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第一章
第6話 悪役令嬢
しおりを挟むちゅ、ちゅ、と身体中にキスの雨が降るのを、俺は赤くなった手首をさすりながら甘んじて受け入れていた。
ソファや俺の体にこびりついたよごれを、シリルは念入りにチェックしながら、甲斐甲斐しく魔法で綺麗にしている。
どういう原理なのかは検討もつかないが、何となく高度なことをやってるんだろうな、と気だるさの残る頭でぼーっと考えた。俺は魔法の勉強はからきしなのだ。
(第二王子殿下にこんなことをさせるなんて)
不敬罪で捕まってもおかしくないな。
いや、それ以前に俺の立場は大分危うい位置にいるだろう。完全なる浮気相手だ。
あ、でもまだ婚約はしてないのか。果たして男同士は浮気に入るのだろうか。ローズはいい顔をしないに違いない。
シリルがようやく俺の服を整え終えると、荒々しい足音が部屋の外から聞こえた。
どんどん、と強くドアが叩かれる。
切羽詰まったような、アレクシスの声が聞こえた。
「ロジェ、まだいるか! お前の妹が……」
「ローズがどうしたって!?」
俺はシリルに声をかけるのも忘れ、跳び上がって扉の前まで走り、鍵を開けると部屋の外へ転がり出た。
あまりの勢いに、アレクシスは数歩後退りをした。
「あ、ああ……ごほん、お前の妹、どこにもいないんだ。早めに帰ったのかと思ったが、馬車はまだあるし……誰に聞いても、知らないとしか」
さぁっと俺の顔から血の気が引いた。
悪い想像が次から次へと頭に浮かぶ。
誘拐か、事故か。もし不届きな輩に連れ込まれて、さっきの俺みたいなことに……
つい俺は、すぐ隣で話に耳を傾けているシリルを横目で見た。
顎に手をあて、真剣な顔で考え込んだ様子のシリルは、やがて口を開くとアレクシスへ鋭く尋ねた。
「まだ探してない場所は」
「あとは……中庭がまだ。しかし、あそこは出入り口を警備の者が見張っておりました」
「だが、あれだけ広い場所だ。王宮といえど、抜け道のひとつやふたつ、あってもおかしくはないだろう」
はっとしたように、アレクシスが顔を上げた。
俺は既に走り出していた。
「あ、ロジェ!待ちなさい、あそこがどれだけ広いと思って……」
引き留めるシリルの言葉は無視をした。
ローズ、ローズ……どうか、無事でいてくれ。
中庭へ急ぐ道中、俺と同じく誰かを探している様子の、城の騎士たちとすれ違った。
「……ブロワ嬢が、……」
「急げ……」
漏れ聞こえた会話を聞くに、どうやらエレーヌも行方が分からなくなっているようだった。
やはり、何かあったんだろうか。
一抹の不安を抱えながら、俺は城の中庭へとひたすらに走った。
――――
どこをどう走ったのか、気づくと俺は、警備の騎士にみつかることもなく中庭へ出ていた。
少し強い風が、俺の髪を揺らす。
と、俺は気になることがあり、くん、と鼻を動かした。
これは……
「ローズの香水の匂いだ……!」
俺はローズの普段の香水に加え、パーティ用の香水の好みまでしっかり記憶している。双子の兄であるからには、そこまで把握していて当然なのだ。
とはいえ、これを知った本人から生ゴミを見るような目付きで睨まれ、3日は口をきいてくれなかったのは記憶に新しいが……まさかこの能力が役に立つ日が来るとは。
匂いを辿り、俺の背よりも高いバラの生け垣で作られた迷路を抜けると、そこには見事なガゼボがそびえ立っていた。
バラの迷路を見渡すためなのか、一般的なガゼボよりかなり高い造りだ。
そのガゼボから、光が漏れていた。
中に人影が見える。
ローズだ!
強い風のせいか、こちらには気づいていないようだった。
「――ないでって、言ってるの」
こちらへ漏れた声に、ガゼボへの階段を登ろうとした俺の足は、ピタリと止まった。
エレーヌの声だ。俺は反射的に階段の裏に隠れた。
なんで隠れたかって、さっきの今だ。
どんな顔をして会えばいいのか分からない。
何ならいますぐ逃げ出したい。
そんな俺を嘲笑うかのように、びゅーびゅーと吹きすさんでいた風がピタリと止んだ。
彼女たちは真上にいる。動いたら物音で俺がいることがバレてしまう。
万事休す。俺はその場に凍り付いた。
風が静まったおかげで、真上で交わされる会話が丸聞こえだ。
俺は盗み聞きの罪悪感まで背負うことになった。
「――自分が悪役令嬢を引いたからって、人の邪魔をしていい理由にはならないわよ?」
「何の話かしら……?」
やはり、エレーヌとローズの声だ。
エレーヌがやけに高圧的な喋り方なのと、“悪役令嬢“のフレーズが気になった。
はじめて聞く単語のはずなのに、やけに耳馴染みがある。
ひとり首をひねっていると、エレーヌが叩きつけるように言葉を続けた。
「しらばっくれてもムダよ。あんたのカワイイ兄貴の話に決まってんでしょ」
俺はびくりと肩を揺らした。
冷や汗が背中を伝う。まさか、さっきの事がもうバレ……
「あんたの兄貴があたしになびかないせいで、いつまで経っても分岐ルートに入れないのよ!」
「はぁ……?」
珍しくローズが間の抜けた返事をする。
妹よ、俺も同じ気持ちだ。エレーヌが何を言っているのか一言も理解できなかった。
「ったく、分岐のキィになる会話の発生条件は完全に運任せだっていうのに……まず好感度が上がらないんじゃ、イベントひとつ起こせやしないじゃない!だいたい、妖精のイベント自体が……」
エレーヌは喋りながら思考が止まらなくなったのか、こちらには聞こえない一人言をぶつぶつと続けている。
訳が分からない。彼女は俺と同じ言語を話しているのか?
俺の口はぽかん、と開きっぱなしだ。きっとローズも俺と同じ表情をしているだろう。
「ブ、ブロワ嬢……つまり、あなたは私の兄に想いを寄せている、ということでよろしいのかしら?」
ローズがひとまず会話をまとめようと、ゆっくりと切り出した。
この優しさ、気配り。さすがローズだ。並みの令嬢はここまで頭が回らないだろう。
「何気持ち悪いこと言ってんのよ。分岐ルートがなけりゃ、あんな女男……友達としてもお近づきになりたくないわ」
エレーヌが鼻で笑った。
何てやつだ。この××××!×××!
心の中で思い付く限りの暴言を吐いて幾分かスッキリした俺は、エレーヌの言葉にそういえば、と辺りを見回した。
妖精が、少なすぎるのだ。
妖精とは、意思を持たないエネルギー体のようなもので、実体はなく、微かに発光しながら宙をフワフワと浮いている。
草木の多い環境ならばどこでもうじゃうじゃ漂っているものなのに、今は俺の側に白いのが一匹うろついているだけだった。
「それにしても……あんた、本当に違うのね。あたしが何を言っているのかまるっきり分かってないって顔よ」
「ええ、あなたの事がよく分からないわ、ブロワ嬢……ねぇ、早く戻りましょう。皆が心配するわ」
ローズが諭すように言うと、エレーヌは急に高笑いを始めた。
「アハハッ、ええ、そうね。もうすぐ心配した皆が迎えに来るわ」
その言い方はまるで、これから起こることを確信しているようだった。
「ブロワ嬢、あなたそれ、何を持って……!」
ローズが何かを見て驚いたような声を出した。
何事か、と飛び出そうとして、俺はぎりぎりで止まった。
遠くから、人を呼ぶ声が聞こえる。
「シナリオに、大きな狂いがあるの。わたしはそれを正してあげなきゃいけないわ」
その時、急にひゅ、と寒気がして、まるで誰かに肩を抑えられたかのように、俺はその場から動くことができなくなった。辺りが一瞬真っ暗になったような気がした。
そして、おぞましいような瘴気と、獣のような唸り声が、ガゼボの中から漏れ出してきた。
エレーヌの悲鳴がその場に響き渡る。
「いや! ローズさま、おねがい、やめて、キャァァァ!」
そして、どさり、と嫌な音がした。
やっと動けるようになった俺が、階段の裏から飛び出すと同時に、城の騎士たちとシリル、アレクシスを含む数名の貴族や令嬢が、バラの生け垣を抜け姿を現した。
そして、その光景に、皆が唖然とした。
ガゼボの中には、目を見開き、己の口をおさえて硬直したローズと、なにやら黒くてでかい異形のモノ――魔物が並んでいた。
「ローズ!」
あわてて階段を駆け上がり、魔物とローズの間に割って入る。
魔物の複数ある目玉が、ぎょろりとひとつ残らずこちらを見据えた。
もじゃもじゃの大きな手のような部位から生えた、長くて鋭い爪が、物騒に揺れている。
「ろ、ローズ、大丈夫だぞ。俺が守ってやるから……」
足がぶるぶる震えるのを抑えられない。俺の声もぶるぶると情けなく震えていた。
「ロジェ、動くなよ」
アレクシスの声が聞こえた――と思った刹那、魔物へ向かってひらめく光のような剣技が浴びせられた。
一刀両断。見事まっぷたつに裂けた魔物は、断末魔の叫びと共にでろでろとその場に溶けだし、やがてチリひとつ残さず消え去った。
危なかった。……ちびるかとおもった。
正直その場に座り込みたいのを我慢して、アレクシスに向き直り、その手を握ってぶんぶんと振る。
「ありがとう、アレク……! 君は俺の、いや、妹の命の恩人だよ! ね、ローズ、もしこんな頼もしい人がお婿さんだったなら…………あれ、ローズ? どうした?」
ローズが、ガゼボの下のある一点を、真っ青な顔で凝視している。
アレクシスは、そんなローズを見つめ……いや、注意深く観察しているようだった。
魔物に意識を持っていかれて気付かなかったが、確かにガゼボの下が騒がしい。
手すりの向こうを覗き込んで、俺は息を呑んだ。
エレーヌが、血を流して倒れている。
その足が、あらぬ方向に折れ曲がっているのが見えた。
(そうか、さっきのどさり、って音は……)
エレーヌがここから落下した音だったのだ。
応急措置を終えたのか、シリルが彼女を抱き起こす。
その胸にすがったエレーヌは「ローズさまが、いきなり魔物を召還して……」とだけ言い残すと、そのままばったりと気絶してしまった。
その場にいた全員の目が、こちらを向く。
――ローズの冷えた手が、俺の腕をぎゅっ、と握りしめた。
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