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ランプの魔人Ⅱ

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男が来てから二か月ほどたったある日のことだった。
ふと眠りから目が覚めた。
もう一眠りしようと寝返りをうったが喉の渇きが気になって寝付けない。
仕方ないとベッドから起き上がり、台所に出て水を飲もうと足を下ろした。
寝室を出て居間へ。
僅かな明かりを頼りに時計を見れば時刻は深夜零時四十二分。
なんとも半端な時間に起きてしまったものだ。
グラスを取りだし蛇口から水を注ぎ、一息で一気に飲み干す。
一杯では満足できなかったのでグラスの半分程度までよそいで、今度は少しずつ含むようにして飲む。
ふと居間を覗けば、端の方でクッションソファの上で丸まって眠る男が目に入る。
こいつの眠るところを見たのははじめてかもしれない。
朝は俺が起きるよりも先に起きて部屋に差し込む光の中、置いてある本や漫画を読んで待っていることが多いし、夜はお互い好きなように振る舞い寝る頃になれば俺が先に寝室に引っ込んでしまう。
まぁ、こいつに許されたスペースはこの居間にしかないので、俺が部屋に戻らなければ寝れない訳なのだが。
なのでそれは少しの好奇心だった。
普段騒がしい男がどんな顔をして眠っているのか。
普段の行いの通り幼い顔をして眠っているのか、それとも何やら考え事をして難しい顔をして眠りについているのか。
足音を殺してそろりそろりと近づいてみる。
起きる気配はない。
それもそうだ、この家には俺とこいつしかいないし、いくら邪険に扱ったとしても殺してやろうだなんて物騒なことを考えたこともない。
ここにはこいつを害するものは何もなく、警戒する必要もないのだから。
それでも足音を殺したのは気付かれたらなんだか面倒なことになりそうだったからだ。
こいつのことだ。
寝顔を覗きに来たことに気付いたら、やだーエッチ!君ってムッツリさんなのね。だとかなんだとか好きなように盛り上がってしばらく揶揄いの種にしそうな気がするし、おそらくそれは外れてはいないだろう。
……なんだか面倒臭くなってきた。
今からでも遅くはないだろうから寝室に戻るべきだろうか。
でもここまで来たのに何の釣果もなく(こいつの寝顔が釣果だなんて、なんて価値がないんだろうか)戻るのもなんだかなと思っているうちに目の前まで来てしまった。
夜闇に紛れる褐色の輪郭は同じ男から見ても整っていた。
こうして目を閉じて黙っていれば、こいつは充分に美しいと言える顔つきをしている。
目鼻立ちは整っており外国人らしく彫りが深く、目尻はやや上向きに流れるように細く、鼻梁もすらりと通っており男らしく薄付きの唇が僅かに開いているのはご愛敬と言ったところか。
普段くるくると良く変わる表情一つがなくなるだけでこうも怜悧な印象に変わるものなのだなぁとしみじみした。
これで肌の色が白っぽかったら流麗な男を模した白磁の彫刻だと言われても信じたかもしれない。
いや、色黒だから黒曜石で作られた彫刻の方が雰囲気は近いか。
あぁ本当にもったいない。
天は二物を与えぬというが本当なのだな。
はじめから真面目な顔をして話していれば、今頃は三つの願い全てを叶え終えて次の主を見つけていてもおかしくなかったんじゃなかろうか。
つらつらと栓ないことを考えているうちに違和感に気付いた。
呼吸の音が聞こえないのだ。
月明かりもない、小さな豆電球の明かりで観察するとなると、かなり密着して顔を覗き込むことになる。
それだけ近づけば寝息のひとつくらいは耳に入ってもおかしくないのに全く聞こえないのだ。
口元に耳を近づけてみたがやはりなんの音もしない。
赤ん坊のように丸まって眠る男の手を取って脈を測ってみるとこちらも鼓動を感じられず焦る。
これは寝ているのではなく死んでいるのでは、と。
何をのんきに観察なんてしていたんだ。
肩に手を乗せ揺さぶってみる。
これでなんの反応もなければ会社で習ったうろ覚えの人工呼吸と心臓マッサージを試すしかない。
二度、三度と揺さぶっている内に、たわわにまつげを茂らせた瞼が漸う持ち上がり、茫洋とした眼差しがこちらを捉える。
「は? え? なに、もう朝? おはようございます?」
「寝ぼけてるのか? いやそんなことはどうでもいい。
 お前、呼吸も脈も止まってたんだよ。どこかおかしなところ……痛いところとかないのか。」
盛大に頭上へ疑問符を散らしている男に矢継ぎ早に言葉を投げかけた。
はじめは呆けた顔をしていた男はかけられた言葉への理解が追いついた瞬間、あからさまにその顔をしかめた。
失敗したと言わんばかりのその表情に嫌な予感を呼び起こされる。
「先に謝っておく。これから気分の悪い話をするよ。」
その言葉に居住まいを正す。
男もソファに埋もれるように丸まっていた体勢から身をずらし、こちらを真正面から見据える形を取った。
「僕は、ランプの魔人だ。
 人を模してはいるけれど、それは神代の戦士の死骸を素に作られたからで、その本質は道具でしかない。
 呼吸をすることも、瞬きをすることも、物を食べることですら本来は必要がない。
 それを行うのは素体となった戦士の記憶に刻まれた行動だからだ。
 それだって眠りにつく際には電源が落ちるように全て止まってしまう、絡繰り染みた行動だ。」
化け物なんだよ、僕は。
その言葉はころりと存外静かに部屋の中に転がった。
うまく、言葉を、受け止められない。
だから誰にも拾われることなく転がる羽目になるのだ。
理解は突然にやってきた。
頭の中で魔人の言葉がリフレインするごとに悍ましさは増し、受け入れがたい事実に総毛だつのを止められない。
魔人が視界に入るのも嫌で嫌で仕方なく舌打ちの一つすら溢すのが惜しいほどに存在を認めがたく苛立ちが収まらない。
「なんで黙ってた?
 化け物が他人様の真似事をして楽しかったか?」
尖った声を止められない。
魔人の前髪を掴み引き寄せるようにして凄んでみせるが、その双眸は硝子玉のように静謐でなにものも映さない美しさがまた人外染みていて気持ちが悪かった。
何も答えない魔人を放り捨てるようにして突き飛ばす。
引き寄せたそのあとすぐに突き飛ばすなんて自分で自分がわからない。
制御できない怒りがふいごを使ったかのように全身を巡り次の行動へと身体を突き動かす。
リビング脇の小棚の上から魔人の本体である古びたランプを持ってくる。
「小さくなれ。
 できるだろ、いつだか手乗りサイズになれるんだと言ってたものな?」
静かな部屋に衣擦れの音が響く。
魔人の着ていた寝間着代わりのシャツとハーフパンツがわだかまるその中央に、はじめて会ったときの装束を纏った手の平サイズの魔人が蹲っていた。
それをぞんざいな手つきで掴み、蓋を開けたランプの中に放り込む。
透けてしまったらどうしようかと思ったが、魔人を飲み込んだランプは相応の重さを持ち手に伝えるだけで中身が漏れ出ることはないようだった。
蓋をし中から開かれることのないようにもう一方の手でしっかりと押さえつける。
そのままリビングを横断し、寝室の脇にある机の引き出しからガムテープを取りだしぐるぐるとランプに隙間ができぬように巻いていく。
注ぎ口にまでしっかりとガムテープを貼り付けると、魔人の私服を収めていた紙袋に放り投げる。
中身が叩きつけられる音が響いたがそれを悪いとすら思わない。
その勢いのまま玄関まで向かい、ここ数ヶ月で見慣れたやや履き古されたスニーカーを手に取り寝間着代わりのシャツ共々紙袋に投げ込んだ。
燃えるゴミの日に出そうかどうか迷って仮にも人型をした物をゴミに出すのは気が引けて玄関に向けた足を元に戻す。
見たくないものを見ないためには普段目につかないところに押し込むのが一番だ。
物置として使っている収納棚の奥の奥に紙袋を叩き込む。
思いのほか大きな音が立ったが気にせず扉を閉める。
リビングに視線を戻せば、先程まで魔人が横になっていたクッションソファが目に入る。
魔人が来る前は結構な頻度で使っていたものだが、今ではあれのお気に入りと評していいほどに使い込まれたもので体温が染みついている気がして薄気味悪さを感じてどうしても使う気にはなれなかった。
結構な値段がしたが惜しむほどのものでもないしこれは粗大ゴミに出そうと決めた。
目が眩むほどの怒りで行動したが、このままでは寝付けそうになく冬眠あけの熊のようにぐるぐるとリビングを歩き回る。
明日も仕事がある。
だけど頭はこれ以上ないほど冴えている。
なんで黙っていたんだ。
なぜ人のふりをして良き隣人として振る舞ったんだ。
それを少しの疑問も抱かず受け入れてきた自分が信じられず気持ちが悪い。
寝間着を脱ぎ捨て風呂場に入ると蛇口を捻る。
夏に入りかけとはいえ時間帯もあり飛び上がるほど冷たい水が勢いよく髪と肌を濡らしていく。
だがそれが茹だった頭を冷やすようで心地がいい。
全て全て洗い流せとばかりに人工的な雨粒に顔をさらす。
物理的に冷やしたことで内から狂わんばかりに膨れ上がった熱が少し冷まされたような気がして水を被るのを止めて風呂場を出た。
髪と身体をタオルで拭いて床に散らばった寝間着を身につける。
火種は燻ったままだがこれ以上冷水を浴びるのは風邪をひきかねないし、眠れないまでも目を閉じていれば少しは身も休まるだろう。
時計を見ると二十五時を半ば過ぎていた。
随分と時間がたっていたことに驚き、慌てて寝室に向かい布団を被ってきつく目を閉じる。
早く眠れ、眠くなってくれと祈るように身体を丸め息を殺すがなかなか眠りは訪れない。
こんなことなら好奇心で寝顔を覗き込むんじゃなかった。
とんでもないものを覗き込む羽目になってしまった。
その日はなかなか寝付けずじりじりと焼け付くような焦燥感のまま夢の世界に旅だったからか大層夢見が悪かった。
それ以外の理由はないと言い聞かせる。
自分以外誰の気配もしない部屋は魔人が来る前と何ら変わったところはないはずなのになぜか広く寒々しいと感じてそれもまた腹の据わりが悪く居心地を悪くさせた。
その日は仕事でミスばかり連発してしまい同僚に迷惑をかけ通しだった。
だがあれの気配の残る家に帰りたくなくて必死で仕事を探して机にしがみつく。
食事も外で済ませた。
ただいまもおかえりもない部屋は、朝に感じたのと同じようにやけに広く寒々しく感じて、ここまで浸食されていたのかと思えば目眩を覚えるほどの怒りに震えた。
こんな生活がいつまで続くのだろう。
口を吐いたため息は思ったよりも大きく部屋の中にこだました。
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