込まれていく。
「こりゃあ嵐が来るな。」
何かが彼にそう呟かせた。
年のほどは十二、三程度だろうか。
身なりは下男が着込むそれとあまり大差ない貧しいものだがまくった袖から見える腕はたくましく、まだ髭が生えていない顔は精悍でどこか武人を彷彿ほうふつとさせる。
だが、この少年 白嬰は商人の子である。
本拠は周にありながらも、 幼い頃から旅好きで商売熱心な父に伴われ数々の国を旅して回った。
今日も父の商売に同行し戦国七雄の一角を担う韓を訪れていた。
では何故父と共に商売に勤しんでいるはずの少年が地元の人達ですらめったに通らない閑散とした街道を一人爆走しているかというとそれには深い理由わけがあった。
一言で言うと拗すているのだ。
それも尋常ではなく。
話は四刻ほど前に遡る。
韓の都での商談を終え巨額とまでは言えぬまでもそこそこの利益を得ることができた白嬰とその父 白圭白圭はくけいはホクホク顔で町を歩いていた。
韓は秦、楚、魏、西周など大小さまざまな国と国境を接しており人の行き来と物流が盛んで自然町には活気があふれている。
商談を終えたとき昼を過ぎていたので目抜き通りの市はもうすでにほとんど片付けられていたが、品を市に出しに来た商人や地元の農夫を相手にした飯屋や立ち飲み屋は未だ店を広げていた。
今日の仕事を終えた人たちは老若男女問わず路上に出された木製の卓を囲み何やら冗談を交えつつ酒を酌み交わし、酒のあてにと並べられた皿からはもくもくと湯気が立ち、複雑に煮込まれた汁やら本能に直接訴えかけてくるような焼けた肉の匂いやらが溢れ出している。
町が醸し出す心地の良い喧騒けんそうに耳を浸していた白嬰は不意に空腹を覚えた。
そういえば今日はいろいろバタバタしていて朝餉あさげを食べていなかった。
「なあ親父おやじ、俺たちもここで何か食べていかねぇか?」
旅籠はたごへ戻るまで我慢するつもりだったが耐えられそうにないため白嬰より少し前を歩いていた白圭にそう呼びかけた。
「そうだな、そういえば腹も減ってるしここらへんで食べていくか。」
そう言って、二人はどこか適当な店に入ろうとしたその時前方から砂埃すなぼこりをあげ自分達の方へ走ってくる人影が見えた。
その人影は白嬰らに近づくにつれて、はっきりとした輪郭りんかくを表し姿が浮き彫りになっていく。
これでもかと存在を主張する瞼まぶたからギョロッと飛び出た眼球にぷっくらと膨らんだ腹。
肩から腕にかけてゴツゴツとした筋肉が盛り上がっており首が埋もれてしまっていて、顎あごには豊かな髭ひげを八の字に蓄えている。
「白圭殿、一大事ですじゃ」
「おう、茶房どうした?」
お前のカミさんと喧嘩でもしたのか、という軽口にも反応せず深刻な面持おももちで白圭に何やら耳打ちする。
どうやら周りの人に聞かれたくない話のようだ。
初めは飄々とした顔で聞いていた白圭も次第に顔がこわばっていき突然一目散に駆け出した。
「待ってくださいなのじゃ白圭殿」
茶房も少し遅れてついていく。
何やら事情はわからないが自分も遅れまいと走り出そうとした白嬰に突如袋が飛んで来た。
慌ててそれを受け止めるも皿の形を作った手が地面の方へと引っ張られる。
袋はずっしりと重い。
どうやら中には相当数の銅貨が入っているらしい。
これで人を殴ったりしたら死にはしなくとも大変なことになるだろう。
「嬰!金貨それで何かうまいものでも喰って買い物でもしたら先に旅籠に戻ってろ」
「何でだよ?俺もい…」
「ダメだ、じっとしていろ。事情は後で話す。」
そう言って白圭と茶房の姿は人ごみの中へと溶け消えていった。
頬を膨らませて不機嫌そうにぽつんと佇たたずむ少年一人を残して。
「まったく親父め。」
白嬰は馬上で揺れつつ先ほどまでのことを思い返し、そう毒づいた。
無論、聡明そうめいな少年である白嬰には何が起きたのか、何が起きようとしているのか大方見当はついていた。
もし自分が考えていることが真実ほんとうならば親父が自分を置いていったのもあの仕単語事をやらせる為だったと納得できる。
いや、茶房の先ほどの慌てぶりを見る限り自分の推測は当たっているのだろう。
だが、納得はいってもやはり置き去りにされたのは面白くない。
胸に燻くすぶった刺々しい感情を搔かき消すように二度三度大きく深呼吸する。
その際に細めた目に雲ひとつない青空が吸い込まれていく。
「こりゃあ嵐が来るな。」
何かが彼にそう呟かせた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
鈍牛
綿涙粉緒
歴史・時代
浅草一体を取り仕切る目明かし大親分、藤五郎。
町内の民草はもちろん、十手持ちの役人ですら道を開けて頭をさげようかという男だ。
そんな男の二つ名は、鈍牛。
これは、鈍く光る角をたたえた、眼光鋭き牛の物語である。
局中法度
夢酔藤山
歴史・時代
局中法度は絶対の掟。
士道に叛く行ないの者が負う責め。
鉄の掟も、バレなきゃいいだろうという甘い考えを持つ者には意味を為さない。
新選組は甘えを決して見逃さぬというのに……。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
おぼろ月
春想亭 桜木春緒
歴史・時代
「いずれ誰かに、身体をそうされるなら、初めては、貴方が良い。…教えて。男の人のすることを」貧しい武家に生まれた月子は、志を持って働く父と、病の母と弟妹の暮らしのために、身体を売る決意をした。
日照雨の主人公 逸の姉 月子の物語。
(ムーンライトノベルズ投稿版 https://novel18.syosetu.com/n3625s/)
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる