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雨音のエチュード

悠人の退院が決まった。その日の夕方…コンビニに行くと言って出て言った花音が帰ってこない…外はどしゃぶりだった…

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日にちが過ぎるのも早く、悠人の退院の日がやってきた。花音の両親は悠人の退院の前日ではあったが仕事の都合上帰らなくては間に合わないと、『申し訳ない』と謝りながら前日にアメリカへ発っていた。しかしながら運転をさせる訳にもいかないとして、新崎が迎えに来たのだった。花音が帰りの身支度をし、悠人は『大丈夫』と言いながらも座らされていたのだった。

「ねぇ花音、俺ならもう大丈夫だから…」
「ん…でも、先生から無理しちゃダメだって聞いてるし。」

そういい手際よく片付けていった花音。しかしどこかぎこちさが残っている。そんな時にふと場の空気を和ませるべくと言わんばかりに新崎が病室に入ってきた。

「よ、おはよう」
「おはよう、悪いな…頼んじゃって」
「いいって事よ。花音ちゃんも一緒に行くだろう?」
「…はいお願いします」

軽い会釈に、いつも通りニコリと笑う花音に笑みを返す新崎。退院の時間も迫り、看護師を呼んで室内の点検を頼んだ。滞りなくOKをもらうと荷物を持って会計に向かう。クレジットカードで支払い、そのまま頭を下げて病院を後にした三人。悠人も久しぶりの外に嬉しそうに眼を細めていた。昼食もゆっくりと三人で食べ、買い物をして帰った。荷物を新崎に手伝ってもらいながら運び入れて、新崎は帰っていく。ソファにもたれ、座り込んだ悠人に花音は問いかけた。

「お夕飯、どのくらい食べれそう?」
「少しでいい…ありがとう。俺が作ろうか?」
「せめて今日明日は休んでて?」
「…クス…解った」

そうして花音が作る事になった。ゆっくりと、しかし一生懸命に作る。それなりの時間に仕上がって、悠人をヨビ一緒に食べ始めた。なかなかゆっくりとしながらも、それでも『おいしい』と言って食べる悠人。しかし、俯いたままなかなか悠人の目を見る事が出来ない花音。カチャリとカトラリーを置いた悠人は花音をじっと見つめて口を開いた。

「…ねぇ花音。」
「なに?」
「俺を見て?」
「何よ、どうしたの急に…」

それでもなかなか目が合わない。あの事を知るまではいつでも、どんな時でも目が合っていたのに…

「花音、もし俺があの時に奥様に話したことでうまく話が出来ないのであるなら、忘れてほしい。俺があの時に言ったこと。」
「悠人…?」
「俺は花音に悲しい思いをさせたい訳じゃないから。二人で笑い合っていきたい。そう思っているのは嘘じゃないから。」
「……ッ」

そう話しながら食事を済ませた。入浴の準備を済ませて、悠人を先に入らせる。思いつめた様子の興上のまま花音はメモを残して屋敷をそっと後にした。

カタン…

小さく閉められた玄関のドアの音が微かにしたように思えた悠人。胸騒ぎと同時に浴室から急いで出る。リビングに入るとそこには花音の姿はなかった。

「花音!…どこだ……・・?」

テーブルの上のメモを見付けた悠人。そこには『コンビニに行ってきます。すぐ戻るからね』と見慣れた字で書いてあった。

「コンビニか…俺の思い過ごし…か」

そうして花音の帰りを待つ事十分…三十分…と時間だけが過ぎていく。屋敷の外からはポツポツと雨が降り始め、瞬く間に本降りと化していった。しかしそれからさらに三十分が経つ。

「…花音?」

携帯を取り出し、電話を掛ける。しかしすぐに聞こえてきたのは『お繋ぎできません』というありきたりの機械音…悠人の脳裏に浮かんだのは以前の花音の事件だった。本人はコンビニに行くと言って出掛けた。何か買うものが足りないのか…そうも考えていた。

「花音…」

しかし悠人が浴室から上がって一時間以上が経過していた。

「…あのバカ…」

もういても経っても居られない悠人。着の身着のままで車に乗り込んだ。運転をしながら車内に搭載されている通話機能を使って新崎に電話を掛ける。

『もしもし?どうした?』
「弘也、そっちに花音行ってるか?」
『花音ちゃん?来てないけど?』
「そうか、解った」

そうしてぶっきらぼうにブツリと切った。折り返し悠人の携帯に弘也からかかってくる。

「花音か?」
『残念、俺。花音ちゃんどうした?』
「居なくなった…」
『は?』
「コンビニに行くって言って一時間以上だ…」
『おい、悠人。今どこに居る?』
「探しに来てる。また後で連絡する。」

そうして通話を切った悠人。それから花音にいくら電話をかけても通じる事は無く、冷たい音声だけが悠人の耳に五月蠅く響いた。そんな悠人の携帯に新崎からメールが届く。『俺も探してみるから』と…

一方、そんな時…花音は一人公園に居た。もちろん傘何てさしていない。コンビニに行くと言っていたその目的なんてなかった。ただ、悠人の傍に居たいような…居たく無い様な…もどかしい気持ちだけを抱えていたのだ。ベンチに座り、びしょ濡れになっている花音。ぼーっとして、何も見えない様な…そんな様子でただ俯いて座っていた。

「…いい加減帰らねぇと、風邪ひくぞ?」

自身に当たる雨が止んだと思った次の瞬間、頭上からそんな声が聞こえた。ゆっくりと顔を上げるとそこには見知った顔がぶっきらぼうに傘をさして立っていた。

「工藤…さん」
「悠人は?あいつはいない…ッ?」

そう、傘をさしていたのは工藤だった。その顔を見た途端、花音は一気に気持ちが溢れ出し、工藤に巻きついた。

「おい…ハァ…」

そのまま服を握りしめ、花音は工藤の胸で泣き続けた。一つため息を吐いた工藤は花音に自身の来ていた上着をかけて家へと連れ帰った。

「ただいま」
「あら…お帰り!…って、その子誰?」
「悠人のとこのだ。雨にずぶ濡れでぼけっとしてたから見付けた以上連れてきた。悪い、シャワーと着替え…頼んでいいか?」
「わかったわ?」

そうして工藤のマンションに着いていき中に入ると一人の女性が居た。その女性に任せて工藤は買ったものを冷蔵庫に入れ悠人に連絡を入れる。

「もしもし?」
『陣か、悪い。後で掛け直す。』
「まて、探してる相手なら、今家に居る。」
『…どういう事だ…』
「詳しい事は解らんが、公園でずぶ濡れになってたから僕の所に連れてきた。大分泣いていたが?」
『すまない…すぐに行く』

そうして悠人とも連絡がついて一安心、といった様子でソファに腰を下ろす工藤。隣にやってきてコーヒーの入ったカップを差し出した女性はにこりと微笑んで肘掛けに座った。

「あの子が悠人さんのお気に入りなのね。かわいい子」
「なんだと思った…」
「またかわいい子猫ちゃん拾ってきたんだって思った」
「僕が今まで猫を拾ってきたことがあったか?」
「さぁ?どうだったかしら…」
「それよりも、急に連れてきて悪かったな」
「問題ないわよ、大丈夫。あなたの口唇が奪われちゃわない限り…わね?」
「…問題はそこか…」

そういう陣の口唇にそっと顔を近付けるその女性。しかし寸でで止まった。

「どうした?」
「どうやら上がったようよ?」

その言葉の数秒後にカタリと音がしてその扉が開いた。

「あの…これありがとうございます。」
「いいのよ。私ので悪いけれど。」
「いえ、そんな…」
「さ、こっちに来て。座って?」

そう促すとコーヒーをカップに注ぎ、コトリと置いた。そのまま陣に女性は目くばせをして部屋から出て行った。

「それで、悠人は知らないみたいだったが?」
「…ん。」
「自分の父親が殺人鬼の集まりを指揮し、指示を出していると言うのが気に入らなかったか?」
「気に入らないとかじゃない…」
「怖くなったか?」
「…怖くない訳無い…だって…殺し屋…だよ?」
「そうだな。だけどそれを知った上で君は悠人を選んだんじゃないのか?」
「好きになった時にはそんな事知らなかった。」
「知った後に気持ちは冷めたか?」
「…ッッッ」

黙ってしまった花音。そんな様子を見て工藤は前かがみになり、花音に問うた。

「想いが冷めていないのに諦めるのか。」
「…それが悠人にとって…いい選択だと思う…」
「自己満足だな。」
「…解ってる…」
「傲り以上の何物でもない…それを本当に悠人は望んでいると思っているのか?悠人の気持ちを知らない訳ではないだろう?」
「解ってるよ!…解ってるけど…」

そんな時だった。家のチャイムが屋内に響いた。工藤と同居している女の人が出ると、話し声がする。しかし、時期にバタバタと騒がしくなり、悠人がバンっと扉を開けた。

「花音!!」
「意外に遅かったな。それよりのもう少し静かに入ってこれないのか?」
「悪い、助かった。」
「とりあえず座ったら?」
千草ちぐささん…すみません」

そうしてソファーに座る悠人。ふっと息を吐いた後に工藤が花音に話を続けた。

「君は悠人が目の前に居ても、さっき僕に話したことがいえるか?」
「陣?」
「黙って聞いてやれ。」
「私は…私は悠人が怖い…」
「…花音…?」

そうして悠人に花音は自身の思いを吐き出した。関を切ったように話した花音の言葉を全て聞き逃さない様に悠人は耳を傾け続けた。

「でも…それでも私は悠人が…好きなの…悠人がどんな仕事をしていたとしても、私は悠人が好きなんだって…悠人が死にそうになった時…本気でそう思った。でも…仕事内容よりも…私と悠人は侍従関係なんだって…そう思ったら…どうしていいか解らなくなったの…」
「花音…」
「しかし、君と悠人は侍従関係であったとしても、親兄弟ではない。ましてやどちらかが既婚者という訳でもない。だとしたら、何を縛ることがある?それがたとえ相手が法であったとしても、君たちを裁けるものなどいないじゃないか。それでもまだ君は悠人との関係に恐れがあるのか?」

そう言い切った工藤。クスクスと笑いながらキッチンの方で洗い物をしている千草。悠人は少しだけ間を持って、花音を見つめて話し出した。

「俺は花音に対する気持ちは奥様に話したのと何ら変わりない。それどころかもっと強くそう願うようになった。だからもしも、NDLとしての俺を受け入れられないというなら俺は契約を切ったっていい。でもそうでなく、花音の中での引っ掛かりがNDLでなく、侍従関係がという事だけなら俺はそんなの関係ないと思っている。だからなんだ…俺は花音を愛している。花音も俺を好いていてくれるならそれ以上に何を求めることがある…花音が居て俺が居る…それが一番の幸せじゃないのか?」

そういう悠人。その言葉の途中から、花音の頬を涙が伝っていく。話し終えた後、悠人はそっと花音の頬の跡を拭っていた。

「心配かけた。不安にさせてごめん。それでも俺は花音の傍に居たい。これから何年と言う年月を花音と一緒に歩んでいきたい。俺が出来る範囲で、全身全霊で…花音の事を守るから。」
「悠人…」
「こうして最愛と思える女性に出会えたんだ…侍従関係と言うだけで終わらせられねぇだろ…」

くはっと眼尻を下げながら悠人は笑っていた。

「悠人……」

きゅっと悠人の腕を握りしめ、凭れかかる花音。そんな二人を見た工藤はコーヒーを一口飲みながらポツリと呟いた。

「あのなぁ、いちゃつくなら屋敷に帰ってからにしてくれ。ここではとてつもなく邪魔で仕方がない。」
「あ…ッッ…」

我に返った二人は顔を見合わせて小さく笑った。そうこうしている間に花音の服も乾き、着替えをする。服を持ち帰ろうとした時に千草に止められた。

「いいのよ、構わないで?」
「でも…」
「大丈夫!家で洗うわ?」

そういいながら笑ってくれる千草の表情に花音は温かな感情になった。二人揃って工藤の家を後にしたその背中を見送った工藤と千草。

「ねぇ陣?」
「ん?」
「悠人さんもあんな風に笑うのね。私初めて見た。」
「彼女と一緒でなければ誰だって見る事は出来ないだろう。」
「そうね、私に対しても一度だって見せてくれなかったのに。」
「…ほぅ?僕が居ながらまだ悠人に未練でも?」
「違うわよ…ン」

答える間もなく千草の口唇は工藤に塞がれていた。そのまま千草は工藤の腕の波に浚われていった…・・
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