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第一章
第11話 シリルの想い
しおりを挟む「殿下! シリル殿下!」
背後から、自分を呼ぶ声がした。
僕は、王宮の階段にかけた足を静かに戻した。
振り向く前に一呼吸置く。
柔和な笑顔をしっかり貼り付けてから、背後の人物に顔を向けた。
「なんだい?……ああ、君か」
大臣の息子が、息せき切ってやってくるところだった。
名前はカール・ブルーマーと言う。
狡猾な父親と違い、凡庸を絵に描いたような男だが、従順で扱いやすかろうと陛下に薦められ、しぶしぶ側に置いている。
「シリル殿下、ご機嫌麗しゅうございます」
目の前にやってきたカールから、媚びへつらうような視線が、僕に向けられた。
この目付きにはもうウンザリだったが、表情に出さないよう、努めて平静に答える。
「カール殿も、元気そうで何よりだ……例の件、すっかり任せてしまってすまないね」
「いえ、とんでもない!殿下直々にお役目をいただき、光栄至極に存じます」
言ってカールは、深々とお辞儀をした。
「殿下のご指示通り、ヴァンドーム令嬢へは丁重に、穏便に対応いたしました。一応、調査の為に少々お髪の提供をお願いしましたが……本人には快く承諾いただきましたよ」
「そうか、よくやってくれたね。引き続き、よろしく頼むよ。彼女が無駄に傷付くことは、決してないように」
――ロジェが悲しむことがないように。
僕は、そう心の中で付け加えた。
妹が連行される時のロジェの顔は、見ていられない程悲痛なものだった。
そして、彼が突然その場に倒れた時――
慌てて駆け寄り、その歳の割に小さな体を抱え、蒼白な顔を見た時、僕は激しく後悔した。
ロジェは、この油断ならない灰色の世界で見つけた、唯一の光なのだ。
このまま、永久に目を覚まさなかったらと考えて、恐ろしさに身が竦む思いだった。
僕は、エレーヌ・ブロワがどういう人間で、ローズ・ヴァンドームがどういう人間かを、それなりに把握している自負はある。
嘘を吐いているのがどちらかは、火を見るより明らかだ。
しかし、状況はローズ嬢にとって圧倒的に不利だった。
心証ひとつで物事を決め付けてしまえる程、僕の立場は軽くはない。
「殿下?」
考え込んだ僕の顔を、何事かとカールが覗き込んだ。
「すまない、すこし寝不足でね。ぼーっとしていた」
カールの眉尻がぐっと下がる。
そして、訳知り顔で頷いた。
「シリル殿下は今、学生の身でありながら、ご遊学中のサミュエル殿下の執務もやっておられる。さぞお忙しいのでしょうね」
「はは……そうだね」
他人事な言い様に、つい、乾いた笑いがこぼれた。
このとぼけた男、ちょいちょい言動にイラッとさせられるが、今に限っては貴重な人材だ。
今回の件、僕もかなり微妙な立場に立たされている。
教会そのものに、国王陛下。表立ってローズ嬢の擁護をするには、エレーヌの後ろ楯が強すぎるのだ。
そこで、悩んだ僕は調査の責任者にカールを任命した。
教会にも国王陛下にも関わりの薄いこの男(あまり頭がよくないので大臣からも期待されていないのだ)は、どうにかローズ嬢の状況を覆す証拠が出るまでの時間稼ぎとしてちょうど良い。
有能すぎず、かといって無能とも言えず、まさに都合の良い人間だった。
「そういえば、兄の方は無事に目覚めたようですね。予定どおり、次の休息日に尋問を行います」
「……ああ。そちらも、」
「ご安心ください。つつがなく。殿下のご期待に添えるよう尽力いたします」
少しでも自分を有能に見せたいのだろう。
カールはわざとらしくキビキビと話し、大袈裟に礼をとった。
そして、ふと思い出したかのように、そういえば、と続けた。
「ブロワ男爵令嬢の方は、どうなりましたか?陛下の御言で、シリル殿下がお預かりになったとうかがいましたが」
嫌な伝わり方だ。噂の出所は、分かりきっている。
国王陛下――父上は、どうあってもあの女と僕をくっつけたくて、外堀を埋めるのに必死なのだ。
「僕個人ではなく、王宮で預かっている。彼女は怪我をしたその日のうちにすっかり元気になっていたよ。教会の者が治療者を大勢送りつ……派遣してくれたお陰でね」
ローズ・ヴァンドームを処刑しろと喚きたてる教会関係者への対応を思い出し、思わず僕は遠い目をした。
なぜか、目の前の男もどことなく渋い顔をしている。
「ちょうど、今からその令嬢の様子を見に行くところだ。元気になったからには、そろそろ帰ってもらわねば。気になるのなら、君も来るかい?」
思い付きだが、良い案だと思った。
僕ひとりで令嬢の部屋へ訪れるよりも誰か一緒の方が、陛下の期待する“噂“からはほど遠くなる。
しかし、カールはその提案に激しく狼狽えた様子だった。
「わ、私もでございますか?いえいえ、滅相もない。おや、こんな時間だ! 殿下、お忙しいところ引き止めてしまって申し訳ごさいません。わたしはこれで失礼いたしますね」
いつものおべっかもそこそこに早口で言い切ると、そそくさと立ち去っていった。
「何だったんだ……」
仕方がない。令嬢の部屋へは、一人で行くしかない。
さっさと行って、帰れとだけ言ってすぐ出てこればいいか。
僕は深くため息を吐いた。
――――
「ブロワ男爵令嬢。入ってもよろしいですか」
エレーヌに与えられた部屋をノックすると、何かを落とすような物音がして、やがて中から慌てた様子の青年が飛び出してきた。
「君は……」
どこか見覚えがある人物だ。
だが名が咄嗟に出て来ず、首を捻る。
「シ、シリル殿下……!?私はえっと、きょ、教会の指示で彼女の様子を見に。あの、では、失礼いたします」
気まずそうに会釈をとると、その青年は逃げるように立ち去ってしまった。
そうだ。“教会“の一言で、思い出した。
依然として名は思い出せないままだが、あの青年は教会関係者だ。
若くして司祭の座に任命された、有望な出世株だと噂で聞いたことがある。
……そういえば、先日の騒ぎの場にもいたかもしれない。
「殿下、早くお入りになってくださいな」
鈴を転がすような声がしてそちらに向くと、不快な光景が目に入り、僕は思わず顔をしかめた。
エレーヌは、不遜にもベッドの上に足を崩して座っていた。
黒い長髪を解き、はしたなくも薄いネグリジェ姿のままで、生脚を露にしている。
さっきの青年と何かあったのか、肩紐はずれて頬は薄く上気していた。
「……失礼した。しばらく外にいるから、身を整えてくれないか」
すぐに顔を逸らして言うと、エレーヌはくすくすと笑った。
「あら。私、このままでも平気ですわ」
するりとベットから滑り降りたエレーヌは、素早くこちらへやってきて、部屋から出ていこうとする僕の腕を強く掴み、引き止めた。
「ね、殿下……」
エレーヌは、こちらの胸に頬を擦り寄せた。
僕は、深くため息を吐いた。
「エレーヌ・ブロワ男爵令嬢。君は自分が誰に何をしているか分かっているのか?極めて不愉快だ。手を放してくれ」
このビッ……令嬢は、離れるどころかますますぐいぐいと体を押し付けてくる。
「そんな突き放すような事、おっしゃらないで。私……とても寂しくて。ヴァンドーム侯爵令嬢からは危うく殺されそうになるし……なんだかとっても不安ですの」
いけしゃあしゃあと。
流石に怒りを覚えた僕は、とうとうエレーヌをひっぺがそうと、そのむきだしの肩を掴んだ。
いい加減離れろ、と声を荒らげようとしたその時、背後に開け放したままの扉が、ガタリと音を立てた。
「あ……」
微かに聞こえた呟きに、僕の背筋はサッと冷水が通ったかのように凍りついた。
それは今、一番聞きたくない声だった。
なぜ、ここに。
すぐさま、その場から走り去る軽い足音が聞こえた。
「あら」
どこか興ざめしたようなエレーヌを押し退け、慌てて部屋を出る。
揺れる金髪のきらめきが、風のような速さで廊下を遠ざかって行くのが見えた。
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