神が去った世界で

ジョニー

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第4話 邪教徒

第31話 公太子の本心

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 セントリバーは高地アインを源流としてカーネリア大陸東部を北から南へ斜めに縦断する大河である。
 川幅は小さな町が1つ入る程もありキャラバンがそこを越えるには道路が必要だった。そこでこの大河を渡るために利用されるのが、数百年前に先人達が10年の歳月を掛けて建造したとされる大橋「グレイトブリッヂ」だ。この橋をを二刻ほど掛けて渡る形で大河を越える事となる。

 グレイトブリッヂは公路マーナユールを構成する橋でもあり、複数の国家が人材と金を出して常時コンディションを確認する検査を繰り返す程に重要視される建造物である。
 橋の両端には関所と兵士達の詰め所が設けられており、カーネリア王国とセルディナ公国が管理護衛の任を負っていた。


 シオン達を乗せたキャラバンが野営を終えてグレイトブリッヂを越えたのは公国を出てから2日目の朝だった。3人は橋を渡りきった所でキャラバンを降り、此所からペールストーンの丘を北に向かって踏み込んでいく。
 遠ざかって行く馬車影を名残惜しそうに見送るセシリーを促して3人は歩き始めた。

 セントリバーを左手に見ながらモミやナラで構成された樹林の中を歩いて行く。丘陵地帯のため道の高低は激しいがやや肌寒いくらいの気候が3人を暑さから救ってくれていた。

「セシリー、歩くのが速いか?」
 シオンが最後尾のセシリーに声を掛けた。彼女は息を荒げながらも無言で首を振る。が、明らかに彼女からしたらオーバーペースかも知れない。

 ――少しペースを落とすか。
 シオンがそう考えた時、ルーシーがセシリーの肩に手を置いた。
「セシリー、大丈夫よ。」
 そう言って、シオンも手招きで近くに呼び寄せると魔法を詠唱する。
『終わりの大地に注がれし常しえの水よ。舞い降りて我が衣手を濡らし給う・・・キュアエナジー』
 薄い山吹色の幕が3人を包むように降りてきて、急速に疲労が取れていく。
「うわ・・・疲れが取れた。」
 セシリーが呟く。
「なるほど、こんな使い途が在るのか。」
 シオンが感心するとルーシーは頷いた。
「うん。この使い方はマリーさんが教えてくれたんだけど、でも本当は余程急ぐ時以外は自然回復に任せるのが良いんだって。」
「何故だ?」
「この魔法、眠気も飛ばしてしまうの。だから使いすぎると後で体調をおかしくしてしまうらしいの。」
「なるほど。」
 便利なだけの魔法なんて無いんだな。カンナも良く言っていたとシオンは思い出す。
「よし、じゃあ先を急ごう。」


 ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆ ☆☆


「準備は整っているか?」
 アスタルトの確認に騎士団長のゼネテスが騎士礼をとる。
「は、殿下。直ぐにも出発は可能です。」
「うむ。では出発しよう。」
 アスタルトの令にゼネテスが頷き全隊へ号令を掛ける。

 制圧隊には魔術院の魔術師達も多数いるため全員が騎馬と言うわけには行かず、高速型の馬車も多数編成されていた。だが高速型と言っても馬車である以上、機動力は騎馬には及ばない。結果その行軍速度は騎馬隊よりも遅くなる。
 1日早く出発しているシオン達に少しでも早く合流するためには一寸の猶予も無いのが現実である。


 アスタルトが騎馬に跨がろうとした時シャルロットが馬車内から声を掛けてきた。
「お兄様。行く時くらいは御一緒致しませんか?」
「?・・・何を言っている、シャル。」
 シャルロットの思惑が掴めずアスタルトは首を傾げた。
「駄目ですか?」
 アスタルトの疑問には頓着せずにシャルロットはゴリ押した。愛妹のお願いにアスタルトは苦笑すると
「そうだな。偶には良いだろう。」
 そう言って騎士を呼び寄せると自分の騎馬を預け、馬車に乗り込んだ。
「失礼するよ、エリス嬢。」
「ど・・・どうぞ。殿下。」
 エリスが緊張した面持ちで席を譲る。そこにアスタルトは腰を下ろした。機動性を重視して軽量且つ小型化された馬車内は長身のアスタルトには窮屈そうに見えたがそんな態度は欠片も見せずに彼はシャルロットに微笑んだ。
「こうしてお前と同じ馬車に乗るのは久し振りだな。」
「はい。1年前にアインズロード伯爵様の領地にお出掛けした時以来ですわ。」
「そうか・・・あの時以来か・・・。」
 アスタルトはふと、その時の事を思い返し頬を緩ませた。
「お兄様?」
「あの時はお尻が痛いと随分不満を漏らしていたなと思いだしてな。」
「!・・・もう!お兄様は思い出さなくても良い事を・・・!」
 アスタルトの思い出話にシャルロットは顔を真っ赤にさせて抗議する。その横でエリスが顔を背けて肩を震わせている。
「もう!エリスまで!」
 シャルロットは頬を膨らませる。

 1名を除き馬車の中は和やかな雰囲気に包まれた。


 これから、或いは戦地となるかも知れない場所に向かうにしては些か和やか過ぎる雰囲気が流れていた。
 とその時シャルロットが御者に声を掛ける時に使用する小窓を開けて、手綱を預かる騎士に声を掛けた。
「止めてくれませんか?」
 アスタルトとエリスが不思議そうにシャルロットを見遣った。
「シャル?どうかしたのか?」
 馬車を止めるシャルロットにアスタルトが声を掛ける。
 美姫は立ち上がって扉を開けると敬愛する兄にニヤリと笑った。
「私、御者台から見える景色に興味があったんです。」
 そう言うなりエスコートも待たずに馬車から飛び降り御者台へ飛び乗った。

『ひ・・・姫殿下!』
 仰天する騎士の声が聞こえてくる。
「・・・。」
 呆然とする2人だったが、やがて嘆息するとアスタルトはそのまま行軍を続けるように指示を出す。
「宜しいのですか、殿下?」
 ゼネテスの確認にアスタルトは頷く。
「私が此所に居るんだ。構わんさ。気が済んだら戻ってくるだろう。」
 とは言え、姫君が御者台などと言う無防備な場所に座っているのだ。馬車周囲の護衛騎士の密度が濃くなるのは致し方無い。悲惨なのは手綱を握る騎士だが、これは我慢して貰うしか無い。

「ひ・・・姫殿下。恐れながら、御者台は馬車内と違い揺れまする。必ず何かにお掴まり下さいますように。」
「分かったわ。」
 シャルロットは良い返事を返すが、お転婆と名高い姫君である。何をしでかすかなど判った物では無い。
『落とすなよ』
 周りの騎士からの殺気にも似た視線に騎士は泣きたくなった。

『エリスはもっと積極的になるべきなんだわ。』
 シャルロットがアスタルトを誘った思惑の要はこの状態を造り出す事だった。
 何しろアスタルトは将来有望の公太子なのである。ましてその能力の多才さは公国随一とも噂される程で、性格にも瑕疵が見当たらない。
 そんな彼が玉座に座る時に妃としてその横に居たいと願う令嬢は数知れないのだ。特に貴族至上主義者達は何としても自分の娘を妃に据えようと躍起になっている。

『お兄様にアピールするのよ、エリス。』
 これはシャルロット自身の願いでもある。敬愛する兄には幸せになって欲しい。そしてエリスならばそれを叶えてくれる。何より心の中で姉と慕うエリスにも幸せになって貰いたい。エリスの慕情など遙か昔から気付いていたシャルロットにとってもこれはチャンスなのである。

「いつも苦労を掛けているね、エリス嬢。」
「そ・・・そんな事は。」
 アスタルトに声を掛けられてエリスの鼓動は派手に高鳴っていた。アスタルトと2人きりになる事態など初めての事である。どうしたら良いのか見当が付かず碌に言葉も見つからない。
「君には父上も含め大いに感謝しているんだ。」
「感謝などと恐れ多う御座います、殿下。」
 萎縮する様に俯きながらも言葉を返すエリスにアスタルトは微笑んだ。
「幼くして実母を失ったシャルに、母のように、姉のように長きに渡って尽くしてくれている事。シャルは面と向かっては君に言わないかも知れないが、あの子も強く感謝しているよ。」


 シャルロットの実母、つまりアスタルトの実母でありレオナルドの正妃は8年前に病で命を落とした。しかし、その後はレオナルドはどれ程に側近達が勧めようとも後妃も側妃も迎えてはいない。如何にレオナルドが正妃を妻を愛していたかが判る。

「姉のように・・・。姫様にそう思って頂けているのなら、・・・嬉しいです。」
 馬車窓から差し込む秋の木漏れ日の中で、頬を紅色に染め嬉しそうに呟くエリスをアスタルトは見つめた。
『可憐だな・・・』

 今の今までアスタルトは彼女をその様な目で見た事は無かった。
 そもそも日々が次期国王としての重責に追われる彼にとって女性は代を繋ぐ為の相手であり、それ以上の存在では無かった。健全な男子である以上、美しい女性を見れば素直に賞賛できる感情は持ち合わせているものの恋愛に目を向ける余裕は全く無かったのだ。

 また彼に言い寄る女性は、地位に伴う権力目当てか『公太子』との恋愛に夢見る者が大半でアスタルト本人を見据えた者は居なかった。そしてアスタルトもそれで良いと考えていた。しかし、それで良いとは考えるものの、それでは苛烈な公太子の重責の合間を縫ってまで時間を作ろうと思える程に興味を持つ事など出来る筈も無かった。

 しかし今、此処に座る伯爵令嬢をアスタルトは強く意識した。もう既にこの状況がシャルロットが考えた拙い策略である事は見抜いている。が、実際にこれ程に1人の令嬢に興味が湧くのも初めての感情だった。
 いや、こんな僅かなやり取りで簡単に興味を持ったのだ。本当は既に興味を持って居たのだろう。思い返せばいつもシャルロットの隣に居るエリスの顔を見て楽しくなる自分が居た筈だ。

『エリス嬢か・・・』
 自らの本心に気付いた以上、彼は現実的な思考を始めた。
『彼女は身分上は申し分無い。年齢は・・・確か私よりも1歳上の筈だったから22か、何の問題も無い。王家と繋がる事で知恵の一族を味方に出来るのも重畳。父上とシャルロットの信頼が厚い事も申し分無い。』

 エリスは何も言わずに自分を見つめるアスタルトの態度に居たたまれなくなり逃げ出したい衝動に駆られた。何より、このままでは想いの丈が溢れてしまいそうで気が気では無かったのだ。

『ひ・・・姫様を呼び戻そう!』
 そう思いつきエリスが声を掛けようとした時、アスタルトが口を開いた。
「エリス嬢。」
「はい!」
 思わず大きな声が出てしまいエリスは口に手を当てた。
 そんなエリスの仕草にアスタルトは穏やかに微笑んで言った。
「貴女が良ければ、今度、私と2人で出掛けないか?」
「・・・。」
 エリスは信じられない言葉を聞いてアスタルトの顔を見つめた。

 自分の顔がどんどん熱を持って行くのが分かる。
 そしてエリスはコクリと頷いた。



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