悪役令嬢の双子の兄、妹の婿候補に貞操を奪われる

柳あまね

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第二章

第32話 不穏な呼び出し

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 昼休みの鐘が鳴った。
 俺は二限の教室を後にすると、食堂へと向かう人波にふらふらと合流した。

「さっきの授業、ダメダメだったわね」

 胸元のルミエールが呆れたような声を出した。
 まだ喋るなよ、と注意しようかと思ったが、周りの騒がしいはらぺこ学生達のおかげで、俺たちの会話が聞かれる心配はあまりなさそうだった。
 
「しょうがないだろ。この後のこと考えたら何も手につかないって」

 口元を手で隠し、欠伸をするふりをしながら囁く。
 
 幾何学の授業にて安い優越感に浸ったのも束の間、二限の音楽の授業は、いつも通りの冴えない結果だった。
 ルミエールに言い訳した通り、呼び出しの事が頭に残って気もそぞろだったのもあるが、授業自体が普通に小難しい。

 この授業、音楽と名前はついているが、歌も楽器もやらない。
 ましてや古典楽曲の鑑賞というわけでもない。
 "音楽理論"という、ほぼ哲学のような講釈を延々と聞くだけのクソつまらない授業である。
 
 その理論というのもなかなか宗教的……というか抽象的で、《音楽とは神の音楽と器の音楽に分かれ、その両方を組み合わせたのが人間の音楽であり、人間の音楽の中でも至高の発明が調和音でウンタラカンタラ……》みたいなのが、1時間半ずっと続くのだ。
 なかなか地獄だよな。
 教師の単調な言葉は俺の耳を右から左でちっとも頭に入ってこず、授業時間の最後の小テストは、見事に訂正だらけになって返ってきた。

「音楽なんて、魔法適正がないヤツ用に作られた必須科目だし。落第さえしなかったらいいんだよ」

 俺と違って魔法適正のあるヤツはこの時間、音楽ではなく魔法実践の授業に出ている。
 俺にくしゃくしゃメモを寄越したアイツらもそっちの方だ。
 呼び出しの場である演習場とは、その授業の行われる広場の事だった。
 
「あの調子なら確実に落第ね」
「うるさいな。それより、断然行きたくなくなってきた……悪口言われるとか、ちょっと殴られるとかならまだいいんだけど。ね、ルミエール、隠れて見ててよ。俺が危なくなったら、見つからないように適当に声出して。誰か来たと思ってあいつらが逃げるかもしれない」 

 情けないが、今朝のこの感じでは、他の生徒はおろか教師すらあてにならない。
 こんな些事に、恋人特権振りかざして一国の王子であるシリルを巻き込むというのも気が引けた。
 
 いまの俺にとって、この妖精だけが頼みの綱だ。
 俺の弱気発言に、ちょっと考えるように間を置いたあと、ルミエールは「わかったわ」とあっさり承知した。

  
――――
 

 魔法実践授業の演習場は、この学園が建てられる前、闘技場だった場所をそのまま利用したものだ。
 平たい円形の広場を、人の背丈の2倍はある石造りの壁がぐるりと囲い、同じ素材で出来た観客席が、闘技場だった頃から変わらぬ姿で残されている。

 指定された演習場裏とは、学園本棟とは逆の位置、環境保護の為に残された森林の手前側を指していた。

 高い石壁と鬱蒼と立ち並ぶ木々の影に挟まれたそこは、薄暗くじめじめと湿気っていてかなり雰囲気が悪い。
 さらに不穏な空気を背負った男共が待ち構えていれば、なおのことだった。

「お、来たな」
「逃げたかと思ったぜ」

 俺がその場に姿を現すと、手持ち無沙汰に座り込んでいた3人の男達が立ち上がった。

「何で呼ばれたか、分かってるよな」

 3人の中でも一番ガタイの良い、リーダー格らしい男が、偉そうに口火を切った。
 
 もちろん分かっている。たぶん。 
 クラスメイトながら、俺はコイツらの事をよく知らないが――
 ただ、エレーヌの数あるBFボーイフレンドの一部、ということだけはなんとなく察している。
 
「分かってるよ。大好きなエレーヌを聖女候補の座から引きずり下ろした張本人を、憂さ晴らしにイジメてやろう……って感じじゃないかな?」
「あ?」

 俺の明け透けな物言いが、相手の癇に触ったらしい。
 男の額に青筋が浮き、左右の二人は威嚇するようにポキポキと指をならした。

 俺は咄嗟に森の方へ視線を走らせた。
 木々の隙間から、数匹の妖精がフワフワと浮いているのが見える。
 あの中のどれかがルミエールだろう。

「君達も知ってるだろうけど、俺達兄妹はただ、真実を証明しただけだ。エレーヌは闇魔法の適性を隠していた……君達だって、エレーヌに騙されていた側なんじゃないのか?」

 説得じみた言い方にならないよう、俺はなるべく平坦な口調を心がけた。
 淡々と事実を提示してやれば、頭を冷やしてくれる可能性もある。
 妹のためなら殴られる覚悟もあるが、暴力沙汰を回避できる道があるならそっちの方が断然いいのだ。

 がしかし、俺の楽天的な考えは早々に打ち砕かれた。

「うるさい! 俺は……俺たちだけは、あの人が本当の聖女であることを知っているんだ」
「そうだ。あの清らかで優しい女性が、嘘をつくはずがない。全てはお前達ヴァンドーム家の用意した偽証に決まっている」
「痛い目に遭いたくなかったら、王の前に赴き罪を白状しろ。もし今俺たちが手を下さずとも、じきに天罰が下るぞ」

 三人の男が口々に叫んだ。
 それを聞いて、俺はやっと敵意の本当の源を理解した。
  
 (なるほど、そういう考えがあるのか) 
 
 彼らにとって、正しさとはエレーヌそのものなのだ。 
 どれだけ確固たる証拠があげられようと、エレーヌが是と言うものは全て是。
 聖女への信頼ではなく、彼女自身への信仰に近い。

 そんな彼女が、偽物の聖女として摘発された事実が受け入れがたいのだろう。 
 ぶつけどころのない怒りの捌け口が、こちらへ向いていただけなのだ。 
 
 (――となると、過ちを素直に認めたクレマンはかなり理性的だったな)
 
 もしかしたら、よく出入りしているという魔塔で、揺るぎない証拠を目にしたのかもしれないが。

 俺は目の前の男達を見回した。
 どいつも気持ち悪いほど真っ直ぐな目をしている。本気なのだ。
 不意に胸の奥が痛んだ。 

「そうか、お前達は……可哀想なやつらだな」

 これは思ったことがそのまま口に出ただけなのだが、相手は立派な煽り文句と受け取ったようだった。
 三人の形相が、一瞬で鬼のように歪む。
 
「ふざけんなよっ……」

 中心の男が俺の胸ぐらをつかみあげてきた。
 壁に押し付けられ、首がしまる。

 (う、呼吸が……)

 息苦しくて、俺のシャツを掴む手を外そうともがいたが、すぐに他の手が伸びてきて強い力で俺の両腕を押さえ込んだ。
 俺の体に、初めて焦りが走った。
 
「なぁお前、第二王子のなんだってな」

 下品な声が、耳元で囁く。
 ぞわり、と俺の腕に鳥肌が立った。

「どれだけ具合がイイのか、俺たちにもちょっと試させてくれよ」

 胸ぐらを掴んでいた手が離され、自由になったかと思った次の瞬間、俺のベストに手がかかり、力一杯引き裂かれてボタンが弾け飛んだ。
 
 (そっち――っ!?)
 
 予想だにしなかった展開に、俺は目を剥いた。
 暴力は嫌だが、この流れの方が100倍嫌だ。

 慌てて目の端でルミエールの姿を探したが、見当たらない。
 それどころか森の奥をちらついていた他の妖精すらも、全て姿を消していた。

 (アイツ! 一番ヤバイときにどこ行ったんだ……!)

 腕を押さえる力は強く、びくともしない。
 無力感が身体を襲った。

「お前のその生意気な態度、王子の後ろ楯あっての事だろうが……俺たちと"楽しく遊んだ"と知ったら、さすがの王子もお前に愛想を尽かすだろうな」

 言ってソイツは、くつくつと笑った。

 最後の足掻きと、目の前の男の金的を狙って唯一自由な足を振り上げたが、右側の男によって呆気なく止められてしまう。

「おい、大人しくしろよ」 

 舌打ちと共に、どこから取り出したのか、目の前に小型ナイフが突きつけられた。
 
「ほら、動くなよ。これはよく切れるぞ。風魔法を纏わせてあるからな……それに、手元が狂ってそのおきれいな顔が傷つけられるのは嫌だろ?」
 
「……っ!」

 その脅しの言葉は、俺には聞こえていなかった。
 ナイフの銀色を見た瞬間、体中震えが止まらなくなったからだ。
 脳裏に、この3日間俺を悩ませ続けてきた悪夢の光景がフラッシュバックする。

 助けてくれる人間が誰もいない状況、薄暗い空間、掲げられたナイフ――――
 
 (怖い、怖い……っ)

 恐怖が俺の全身を支配した。
 その場に凍りついたかのように、硬直する。
 さっき締め上げられた時よりも、さらに胸が息苦しくなった。

「急に大人しくなったな。あながち、まんざらでもないのか?」
 
 そう嗤った男の持つナイフの先が、俺のシャツの生地を引っかけるのが見える。
 その光景が、まるで他人事のように、俺の目には遠くに映った。

 (やめろ……!)

 叫びたいのに、声は出ない。
 恐怖が喉を押さえつけたかのようだった。

 逃げられない。助けは、来ない。
 胸元の白刃が、あの日と重なる――――
 

「何をしている」

 その時、低く鋭い声が、俺の悪夢のような空間を切り裂いた。
 男達はギクリと身を引いたあと、慌てて背後を振り返り、俺の身体は解放された。
 止まっていた時が動きだしたように、俺の額から冷や汗がどっと噴き出す。

「お、お前は……!」
 
 突如あらわれた第三者の顔を見て、男達は息を呑んだ。
 その者は、大きな体躯を油断なく構え、唖然とした様子の三人を睨み付けている。 

 その乱入者は確実に、俺にとっての天の助けだった。
 みっともない現場を見られた恥ずかしさを上回る安心感が、身を包む。
 俺は、思わずその名を呼んだ。彼は――
 
「アレク!」

 そう、バルタン伯爵家三男、アレクシス・バルタンが、威圧的なオーラをもってその場を牽制していたのだった。

 
 

 
 
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