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日常の崩壊
余震
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緋月紀 一〇四〇一五年 十二月二十九日
コーネリアス・ザロ戦死。
あの日の事は今でも夢に見る。
早朝、慌てた様子の侍従のアラナンに義弟と共に連れて行かれた先は帝国城の大広間。大勢の貴族や将軍達の中央には、肉体に変わり果てた養父の亡骸と、養父が愛用していた白い大剣があった。
(またあの夢か)
近頃は毎日のようにあの夢を見る。
伸びをしながら寝台から身体を起こして机に目をやると、そこにはコーネリアスと義弟のマキシン、そしてアレンが写った写真が額縁に収められて飾られていた。
(あれから十五年…)
パジャマを上だけ脱いで鏡の前に立つと、十五年前と比べたら随分立派な身体付きになった姿が写る。所々傷痕があるのは、亡きコーネリアスの後継者にアレンが選ばれ、戦場を駆け回っていたから。
「…十五年、早いもんだな」
淡々とした感情の篭もらない低音。声も昔より随分低くなった。魔人と比べて圧倒的に成長が早いものだから、声変わりの概念を忘れた先輩達には「風邪を引いたのか」と心配されたものだ。
過去へ思いを馳せるのを止め、顔を洗って一階の広間で食事をしようと鏡を離れたその時、カーテンの向こうが一瞬光った直後、耳をつんざくような轟音と共に地震が発生した。
「…また地震か。最近多いな…」
揺れで机の上の物が落ちてしまった。他にも何かが落ちる音があちこちからする。揺れの他にドタドタと騒がしい音がするのは、アラナンが走っているからだろうか。
暫くして揺れが収まると、アレンはカーテンが閉まっている事を確認して指を鳴らした。すると、あっという間に室内が元の状態に戻る。
これは禁忌とされる魔法の一つ、時空魔法。本来使用出来るのは〈創世の四英雄〉にして帝国の現皇帝アレッサンドロのみとされていたが、アレンはどういう訳か生まれつき使用出来た。
生前のコーネリアスからは、世の中の秩序と力の均衡を保つ裁判神官に目を付けられないように使用を避けるよう言われていたが、今この屋敷の召使いはアラナン唯一人のみとなっている。アラナン一人の負担を避ける為にもアレンはたまに時空魔法を使用していた。
(一階の様子を見に行くか)
普段はパジャマのまま広間へ向かうが、今回は揺れがそこそこ大きかった為、直ぐに帝国会議へ向かえるよう先に着替えておく事にした。
顔を洗って帝国十二神将の証である紋章入りの青いコートを持って一階へ行くと、色んな物が落ちたり壊れたりしていた。
『この地震による津波の⸺』
通信用魔導具、通称『水晶盤』で速報を確認していたマキシンが顔を上げる。
「おはようございます。揺れは大丈夫でした?」
「こっちは大丈夫だ、戻しておいた。あれ、アラナンは?」
マキシンが顔を曇らせた。
「医務室の確認に行っています。機械が止まってる可能性がありますから…」
「俺が見てこよう」
「朝食準備しますね」
アレンは屋敷のひと気のない廊下を進み医務室へ向かった。
屋敷の奥、日の余り当たらない所に医務室はあった。かつての部屋の主は根暗で、常に煙草が欠かせない人物だった。暗い部屋の中は薬品と医療器具、診察台が二つと机、そして安っぽい灰皿と医学書だけだった。
「アラナン、居るか?」
「閣下、おはようございます」
「おはよう、機械は問題無いか?」
アレンが視線を向けた先には、管に繋がれた一人の魔人が横たわっていた。
彼はコーネリアス御付きの医務官オグリオン。十五年前、全滅したコーネリアスの部隊の唯一の生存者だ。虫の息で発見された彼は、傷口から致死量の毒が検出された。身体中に繋がれた管は、全身の血を浄化する為の魔導装置なのだそうだ。
「機械は問題ありません。しかし…かなり散らかっていますね…」
「ファズミルには伝えたか?」
ファズミルはアレンの御付きの医務官で、年若いが優秀な医務官だ。
「いいえ、まだです」
「分かった、俺が直そう」
「しかし…」
「薬品や道具が散らばってる。ファズミルはこの後城で研修があるから、あいつには任せたくない」
「承知しました」
窓とカーテンが閉じている事を確認すると、アレンは指を鳴らした。部屋が元の状態に戻ると同時に、疲労感が押し寄せてくる。
「やはり魔力の消耗が激しいですかね」
「いや、激しくはない…が⸺」
妙に疲れるのだ。やる気も失せる。
「この後は糞…ゲフンゲフン、帝国会議ですよね。ちゃんと朝食を摂ってから向かってください」
「ああ」
アレンは診察台に横たわるオグリオンの顔を覆う包帯を少し捲った。
血の気の無い顔はまるで死人のようだが、脈に合わせて室内に響く機械音でまだ生きている事が分かる。
「面倒は私が見るので」
「…分かった」
アレンは相変わらず感情の篭もらない声で答えると医務室を出て行った。
アレンという男は、世の中では冷血漢だと言われている。短い睫毛に縁取られた冷たい刃のような青い瞳は感情を写さない。薄い唇から紡がれる言葉は感情や温もりは無く、どこか諦めと棘を感じる。冷血漢と言われても仕方の無い事だし、アレンは否定も肯定もしない。
コーネリアスが死んでオグリオンが瀕死になって帰って来ても、アレンは表情一つ変えなかった。そんなアレンを周囲は恐れたし気味悪がった。しかし、そんなアレンに良くしてくれたのが何人かの同僚とアラナン、ファズミル、そしてマキシンだった。
「アレンさん、ぼんやりしてどうしたんですか?」
「…いや、少し考え事をしていた」
物思いに耽っていたら広間に戻って来たようだ。
「ほら座って!魔法使って疲れましたよね」
アレンはマキシンに半ば無理矢理に近い形で座らされた。そして目の前に暖かそうなシチューが出される。
「春とはいえ、まだ冷えますからね。シチューにしてみましたよ。あ、ペッパーミル使います?」
アレンには味覚が無い。魚以外で胃に入れて大丈夫な物なら何でも食べるが、嗅覚だけはある為、マキシンは味や香りには凄くうるさい。手間ではないかと問うた事もあるが、尽くしてくれるのは悪い気分では無かった。
「アレンさん?今日どうしちゃったんですか?」
「いや、何でもない」
甘美なひととき、この素朴で温かい時をきっとそう言うのだろう。アレンはこういう時間は嫌いじゃなかった。長く続いて欲しいとすら思っている。しかし、甘美な時は瞬く間に去る。
食事を始めてから三十分後、アレンはコートを羽織って出勤した。
屋敷の門をくぐると、石造りの巨大な街並みが視界に入る。
帝都フェリドール。それは十万年の時を超えてかつての姿をそのまま遺す、石造りの巨大な要塞都市。帝国⸺かつての聖フェリドール魔法王国の始祖にして現皇帝アレッサンドロが永久保存している都市。
砂漠に位置する国だが、建物はイスラーム建築ではなく、雲を貫くほど高い尖塔が連なる造りをしている。歴史書によれば、此処はかつて豊かな草原だったそうだ。
しかし永久保存されていた都市は朝の地震で所々崩れていた。大陸は地震が起きにくいが、皇帝は塔の天辺で揺れに驚いて魔法をうっかり解除してしまったのだろうか。
轟音と共に尖塔の一つが折れて落下した。悲鳴が響き渡る中、今度は角笛が響いて城門が開くと、十二神将のエティロが負傷兵を連れて戻って来た。馬に乗せられた負傷者達は重傷だ。
(今城外では戦争しているが…魔人が人間相手に重傷を負うはずもない。落馬による骨折か)
しかし魔人は長命で屈強だ。何か尋常じゃない事が起きようとしているのかも知れない。
アレンに気が付いたエティロがアレンに近付く。
「アレン先輩、おはようございますッス。会議ッスか?」
「ああ…その負傷者は落馬か?」
「そうッスね、丁度落雷もあったんスよ。それに驚いた馬から落とされたり踏まれたりってのが大半ッス。いやぁ、近頃は異常気象に地震。もう嫌になっちゃうッスね」
おかしな話だ。今日は雲一つ無い快晴。なのに雷が落ちるとは。
(…何が起きてる?)
「そうだ、敵の数が多いから援軍を要請するよう言われたんスけど、アレン先輩って馬持ってなかったッスよね。送りましょうか?」
「ああ、頼む」
エティロの馬に乗って移動しながらアレンは考えた。
(不朽の尖塔が崩れ、快晴にも関わらず突然の落雷…何が起きているんだ)
アレンは目を細めて尖塔を見上げた。何か悪い事が起きる予感がする。そしてその予感は当たっていくのだった。
コーネリアス・ザロ戦死。
あの日の事は今でも夢に見る。
早朝、慌てた様子の侍従のアラナンに義弟と共に連れて行かれた先は帝国城の大広間。大勢の貴族や将軍達の中央には、肉体に変わり果てた養父の亡骸と、養父が愛用していた白い大剣があった。
(またあの夢か)
近頃は毎日のようにあの夢を見る。
伸びをしながら寝台から身体を起こして机に目をやると、そこにはコーネリアスと義弟のマキシン、そしてアレンが写った写真が額縁に収められて飾られていた。
(あれから十五年…)
パジャマを上だけ脱いで鏡の前に立つと、十五年前と比べたら随分立派な身体付きになった姿が写る。所々傷痕があるのは、亡きコーネリアスの後継者にアレンが選ばれ、戦場を駆け回っていたから。
「…十五年、早いもんだな」
淡々とした感情の篭もらない低音。声も昔より随分低くなった。魔人と比べて圧倒的に成長が早いものだから、声変わりの概念を忘れた先輩達には「風邪を引いたのか」と心配されたものだ。
過去へ思いを馳せるのを止め、顔を洗って一階の広間で食事をしようと鏡を離れたその時、カーテンの向こうが一瞬光った直後、耳をつんざくような轟音と共に地震が発生した。
「…また地震か。最近多いな…」
揺れで机の上の物が落ちてしまった。他にも何かが落ちる音があちこちからする。揺れの他にドタドタと騒がしい音がするのは、アラナンが走っているからだろうか。
暫くして揺れが収まると、アレンはカーテンが閉まっている事を確認して指を鳴らした。すると、あっという間に室内が元の状態に戻る。
これは禁忌とされる魔法の一つ、時空魔法。本来使用出来るのは〈創世の四英雄〉にして帝国の現皇帝アレッサンドロのみとされていたが、アレンはどういう訳か生まれつき使用出来た。
生前のコーネリアスからは、世の中の秩序と力の均衡を保つ裁判神官に目を付けられないように使用を避けるよう言われていたが、今この屋敷の召使いはアラナン唯一人のみとなっている。アラナン一人の負担を避ける為にもアレンはたまに時空魔法を使用していた。
(一階の様子を見に行くか)
普段はパジャマのまま広間へ向かうが、今回は揺れがそこそこ大きかった為、直ぐに帝国会議へ向かえるよう先に着替えておく事にした。
顔を洗って帝国十二神将の証である紋章入りの青いコートを持って一階へ行くと、色んな物が落ちたり壊れたりしていた。
『この地震による津波の⸺』
通信用魔導具、通称『水晶盤』で速報を確認していたマキシンが顔を上げる。
「おはようございます。揺れは大丈夫でした?」
「こっちは大丈夫だ、戻しておいた。あれ、アラナンは?」
マキシンが顔を曇らせた。
「医務室の確認に行っています。機械が止まってる可能性がありますから…」
「俺が見てこよう」
「朝食準備しますね」
アレンは屋敷のひと気のない廊下を進み医務室へ向かった。
屋敷の奥、日の余り当たらない所に医務室はあった。かつての部屋の主は根暗で、常に煙草が欠かせない人物だった。暗い部屋の中は薬品と医療器具、診察台が二つと机、そして安っぽい灰皿と医学書だけだった。
「アラナン、居るか?」
「閣下、おはようございます」
「おはよう、機械は問題無いか?」
アレンが視線を向けた先には、管に繋がれた一人の魔人が横たわっていた。
彼はコーネリアス御付きの医務官オグリオン。十五年前、全滅したコーネリアスの部隊の唯一の生存者だ。虫の息で発見された彼は、傷口から致死量の毒が検出された。身体中に繋がれた管は、全身の血を浄化する為の魔導装置なのだそうだ。
「機械は問題ありません。しかし…かなり散らかっていますね…」
「ファズミルには伝えたか?」
ファズミルはアレンの御付きの医務官で、年若いが優秀な医務官だ。
「いいえ、まだです」
「分かった、俺が直そう」
「しかし…」
「薬品や道具が散らばってる。ファズミルはこの後城で研修があるから、あいつには任せたくない」
「承知しました」
窓とカーテンが閉じている事を確認すると、アレンは指を鳴らした。部屋が元の状態に戻ると同時に、疲労感が押し寄せてくる。
「やはり魔力の消耗が激しいですかね」
「いや、激しくはない…が⸺」
妙に疲れるのだ。やる気も失せる。
「この後は糞…ゲフンゲフン、帝国会議ですよね。ちゃんと朝食を摂ってから向かってください」
「ああ」
アレンは診察台に横たわるオグリオンの顔を覆う包帯を少し捲った。
血の気の無い顔はまるで死人のようだが、脈に合わせて室内に響く機械音でまだ生きている事が分かる。
「面倒は私が見るので」
「…分かった」
アレンは相変わらず感情の篭もらない声で答えると医務室を出て行った。
アレンという男は、世の中では冷血漢だと言われている。短い睫毛に縁取られた冷たい刃のような青い瞳は感情を写さない。薄い唇から紡がれる言葉は感情や温もりは無く、どこか諦めと棘を感じる。冷血漢と言われても仕方の無い事だし、アレンは否定も肯定もしない。
コーネリアスが死んでオグリオンが瀕死になって帰って来ても、アレンは表情一つ変えなかった。そんなアレンを周囲は恐れたし気味悪がった。しかし、そんなアレンに良くしてくれたのが何人かの同僚とアラナン、ファズミル、そしてマキシンだった。
「アレンさん、ぼんやりしてどうしたんですか?」
「…いや、少し考え事をしていた」
物思いに耽っていたら広間に戻って来たようだ。
「ほら座って!魔法使って疲れましたよね」
アレンはマキシンに半ば無理矢理に近い形で座らされた。そして目の前に暖かそうなシチューが出される。
「春とはいえ、まだ冷えますからね。シチューにしてみましたよ。あ、ペッパーミル使います?」
アレンには味覚が無い。魚以外で胃に入れて大丈夫な物なら何でも食べるが、嗅覚だけはある為、マキシンは味や香りには凄くうるさい。手間ではないかと問うた事もあるが、尽くしてくれるのは悪い気分では無かった。
「アレンさん?今日どうしちゃったんですか?」
「いや、何でもない」
甘美なひととき、この素朴で温かい時をきっとそう言うのだろう。アレンはこういう時間は嫌いじゃなかった。長く続いて欲しいとすら思っている。しかし、甘美な時は瞬く間に去る。
食事を始めてから三十分後、アレンはコートを羽織って出勤した。
屋敷の門をくぐると、石造りの巨大な街並みが視界に入る。
帝都フェリドール。それは十万年の時を超えてかつての姿をそのまま遺す、石造りの巨大な要塞都市。帝国⸺かつての聖フェリドール魔法王国の始祖にして現皇帝アレッサンドロが永久保存している都市。
砂漠に位置する国だが、建物はイスラーム建築ではなく、雲を貫くほど高い尖塔が連なる造りをしている。歴史書によれば、此処はかつて豊かな草原だったそうだ。
しかし永久保存されていた都市は朝の地震で所々崩れていた。大陸は地震が起きにくいが、皇帝は塔の天辺で揺れに驚いて魔法をうっかり解除してしまったのだろうか。
轟音と共に尖塔の一つが折れて落下した。悲鳴が響き渡る中、今度は角笛が響いて城門が開くと、十二神将のエティロが負傷兵を連れて戻って来た。馬に乗せられた負傷者達は重傷だ。
(今城外では戦争しているが…魔人が人間相手に重傷を負うはずもない。落馬による骨折か)
しかし魔人は長命で屈強だ。何か尋常じゃない事が起きようとしているのかも知れない。
アレンに気が付いたエティロがアレンに近付く。
「アレン先輩、おはようございますッス。会議ッスか?」
「ああ…その負傷者は落馬か?」
「そうッスね、丁度落雷もあったんスよ。それに驚いた馬から落とされたり踏まれたりってのが大半ッス。いやぁ、近頃は異常気象に地震。もう嫌になっちゃうッスね」
おかしな話だ。今日は雲一つ無い快晴。なのに雷が落ちるとは。
(…何が起きてる?)
「そうだ、敵の数が多いから援軍を要請するよう言われたんスけど、アレン先輩って馬持ってなかったッスよね。送りましょうか?」
「ああ、頼む」
エティロの馬に乗って移動しながらアレンは考えた。
(不朽の尖塔が崩れ、快晴にも関わらず突然の落雷…何が起きているんだ)
アレンは目を細めて尖塔を見上げた。何か悪い事が起きる予感がする。そしてその予感は当たっていくのだった。
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