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10話 玉座の間にて、公然と行われるセクハラ
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初めて訪れた玉座の間は圧巻だった。
室内を彩る豪華絢爛な装飾や、繊細な壁画と天井画に目を奪われながらも私はアンドレイの後ろを急ぎ付いていく。
奥へと真っ直ぐに伸びた赤い絨毯の両サイドには剣を携えた近衛兵が並んでいる。赤い道の先には段差があって、高くなった場所に黄金の玉座が輝いていた。
そこに堂々と座っているのはこの国の主、クロノス・ヴィルヘルム。
「陛下、ルシア様をお連れ致しました」
「何事ですか! ケガ人でしょうか!?」
急用だと言って私を呼びつけた張本人はひじ掛けにひじをついたまま「やあ、ルーシー」と片手を上げた。
「近くに来て」
「? はい……」
眩しい玉座に気を取られていたけれど、玉座の前で男性が跪いている。
フォーマルな黒のコートに袖を通している紳士だ。そろそろと男性の横を通り、一人で段差を上っていく。
「きゃあっ!?」
玉座の目の前まで来た途端、抱き寄せられた。クロノスの片膝の上に座る形になって、固く引き締まった筋肉を服越しに感じる。
端麗なクロノスの顔がぐっと近付き、視界に深い赤色が広がった。
珍しい瞳の色だ。鮮血にも薔薇にも宝石にも似ていて恐ろしくも美しい。
「ルーシーの瞳は綺麗だね」
「な、何を突然!」
見つめあいながら互いに見惚れていたのだ。恥ずかしくて逸らした私の眼前に今度は鮮やかな青色が煌めいた。
「一級品を揃えてまいりました。お気に召すものはございますか?」
「そうだな――」
玉座の前で跪いていた男性は宝石商らしい。広げられたトランクケースから宝石が飛び出してきて、玉座の周りを浮遊している。
クロノスは真剣な表情で青い宝石を選んでは私の瞳にかざし、また次の宝石に手を伸ばす。
「物は悪くないが深い海のような青色ばかりだな。こんなんじゃ駄目だ。ルーシーの瞳は澄みきった青空の色なんだ。もっと色素の薄い宝石はないのか?」
「こちらなどいかがでしょう?」
「……俺の妻の瞳はもっと美しく、特別な輝きを放っていると思っていたのだが。まさか貴様の目にはこんなありふれた色に見えているとでも?」
「め、滅相もないことでございます!」
「ルーシーの瞳に似た宝石はないのか?」
「そ、それは」
クロノスの不興を買ってしまった宝石商は震えている。
ブルーダイヤモンドやブルートパーズなどの宝石は色が濃いほうが希少で価値が高いと聞きます。彼は最高の宝石だけをトランクケースに詰め込んでこの謁見に臨んだのでしょう。
「先ほどから何の宝石を選んでいるのですか?」
「ああ、来月末に正妃となったルーシーのお披露目パーティーを開くんだ。そこで君が身につけるティアラの主役となる宝石を探してるんだよ。結婚指輪も用意するから楽しみにしていてくれ」
「きゃっ」
クロノスの表情は嘘みたいにふっと和らいで。私のティアラが輝くであろう頭頂部、今はまだ空いている左手の薬指、思わず閉じたまぶたの順番に口付けが落ちてくる。
「ルーシーの瞳の色に近いものを、と思うとなかなか見付からないね」
「私が好きな宝石を選んでも?」
「もちろんだよ! ルーシーの希望を聞こうとしないで悪かった。ルーシーはこういうものに興味がないだろうと思ってたんだ」
クロノスの言う通り、私はドレスや装飾品の類に無頓着です。だから夜会や式典に参加する際の支度は全てマーガレットに任せている。
けれど、宝石商の彼を無事に帰すためです。何でもいいから選ぶとしよう。
視線を上げて周囲を見回す。
色、形、質感が異なる宝石たちが玉座を取り囲むように宙に浮いている。天井のシャンデリアの光を反射して煌めいているそれらはどれも魅力的に見えた。
中でもひときわ強く輝く宝石に目を引かれた。
鮮やかな赤色。しかし、深い赤色は角度次第で黒に染まって見える。
「クロノスの瞳に似てる」
私が手を伸ばしたのも声を漏らしたのもほとんど無意識だった。
手の中の赤い宝石を角度を変えながら眺めていたら体が小刻みに揺れる。私がお尻を落ち着けているクロノスの膝がぶるぶると震え出したのだ。
「お、俺の色の宝石を身に着けたいの? 君はどれだけ俺を喜ばせるんだ!? そうだね、この宝石を使って君に相応しい最高のティアラを作らせよう」
「ちょ、ちょっと近い! 近いです!!」
興奮した様子でキスを求めてくる顔面を両手で押しのけながら、私は絶叫したのだった。
***
「んぅっ、んっ、んん……っ」
「はっ……ルーシー」
クロノスが顔を上げると、私とクロノスの舌と舌とを繋ぐ唾液の糸が千切れた。
「い、いい加減に離してください……私はクゥちゃんを探しに戻りたいんです」
クロノスは私を膝の上に乗せたままの状態で王としての仕事を平然とこなしている。
一方、私はといえば人形のように抱かれながら甘い囁きとキスの雨を浴びているだけだった。
クゥちゃんの神出鬼没っぷりはヴィルヘルム王国でも健在で、朝食前に姿を消してしまったのです。
安全なラグランジアとは違い、この国には強い魔物も数多く生息している。王宮の敷地外に出るようなことがあったら大変だ。
――それに、クロノスのキスに溶かされた体の方もいよいよ限界だった。
「顔が赤いよルーシー。さっきから太ももを擦り合わせてるけど、"クゥちゃん"の心配をしてるのは本心なの? 本当は発情してることを隠したいだけなんじゃないか?」
「ひぁっ」
クロノスの大きな手が、聖女の正装着である白いワンピースの布地の上を這う。腰からお腹にかけて撫で回し、徐々に下がっていく手の平が恥骨の位置で止まり、そこをすりすりと撫でる。
「あっ……」
「ははっ、人前ではしたない声を出して。俺以外の男に聞かせたいの?」
「ん、やっ……ち、違う! ね、ねぇ。クロノスの魔法でクゥちゃんを見つけることはできませんか?」
シャンデリアが煌々と照らす玉座の間に相応しくない淫らな行為。
――いえ、どこであっても公衆の面前なら行儀が悪い。人前だと自覚しているならやめてもらいたいのですが。
しかし、クロノス相手に異を唱えられる者がこの国にいるわけもなく。
我々は何も聞いていませんし、見ておりません。そういったアピールなのか、整列している兵士たちは魂が抜け落ちたように動かない。
クロノスから見て右手側に控えている側近のアンドレイでさえ、気配を消しています。
「ルーシー、こんな遊びをしない? 今からキスをして、三分ぴったりで当てられたらルーシーの勝ち。ルーシーが勝ったら探しものを手伝おう。俺なら三分で見つけられる。俺が勝ったら、そうだな……明日一日、俺とデートしてくれないか。最初は近場がいいだろうから、王都にしよう」
クロノスの三分と、私の一日。全然平等じゃない条件だ。
「んむ……っ、ん、んっ」
返事を待たずに噛みつくようなキスが降ってきて、呼吸を奪われる。
これは提案ではない。はなから私に合意を求める気などなかったのでしょう。
何事もクロノスが思いついた時点で確定事項なのだ。理不尽だけれど。
「んんっ、ぷぁっ……あっ、ん、ん」
「はっ……ん……」
三分間――短いようで長い時間。私は頭の中で秒数を数え始めた。
クロノスは性急に粘膜同士を触れ合わせ、理性ごと絡め取ろうとしてくる。
それを抗いながら数えようとして、でもクロノスの舌の動きで頭の中までぐちゃぐちゃに掻き回されて。
私の中の時間は止まる。
「ん……っ、い、ま。今です……っ」
「ふふ……残念。もう六分が経ってる」
――ああ、やっぱり負けた。
「兵士は下がらせたよ。恥ずかしがるルーシーも可愛いけど、こんな無防備な姿を見るのは俺だけでいい」
キスの合間にクロノスが右目だけを閉じていたのはアンドレイへの指示だったようだ。
もうこの場にいるのは私とクロノスだけ。壁に掛けられた黒い時計の針は、クロノスの言葉が真実だと告げている。
クゥちゃんは就寝前には後宮へと戻ってきてくれた。ヴィルヘルム王国でもマイペースに過ごすつもりのようだ。
くれぐれも王宮の敷地外には出ないようにと言い聞かせたけど、わかってくれたのかしら。
心配させた罰としていつもより多めにもふもふした後、丸まったクゥちゃんを抱きしめながら眠りについた。
***
翌日――
朝から生憎の天気でした。分厚く真っ黒な雲に覆われた空。激しい雷雨と強い風が吹き荒れている。
今まで一度も外したことがないという宮廷魔術師の天気詠みの魔法によれば……今日はヴィルヘルム王国全土がずっとこの調子なんだとか。
出発予定であった午前十一時、クロノスと二人で正面玄関まで一応来てみたものの、扉を開けた瞬間に出歩くのは無理だと悟った。
「ほら見たことですか。あんな形で強引に約束を取り付けたりするから天罰が下ったんでしょう」
正直なところ。外の世界を見て回るきっかけができて、嬉しかった。今日を楽しみにしていたことも秘めておきます。
「…………」
私の挑発にクロノスは言い返してこない。思ったより落ち込んでいるのだろうか。
隣に立つクロノスの横顔を見上げると、彼は何事かをぶつぶつ呟きながら土砂降りの中へ進んでいってしまった。
「クロノス!!」焦って下の名前を叫ぶ。
「早く中に入ってください! 私も今日のお出かけが中止になったこと、本当は少し残念に思っていました! また日を改めまし――」
追いかけるのは躊躇われる大粒の強い雨。外に出れば一瞬で全身ずぶ濡れになるだろう。
でも、クロノスの頭上には雨粒が落ちない。まるでクロノスの存在を恐れているように雨は彼の体だけを避けていく。
クロノスの周囲には紫色に光る古代文字が渦を巻いていた。
雨の音にかき消されて聞こえないが、あれは上級魔術の詠唱だ。
ラグランジアには私も含めて詠唱を必要とするような強い魔法を使える者はいないから、初めて目にする。
魔力の強い流れを感じて、肌がひりつく。地上に落ちた雷が天に帰っていくみたいに、クロノスの頭上から伸びた一筋の光が黒い雲を貫いた。
切り裂かれた雲の間から陽が差し込んで。あっ、と思ったときには、どこまでも続いているように見えた雨雲は消え去った後だった。
「ええっ!?」
外に出てみれば、空は嘘みたいに晴れ渡っている。遠くのほうに大きな虹が二重にかかっているのが見えた。
「クロノス陛下、大変申し訳ございません! 天気詠みの結果が変わりました。本日の天気はヴィルヘルム王国全土、快晴。過ごしやすい一日となるでしょう」
先ほど天気を詠んでいた魔術師が、雨で湿った地面で跪く。
「えええっ!? 今の一瞬で国中晴れたんですか!?」
ぽかんと開いたままの口はなかなか閉まってくれない。
クロノスはそんな私の下顎に手を添えながらニヤリと不敵に笑った。
「それで、天罰がなんだって?」
「……い、いえ。今日は最高のデート日和ですね」
室内を彩る豪華絢爛な装飾や、繊細な壁画と天井画に目を奪われながらも私はアンドレイの後ろを急ぎ付いていく。
奥へと真っ直ぐに伸びた赤い絨毯の両サイドには剣を携えた近衛兵が並んでいる。赤い道の先には段差があって、高くなった場所に黄金の玉座が輝いていた。
そこに堂々と座っているのはこの国の主、クロノス・ヴィルヘルム。
「陛下、ルシア様をお連れ致しました」
「何事ですか! ケガ人でしょうか!?」
急用だと言って私を呼びつけた張本人はひじ掛けにひじをついたまま「やあ、ルーシー」と片手を上げた。
「近くに来て」
「? はい……」
眩しい玉座に気を取られていたけれど、玉座の前で男性が跪いている。
フォーマルな黒のコートに袖を通している紳士だ。そろそろと男性の横を通り、一人で段差を上っていく。
「きゃあっ!?」
玉座の目の前まで来た途端、抱き寄せられた。クロノスの片膝の上に座る形になって、固く引き締まった筋肉を服越しに感じる。
端麗なクロノスの顔がぐっと近付き、視界に深い赤色が広がった。
珍しい瞳の色だ。鮮血にも薔薇にも宝石にも似ていて恐ろしくも美しい。
「ルーシーの瞳は綺麗だね」
「な、何を突然!」
見つめあいながら互いに見惚れていたのだ。恥ずかしくて逸らした私の眼前に今度は鮮やかな青色が煌めいた。
「一級品を揃えてまいりました。お気に召すものはございますか?」
「そうだな――」
玉座の前で跪いていた男性は宝石商らしい。広げられたトランクケースから宝石が飛び出してきて、玉座の周りを浮遊している。
クロノスは真剣な表情で青い宝石を選んでは私の瞳にかざし、また次の宝石に手を伸ばす。
「物は悪くないが深い海のような青色ばかりだな。こんなんじゃ駄目だ。ルーシーの瞳は澄みきった青空の色なんだ。もっと色素の薄い宝石はないのか?」
「こちらなどいかがでしょう?」
「……俺の妻の瞳はもっと美しく、特別な輝きを放っていると思っていたのだが。まさか貴様の目にはこんなありふれた色に見えているとでも?」
「め、滅相もないことでございます!」
「ルーシーの瞳に似た宝石はないのか?」
「そ、それは」
クロノスの不興を買ってしまった宝石商は震えている。
ブルーダイヤモンドやブルートパーズなどの宝石は色が濃いほうが希少で価値が高いと聞きます。彼は最高の宝石だけをトランクケースに詰め込んでこの謁見に臨んだのでしょう。
「先ほどから何の宝石を選んでいるのですか?」
「ああ、来月末に正妃となったルーシーのお披露目パーティーを開くんだ。そこで君が身につけるティアラの主役となる宝石を探してるんだよ。結婚指輪も用意するから楽しみにしていてくれ」
「きゃっ」
クロノスの表情は嘘みたいにふっと和らいで。私のティアラが輝くであろう頭頂部、今はまだ空いている左手の薬指、思わず閉じたまぶたの順番に口付けが落ちてくる。
「ルーシーの瞳の色に近いものを、と思うとなかなか見付からないね」
「私が好きな宝石を選んでも?」
「もちろんだよ! ルーシーの希望を聞こうとしないで悪かった。ルーシーはこういうものに興味がないだろうと思ってたんだ」
クロノスの言う通り、私はドレスや装飾品の類に無頓着です。だから夜会や式典に参加する際の支度は全てマーガレットに任せている。
けれど、宝石商の彼を無事に帰すためです。何でもいいから選ぶとしよう。
視線を上げて周囲を見回す。
色、形、質感が異なる宝石たちが玉座を取り囲むように宙に浮いている。天井のシャンデリアの光を反射して煌めいているそれらはどれも魅力的に見えた。
中でもひときわ強く輝く宝石に目を引かれた。
鮮やかな赤色。しかし、深い赤色は角度次第で黒に染まって見える。
「クロノスの瞳に似てる」
私が手を伸ばしたのも声を漏らしたのもほとんど無意識だった。
手の中の赤い宝石を角度を変えながら眺めていたら体が小刻みに揺れる。私がお尻を落ち着けているクロノスの膝がぶるぶると震え出したのだ。
「お、俺の色の宝石を身に着けたいの? 君はどれだけ俺を喜ばせるんだ!? そうだね、この宝石を使って君に相応しい最高のティアラを作らせよう」
「ちょ、ちょっと近い! 近いです!!」
興奮した様子でキスを求めてくる顔面を両手で押しのけながら、私は絶叫したのだった。
***
「んぅっ、んっ、んん……っ」
「はっ……ルーシー」
クロノスが顔を上げると、私とクロノスの舌と舌とを繋ぐ唾液の糸が千切れた。
「い、いい加減に離してください……私はクゥちゃんを探しに戻りたいんです」
クロノスは私を膝の上に乗せたままの状態で王としての仕事を平然とこなしている。
一方、私はといえば人形のように抱かれながら甘い囁きとキスの雨を浴びているだけだった。
クゥちゃんの神出鬼没っぷりはヴィルヘルム王国でも健在で、朝食前に姿を消してしまったのです。
安全なラグランジアとは違い、この国には強い魔物も数多く生息している。王宮の敷地外に出るようなことがあったら大変だ。
――それに、クロノスのキスに溶かされた体の方もいよいよ限界だった。
「顔が赤いよルーシー。さっきから太ももを擦り合わせてるけど、"クゥちゃん"の心配をしてるのは本心なの? 本当は発情してることを隠したいだけなんじゃないか?」
「ひぁっ」
クロノスの大きな手が、聖女の正装着である白いワンピースの布地の上を這う。腰からお腹にかけて撫で回し、徐々に下がっていく手の平が恥骨の位置で止まり、そこをすりすりと撫でる。
「あっ……」
「ははっ、人前ではしたない声を出して。俺以外の男に聞かせたいの?」
「ん、やっ……ち、違う! ね、ねぇ。クロノスの魔法でクゥちゃんを見つけることはできませんか?」
シャンデリアが煌々と照らす玉座の間に相応しくない淫らな行為。
――いえ、どこであっても公衆の面前なら行儀が悪い。人前だと自覚しているならやめてもらいたいのですが。
しかし、クロノス相手に異を唱えられる者がこの国にいるわけもなく。
我々は何も聞いていませんし、見ておりません。そういったアピールなのか、整列している兵士たちは魂が抜け落ちたように動かない。
クロノスから見て右手側に控えている側近のアンドレイでさえ、気配を消しています。
「ルーシー、こんな遊びをしない? 今からキスをして、三分ぴったりで当てられたらルーシーの勝ち。ルーシーが勝ったら探しものを手伝おう。俺なら三分で見つけられる。俺が勝ったら、そうだな……明日一日、俺とデートしてくれないか。最初は近場がいいだろうから、王都にしよう」
クロノスの三分と、私の一日。全然平等じゃない条件だ。
「んむ……っ、ん、んっ」
返事を待たずに噛みつくようなキスが降ってきて、呼吸を奪われる。
これは提案ではない。はなから私に合意を求める気などなかったのでしょう。
何事もクロノスが思いついた時点で確定事項なのだ。理不尽だけれど。
「んんっ、ぷぁっ……あっ、ん、ん」
「はっ……ん……」
三分間――短いようで長い時間。私は頭の中で秒数を数え始めた。
クロノスは性急に粘膜同士を触れ合わせ、理性ごと絡め取ろうとしてくる。
それを抗いながら数えようとして、でもクロノスの舌の動きで頭の中までぐちゃぐちゃに掻き回されて。
私の中の時間は止まる。
「ん……っ、い、ま。今です……っ」
「ふふ……残念。もう六分が経ってる」
――ああ、やっぱり負けた。
「兵士は下がらせたよ。恥ずかしがるルーシーも可愛いけど、こんな無防備な姿を見るのは俺だけでいい」
キスの合間にクロノスが右目だけを閉じていたのはアンドレイへの指示だったようだ。
もうこの場にいるのは私とクロノスだけ。壁に掛けられた黒い時計の針は、クロノスの言葉が真実だと告げている。
クゥちゃんは就寝前には後宮へと戻ってきてくれた。ヴィルヘルム王国でもマイペースに過ごすつもりのようだ。
くれぐれも王宮の敷地外には出ないようにと言い聞かせたけど、わかってくれたのかしら。
心配させた罰としていつもより多めにもふもふした後、丸まったクゥちゃんを抱きしめながら眠りについた。
***
翌日――
朝から生憎の天気でした。分厚く真っ黒な雲に覆われた空。激しい雷雨と強い風が吹き荒れている。
今まで一度も外したことがないという宮廷魔術師の天気詠みの魔法によれば……今日はヴィルヘルム王国全土がずっとこの調子なんだとか。
出発予定であった午前十一時、クロノスと二人で正面玄関まで一応来てみたものの、扉を開けた瞬間に出歩くのは無理だと悟った。
「ほら見たことですか。あんな形で強引に約束を取り付けたりするから天罰が下ったんでしょう」
正直なところ。外の世界を見て回るきっかけができて、嬉しかった。今日を楽しみにしていたことも秘めておきます。
「…………」
私の挑発にクロノスは言い返してこない。思ったより落ち込んでいるのだろうか。
隣に立つクロノスの横顔を見上げると、彼は何事かをぶつぶつ呟きながら土砂降りの中へ進んでいってしまった。
「クロノス!!」焦って下の名前を叫ぶ。
「早く中に入ってください! 私も今日のお出かけが中止になったこと、本当は少し残念に思っていました! また日を改めまし――」
追いかけるのは躊躇われる大粒の強い雨。外に出れば一瞬で全身ずぶ濡れになるだろう。
でも、クロノスの頭上には雨粒が落ちない。まるでクロノスの存在を恐れているように雨は彼の体だけを避けていく。
クロノスの周囲には紫色に光る古代文字が渦を巻いていた。
雨の音にかき消されて聞こえないが、あれは上級魔術の詠唱だ。
ラグランジアには私も含めて詠唱を必要とするような強い魔法を使える者はいないから、初めて目にする。
魔力の強い流れを感じて、肌がひりつく。地上に落ちた雷が天に帰っていくみたいに、クロノスの頭上から伸びた一筋の光が黒い雲を貫いた。
切り裂かれた雲の間から陽が差し込んで。あっ、と思ったときには、どこまでも続いているように見えた雨雲は消え去った後だった。
「ええっ!?」
外に出てみれば、空は嘘みたいに晴れ渡っている。遠くのほうに大きな虹が二重にかかっているのが見えた。
「クロノス陛下、大変申し訳ございません! 天気詠みの結果が変わりました。本日の天気はヴィルヘルム王国全土、快晴。過ごしやすい一日となるでしょう」
先ほど天気を詠んでいた魔術師が、雨で湿った地面で跪く。
「えええっ!? 今の一瞬で国中晴れたんですか!?」
ぽかんと開いたままの口はなかなか閉まってくれない。
クロノスはそんな私の下顎に手を添えながらニヤリと不敵に笑った。
「それで、天罰がなんだって?」
「……い、いえ。今日は最高のデート日和ですね」
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更新待ってまーす
٩(ˊᗜˋ*)و
りんさん
読んでくださってありがとうございます!
感想まで嬉しいです!
今日から完結までがんばって投稿していきますのでよろしくお願いします!