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第二章

第30話 敖閏

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 貴族の屋敷では、夕食は豪華なダイニングルームで厳かに行うのに対して、朝は小さめの朝食室(といっても充分広いが)でカジュアルに一家団欒を過ごすのが定番だ。
 
 そんな朝食室に、ヴァンドーム家兄妹、加えてシリルの計四人が揃っていた。
 父と母は既に朝食を済ませ、朝の散歩へと繰り出しているようだった。

 大きな窓から、陽の光がさんさんと降り注いでいる。
 豪華すぎず、すっきりとしたデザインの調度品が朝日を跳ね返し、部屋に明るい印象をもたらしていた。
 俺は昔から、この気持ちのよい部屋が大好きだ。
 
 ミュゲはスタンドに載せられた殻付きの半熟卵に、カツン、と丸い重しを落とした。
 先だけ円形に割れた殻を、器用に取り除く。
  
「――で、君たちがなかなか朝食に来ないからさ。僕もメイド達も空気読んで放っておこうって言ったのに、ローズは自分で呼びに行くってきかなくて」

「ああ、それで……」

 俺が妖精にたかられた時、やけにタイミング良くローズだけが入ってきたと思ったが……朝食へ呼びに来た所だったんだな。
 俺がチラと見やると、ローズはパンを手にしたままプイと目をそらした。照れている。

「僕は今日で出発だし、折角なら一緒に食べたいからずっと待ってたんだけど、ローズも君たちも全然来ないんだもの」
  
 細身のスプーンを取ったミュゲの手が止まった。
 なにかを探すように、テーブルの上へ視線を巡らせている。
 
 すかさずシリルが、ミュゲへ塩の入ったポットを手渡した。
  
「あ、どうも。えっと……あぁ、それで、メイドに呼びに行かせるか迷ったんだけど、もしロジェの部屋が修羅場だったらそのメイドがかわいそうだろう? だから僕も直接そっちへ行ったんだ。そしたら……うん。それにしても、精霊士、ねぇ」

 ポットを抱えたまま、ミュゲが感慨深げに呟いた。

「あーあ、何でムエルテに戻る日に限って、こんな面白そうな事が起きるんだろう。魔道具ほどではないが、僕は妖精にも興味があるんだ」

 ミュゲが窓の外へ目を向ける。視線の先ではルミエールがあちこち飛び回っているのが見えた。

「ところでロジェ、あれは何してるの?」
「俺に付きまとわないよう、他の妖精に忠告してんだと」

 質問に答え、俺は暖め直されたスープを口に含んだ。
 
 精霊士の存在自体が世に知られてないとはいえ、出かける度に妖精をワラワラくっつけてたら、さすがに何かおかしいとあやしまれてしまう。
 なので、本人曰く妖精界では有名なお局……もとい年長者らしいルミエールが、ああやってせっせと釘をさして回ってくれている。
 
「ああ、なるほど。――ロジェの力を内緒にするというのは、僕も賛成だよ。そういうのは期が熟すまで、隠しておいた方がいい」

 意味深に言って窓から視線を戻したミュゲは、ようやくポットの蓋を開けた。 
  

――――  


 朝食を終えると、ミュゲが敖閏ゴウジュンを見にいこうと言い出した。
 こっちへ帰ってくるためにムエルテの皇子から借りたという、空飛ぶ生き物だ。
 そしてルミエールの言っていた"かわいこちゃん"でもある。

「敖閏はムエルテ帝国の南西、自然豊かなロガ帝国の生き物でね」
  
 ミュゲの先導で前庭を歩き、屋敷の門の横にある厩舎へ向かう。

「高い魔力を持ち、非常に賢く人懐っこい。額の角は、上質な恒体エシトとして有名だ」 
「恒体?」

 耳慣れない単語に、ミュゲのウンチク話の聞き手、ローズが聞き返した。
 
「簡単にいえば、魔力の発生源だよ。向こうでは、加工した恒体を魔道具へ取り付ける技術が研究されていてね。近いうちに魔力供給の自動化が実現するだろう」
「魔力供給の自動化……! 本当に、大国の技術はそこまで進んでいるのね」
 
 なにやら小難しい内容になってきたので、俺の耳は前の二人の会話を拾うのをやめた。
 
 俺の隣を歩くシリルがそっと寄ってきて、楽しげに言った。

「どんな生き物だろうね」
「さぁ。俺は何となく馬かなって思うんだよね。こう、羽のはえた……」

 ファンタジー的に言うと、天馬だったか。
 ミュゲは角がどうのって言っていたから、ユニコーンかもしれない。

 俺の声が聞こえたらしく、前を歩くミュゲがぷっ、と噴き出した。
 
「羽が生えた馬? ロジェはなかなか想像力が豊かだね」
「なんだよ。笑うなよ」

 ムッとした俺が言い返すと、ミュゲは口をおさえて前方を指差した。
 
「ごめんごめん。でも、全然違うから……ほら見て、ちょうど日光浴させているところだ」

 ミュゲの指の先には、厩舎の横の放牧地があった。
 屋敷で管理している馬が数頭放されている。
 その中に、ひときわ白く輝く、大きな生き物がいた。
 
 その生き物の周囲を妖精が囲んでいる。
 俺たちが近付くと、その妖精達はぱっと飛んでいってしまった。――ローズが少し寂しげな表情をした。

「これは、美しい……」

 白い生き物――敖閏を見たシリルが、感嘆の声をあげる。
 敖閏は確かに、天馬でもユニコーンでもなかった。

 それははじめ、白い大蛇に見えた。
 細長い体が、白銀の鱗でびっしりと覆われている。

 だが、蛇ではない。
 敖閏には、短い足があった。猛獣のような顔つきをしている。背には、豊かな鬣のようなものが生えていた。
 金の鋭い瞳は、神々しささえ感じさせる。
 そしてその額からは、2本の立派な角が伸びていた。

 その姿はまさに――

「龍だ……」

 俺は誰にも聞こえない小さな声で呟いた。
 まさに、敖閏は白い龍だった。

 敖閏は近寄る俺たちをギロリと見下ろし、俺とローズは思わず後退った。間近で見ると、かなり迫力がある。

 俺はローズの前に立ちはだかり、シリルが俺の前に出た。

 ミュゲは平気な顔で敖閏へ手を伸ばしている。
 その手のすぐ向こうに、大きな口が見えた。
 
 危ない、と声をあげそうになった時、きゅう、と意外にかわいらしい鳴き声を発したあと、敖閏は首を下げミュゲへ鼻面を擦り付けた。
 まるで、撫でろとでも言わんばかりだ。

「ね、人懐っこいだろう。この子の名前はブランカ。敖閏っていうのは種族名なんだ」

 敖閏改めブランカの瞼の上の辺りをかりかりとかきながら、ミュゲが得意気に振り返った。
 その手元にある大きな瞳が、気持ち良さそうに細められている。

「ええ」
「うん……」
 
 俺とローズが同時に頷いた。
 こんなに威厳たっぷりの見た目なのに、動作はまるで大型犬だ。
 シリルもソワソワと手を握ったり開いたりしている。きっと撫でたいのだろう。

「ほんと、かわいいわよねぇ」

 突然、うっとりとした声がすぐ耳元で聞こえて、驚いた俺は思わず声の方を手で払った。
 すると、風の塊を押したような変な感触とともに、白い光が視界の端を飛んでいくのが見えた。
 
「ぶへっ……ちょっと!」

 ルミエールの声だ。
 地面に叩きつけられる寸前でぐいっと方向転換をして浮き上がると、怒った声で俺に抗議してきた。

「あ、ごめん。でも、耳元で急に音がすると、こう……ゾワッてなるからさ」
「羽虫扱いしないでちょうだい! まったく……」
 
 怒りに任せしばらく乱暴に飛び回ったルミエールは、そのままブランカの白樺のような角にぴたりと寄り添った。

「あぁ……これよこれ。力が溢れるわ」
 
 風呂に浸かった年寄りのようなため息を漏らすルミエールに、ミュゲが反応する。
  
「おっ、どういうことかな? 君たちは恒体から直接魔力を得られるの?」
「恒体っていうの? この角。……そうね、こうやってぴったりくっついてたら妙に力が沸いてくるの。さすがに、魔物に対抗できるほど強くはなれないんだけど」

 その言葉に、俺は合点がいった。
 俺の部屋でルミエールが言いかけたのはこの事だったのか。

 ブランカの角によって妖精自身の力が若干強くなった上、で俺の魔力も一時的に増えたから、ギリギリ今朝の奇跡が起きた、というところだろう。

 (俺の魔力、どんだけ弱いんだ……)

 鍛練を怠ったのは自分のせいだが、何となく落ち込む。
 ひとり肩を落とす俺の視線の先では、シリルが至福の表情でブランカの鬣に手を埋めていた。

 
――――


 その日の夕方。
 父、母、ローズに俺と、数名の使用人達が屋敷の入り口の前で揃ってミュゲを見送りに出た。
 
 シリルはというと、昨日の件の後処理があるとかで、昼前には王宮へ戻っていた。
 
「じゃ、元気でね」
 
 に乗ったミュゲが、見送る俺たちへ手を振る。

「ブランカのこと、よろしくね」

 いやブランカに乗って帰らんのかい、と突っ込みを入れたくなるが、あんなに温厚なブランカでも、一緒に長距離を飛ぶのは人間にとってかなり辛いものらしい。
 
 もう特に急ぐ理由もないので、留学先へは陸路と船を乗り継いで戻る、とのことだった。

 ブランカはしばらくこの屋敷で預かり、そのうちムエルテ帝国のベテラン敖閏乗りが迎えに来るそうだ。

 軽く砂煙を立て去っていく馬車を眺めながら、父が深々とため息を吐いた。

「いやぁ、ここ数日は、生きた心地がしなかったなぁ」

 母が、深く頷いて同意する。
 
「ええ、本当に。でも、あなたも無事、元老院へ復帰できたことですし……やっと一息吐けますわ」

 と言いつつ、母の目はローズの短い髪を痛ましそうに見つめていた。

 その視線に気付いたローズは、肩を竦め、母を安心させるように微笑んだ。

「お母様、そんな顔しないで。私よりもロジェの方が辛い目にあったのよ」

 最後の方は若干皮肉が込められている。
 俺は乾いた笑いでごまかした。

 父がはっとしたように、俺へ向き直る。

「そういえばロジェも明日から学園に復帰するのだったな。……くれぐれも、殿下にはよろしく伝えておいておくれ」
「…………はーい」

 何が"よろしく"なのか深く考えるのを放棄した俺は、やけっぱちに返事をしたのだった。 

 
 
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