転生した悪役第一皇子は第二皇子に思うままにされるが気付かない

くまだった

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転生した悪役第一皇子は第二皇子に思うままにされるが気付かない

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 だからこんなエンディングは避けようとおれは頑張ってきたんだ。だけどその努力はすべて無駄だった。



 もうすでにおれと母の住む宮殿は燃えて崩れ落ちようとしている。優美な円形の白い大理石の柱は何本か折れているし、天井にある時の巨匠が描いた神をモチーフにした絵画もくすんでいる。

 煙が充満してきている。大きな落下音やパラパラと崩れる音がする。

 優美であったはずの白薔薇の間でおれは大量の血を腹から流しながら倒れていた。
 皇族であるおれの身なりもたくさんの細かい飾りがつき、上品にまとめられている服も、今は切り裂かれている所から血が流れ、一部燃えているところもある。



 母親ゆずりの肩まで伸ばしている銀髪も焦げているようだ。

 立派な体躯をした男の影がおれに迫ってくる。

 赤い豪奢なマントを靡かせながら、おれを見下ろし皇太子に選ばれた者だけが携える皇剣をおれに振り下ろそうとしていた。

 たくさんの宝玉がついた立派な剣。
 子供のころだけど、おれも一度持とうとしてあまりに重くて止めた。
 飾りもごついし、豪華すぎるのも趣味じゃない。

 だからその剣には興味がないんだ。そもそも皇太子なんかになりたくないし、王様なんてもってのほか。そんなめんどくさいものもやりたくない。



 「兄上」影になっても逞しいとわかるおれの弟がおれを呼ぶ。顔は影になってわからない。



 レオンハルトよ。弟よ。それで刺さなくても、もうおれは死ぬ。ドクドクと体から血が出ていくのを感じる。急速に手足も力が入らず冷たくなる。

 あの剣は飾りだと思っていたが、実用にも使えるんだーと今知った。

 それで止めを刺すことがレオンハルトには必要なの?
 自分の手で止めを刺さないと気がすまないのか? 

 確かにその剣でおれの首を取って、王宮前にでも並べれば民衆にはいいアピールができるかもしれない。と意識は朦朧としているのに他人事のように考えていた。

 





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





 おれステファン ノルエ ルミナスはルミナス皇国の第一皇子である。

 そして前世はしがない地方公務員だった。
 子供も二人いた。数年を迎えたら早期退職でもして旅にでもでたいと考えていた。
 妻は30歳の時に早世してしまっていた。

 男手一つで男ばっかり二人を育てて、次男が会社の内定も決まってお祝いして、スーツを着て出社していくのにも慣れたころ。
 肩の荷が降りた。
 スーツがよく似合うのが頼もしい。

 そこまでの記憶しかない。

 次に気づけばなんでかわからないが、この世界にいた。ステファンとして。

 前世のおれが死んだのか、未知の扉を開けたのかわからないが。



 ステファンことおれが10歳のころ、第二皇子のレオンと一緒に誘拐された。

 護衛の騎士たちは倒され、数十人の賊に馬車ごと誘拐された。レオンはまだ7歳で怯えて震えていた。気丈にも泣いてはいなかったが。



 どこかの地下に連れ込まれて、レオンの目の前でおれは体ごと持ち上げられ、サンドバッグのように殴られた。
 何度も何度も。当然子供のおれは殴られるままだった。

 賊たちの一人が「おい、止めろ。これ以上やると壊れる。取引できなくなる」と暴力を振るっている男を止めた。
 おれを殴っていた男はチッと舌打ちをするとおれを床に放り投げた。



 全身に響く痛みに涙がでる。鼻血と涙で顔を歪ませているおれを、「こいつだけは許せねーおれたちが苦しんでいるときに、うまい飯を食べて着飾りやがって」と男がおれを憎々し気に睨んでいる。
 また大きく手を振り上げておれを殴ろうとした。おれの後ろにレオンがいる。レオンが殴られたら大変だとおれは思った。

 この時のことは、おれはそこまでしか覚えていない。暴力もだがここまではっきりと人に憎まれることに怯えた。



 おれは長い間、気を失ったようだ。そしてその間に前世の記憶を思い出した。
 今のステファンである記憶より前世の記憶の方が年月が長いせいかおれはその二つが交わるまで、苦しみ続けた。

 随分長い間、気を失っていたせいか、言動がおかしくても、誘拐のせいで記憶が混乱していると思われたのか、特に責められたり、怪しまれることはなかった。

 おれが目を覚ました時、母や乳母、侍女、騎士たちだけでなく、厨房の者や庭師まで涙を流して喜んでくれたという。

 「ステファン様!」

 こんなにも喜ばれるなんて、ステファンは少なくともこの宮では、愛されている。

 「7日間も目を覚まさなかったんですよ」と乳母が言う。



 気を失っている間に、どうやって助けられたのかも、賊はどうなったのかもわからない。

 前世と今世の記憶の混乱でしばらくおれは腑抜けてバカみたいだったからだ。

 「母上、そういえばあの時私はどうやって、助けられたのですか? それに犯人は黒幕は誰だったんですか」

 「可哀想なステファン、あのような悲惨な出来事は思い出さずとも良いのです」

 母上とのお茶会の時に聞いたが、なんの情報も得られない。

 当然、執事や侍女、家庭教師に護衛騎士まで聞いてみたが、全員「おいたわしい・・」といって泣き出す者、話を変える者もいた。

 箝口令がひかれているんだろう。みんなを困らすだけだとわかり、何も聞くのはやめた。



 犯人が捕まって対策されてたらいいんだけどね。



 長じてあの時の誘拐はおれの母である正妃マリアンヌが散財を尽くし、国の財政を危機に陥らせ民衆が貧困にあえぐはめになったという悪評が蔓延り、すこぶる嫌われていたからだと推測している。
 賊は賊でも義賊なのか。

 ちなみに出来の悪い第一皇子としておれは有名だ。平民を人間以下の扱いをするらしい。宮から出たことないし、平民にも会ったことがない。

 前世は庶民だから、平民が嫌いなわけがない。完全に冤罪だし、誰かが悪い噂を故意に流している。



 もちろんだれもはっきり言わないが、前世の記憶を持つおれが侍従や執事、時には大臣たちが廊下で話している話から推測した結果である。

 一緒に誘拐されたレオンハルトは第二皇子である。慈愛のミドリーヌ様と言われ国民に好かれている側妃の子である。
 ミドリーヌ様は慈善活動もよくしているようだ。レオンは完全におれに巻き込まれたんだろう。怖い思いをさせて申し訳ないとおれは思った。

 

 ふたつの記憶に折り合いをつけ、おれが落ち着いた頃、レオンは大丈夫だろうか、トラウマになっていないだろうか、それに巻き込んだことを謝りたいと思った。

 母のマリアンヌはおれの誘拐後は疑心暗鬼に取りつかれ癇癪がひどかった。
 またおれは帝王教育を詰め込まれており、一切他の皇子皇女と会うことは許されていなかった。
 忙しい授業の合間に、時折、窓の向こうの庭にいるレオンの散歩や剣の訓練を眺めていた。



 時折レオンハルトの赤い目と目があった。

 おれは嬉しくて笑ったが、レオンハルトはジッと見てくるだけだ。

 今はおれだけなので思い切って手を振る。

 レオンハルトが周囲を見渡してから、こちらにやってくる。

 早い! さっと木を登って3階の窓の側までやってくる。

 「レオンハルト!」

 おれは驚きと喜びで、手をレオンハルトに伸ばす。

 「レオンハルト!」

 「兄上」

 「レオンハルト大丈夫か。危なくないか」

 レオンハルトは、さっとおれの側に降り立った。その勢いでおれに抱きつく。おれは支えきれなくて、石の床に倒れそうになる。

 レオンハルトはおれの頭を守るようにさっと反転し、自分が下敷きになる。

 汗をかいているレオンハルトの体は熱くて、おれが上に乗ってもびくともしない。

 「大丈夫か、レオ」

 「あ、ごめん、レオンハルト」

 「レオで良いです。兄上」

 「本当か。レオ、レオ会いたかった」

 おれはレオンハルトにそのまま抱きつく。

 「怖かっただろう」

 「いつのことを言っているのです。兄上」

 「あの賊に襲われた時のことだ」

 「もう一年以上前のことですよ」レオンハルトはクスクス笑ってそう言うとおれの頭を撫でた。愛おしそうに髪をすく。

 おれより頭一つは体も大きいし、がっちりしている。なんだかレオンハルトの方が兄のようだ。
 おれはレオンハルトをぎゅっと抱きしめた。そのまま髪をすかれながら、とりとめない話をポツポツする。

 ステファンは誰かとスキンシップをしたことがないし、されたこともない。

 前世のおれも妻を早くになくし、長く誰とも抱き合うことなんてなかった。

 温かいレオンハルトとのスキンシップに胸がポカポカする。安心してしまう。

 「兄上を守れるよう剣術を頑張っています」

 「レオ! 嬉しい。・・でも危ないことはしないで。ケガもしてほしくない」

 「兄上、兄上だけです。そんな心配をしてくれるのは」

 「おれはレオのお兄ちゃんだからな」

 おれは、顔を上げてニッコリ笑う。

 寝ててもおれを見下ろすレオンハルトがパッと赤面し顔を隠した。

 そんなに変な顔だったかな。レオンハルトとおれは許される限りお互いを抱きしめ合った。



 レオンハルトとの逢瀬はその一回きりだった。後は今まで通り遠くから眺めているだけ。たまに目を合わせるだけ。



 レオンハルトは体も大きくて、剣も上達が早い。
 勉強もできるみたいだし、性格も悪くないどころか、むっちゃ良い。
 度胸だってありそうだ。

 レオンハルトが王になればいい。そう思うようになった。



 母は皇国の白薔薇と言われるほど艶のある銀髪と嫋やかな容姿をしている。
 国一位の公爵の娘で自身も皇族の血を引いている。望まれて正妃になった。

 だがおれが誘拐されて目覚めた後も父親である王が会いに来たことはない。母にも会いに来ていないだろう。

 自分の子が倒れてるのに顔も見にこないなんて父親失格だ。



 王には3人の妻がいる。正妃のマリアンヌは第一皇子のおれを産んで、その後は役目は終わったとばかりに王はマリアンヌの元に渡ってこないそうだ。

 側妃のミドリーヌをたいそう気に入っており、そこに入り浸っているとか。

 もう一人の側妃のデカス様は王の幼馴染で元侍女である。
 内助の功を認められて側妃になっている。デカス様は王よりも8つ年上で王の褥教育もつとめたとか。

 皇女を3人産んでいる。ミドリーヌ様とデカス様は仲が良く、当然その子供たちも仲がよい。

 王もその二人の側妃と子供たちの集いによく顔を出して、声を出して笑っているのを遠目から見た時には、王も笑うんだと驚いた。

 公式の場でおれや母に会うときは王は無表情がデフォルトである。



 ちなみに父である王は30代らしい。若い。もう前世のおれからしたら若造である。

 おれの会社で言えば中堅よりまだ若い。叱りつけたい。
 妻が3人なのはお国柄やら、皇族の血を絶やすなとか色々あるんだろうけど、3人を平等に扱えと言いたい。
 一夫多妻制の原則なんじゃないのか。
 そりゃマリアンヌもおかしくなるよ。

 おれも正直、楽しそうにしている王と側妃たちと皇子たちの集まりは羨ましいし妬ましいというかイラっとする。
 おれに前世の記憶がなかったら、嫌みの一つも言いたくなる。



 マリアンヌが自身の正妃であるという立場とおれを皇太子にするという正当性にすがっちゃうのもわかる。正直母には同情する。

 自身の前世の妻は早世してしまったから、余計奥さんは大切にして優しくしてあげてほしい。いつどうなるのかもわからないんだぞ。

 もし妻がマリアンヌみたいな扱いを受けていたら腹が立つ。

 それに兄弟に差をつけるのもどうかと思う。自分の子はどちらも可愛かった。

 それぞれに特性があってどちらもいいところを見つけて関わっていた。怒ったりもしたけど自分の子供が可愛くないわけがない。

 だけどこの王は違う。完全におれはいない子供扱いだ。世間体があるから公式の場には呼ばれるが。おれを見ることはない。

 母と何があった王よ。それとも母の実家とそりが合わないのか。なんで結婚したんだ。不幸しかない。



 皇族は離婚できないのかな。



 母もまだ20代半ばだ。前世の自分の子供より少し年上なだけだ。
 そう思うと母がかわいそうに思えてくる。母なんだけど娘のような気になる。こんなかわいい娘がいたら猫かわいがりする。

 趣味を持つように勧めたり、父がしない分、母を褒めたり慰めたりした。
 母は生粋のお嬢様で、狭い世界のことしか知らないんだ。
 広い視野を持てるように、遠い国の話をしたり、民衆の話をおれが興味を持っている体で話をした。

 「まあ、ステファンは物知りね」母はコロコロと笑って聞いていたが自分とは関係ないと思っているようだ。

 おれが母に構う分、母のおれへの依存度が増した。そして母はおれを皇太子にすべく全精力を注いでいる。



 いや長男だし、正妃の皇子だし普通にいけばおれが皇太子なんだが、第二皇子のレオンハルトが優秀すぎて国民人気もあるし、世論は完全レオンハルトを皇太子にという声が多いんだ。



 おれは皇族だし魔力をちょっと普通より多く使えるけどそれだけだし、白薔薇と言われている母によく似て、綺麗系なんだけど男にしたら頼りない見た目なんだ。
 身長も伸びないし、剣も下手だし、真剣なんか持ったら肩を痛めるという体たらく。



 頭はどっちも馬鹿じゃないと思うんだけど、もう二回目の人生のおれからしたら、王様なんてやりたくない。
 もっと好きなことして暮らしたい。魔法は楽しいと思うからレオンハルトが王様をして、おれは魔法の研究とかで国に貢献したいって思っている。
 諸国の漫遊もしてみたい。

 元々子育てが一段落したから早期退職をして旅をしたいと思っていたくらいだ。



 なんとこの世界は竜もユニコーンも妖精もいる。普通に暮らしていれば会えない。
 せっかくこの世界に生まれたんだから、あちこちに行ってみたい。
 魔法だってもっと極めたい。

 

 だけどそれを自分から言い出せる雰囲気じゃない。

 母は当然、おれの周囲の人間も第一皇子であるおれが皇太子になるべきだって思っている。



 だからちょっとづつ手を抜いて、おれじゃなくレオンハルトが王様にふさわしいって印象になるようにしているところもある。

 授業をたまに抜け出しては庭に遊びにでたり、ちょっとあほの子に見えると思うんだおれ。



 母もあきらめてくれないだろうか。



 母の誕生パーティーには王は形式だけ参加した。
 おれは母が喜ぶように魔法で白薔薇の花びらをフラワーシャワーのようにふらせ、虹を出して、ユニコーンの幻影を虹の上に走らせてみた。
 母は驚いていたが心からの笑顔を見せてくれた。

 参列している貴族たちは、歓喜の声を上げた。その声は王宮の外まで伝わったという。



 王都にいる民にも空の虹とユニコーンが見えたみたいで街中が一気にお祭りムードになったそうだ。演出って大切だ。

 「母上、心からお祝い申し上げます」

 おれは母の隣に座る王に目を向けた。

 おれの子供心が強がって、王に、母とおれは王がいなくてもこんなに楽しんでいるんだって見せつけたかったから。
 王もユニコーンを見た時は、さすがに驚愕の顔をしていた。王よお前は反省しなさい。



 それから俺と母は国民や貴族に嫌われたまま数年がたった。
 普通はこの国の成人である16歳で立太子するところが、おれが19歳になってもまだ立太子の話がでない。

 たぶん王もおれを皇太子にしたくないんだろう。第一皇子派で保守派の貴族たちがどんなにいっても延期している。
 レオンが成人になる来年に立太子をさせるんだと思う。

 そのせいで母の機嫌が悪い。毎日恨み言みたいなのを言っていて、せっかくの清廉な美貌が台無しである。

 おれがいくら母に言葉を紡いでも母には届かないのがもどかしい。



 そうやっておれも目の前のことを見ないようにしていた。

 レオンハルトの成人の儀式が終わった。

 正妃のマリアンヌと第一皇子のおれを退けて、第二皇子のレオンハルトが王になるようにと第二皇子派が立ち上がった。

 王制自体は反対じゃないようだ。おれからしたら王制なんてやめたらいいのにって思う。

 王だってけっこう仕事が甘い。飢饉や貧困もだし、もっと、公衆衛生や公共の建物を整えるとか、教育など足りていないことがばかりだ。



 国民の声はマリアンヌは正妃にふさわしくない、黒魔術を使っているとか、国庫を食いつぶしている悪妃であるとか。

 おれにいたってはろくでなし、できそこない、皇太子に相応しくない。身分が下の弱い者をいじめる。いやいやいつそんなことが? 

 いじめ以外は本当おれはその通りだけど、母は黒魔術なぞ使ってないぞ。
 煌びやかにしているけど、それがデフォルトなんだ。
 もともと母は公爵令嬢だから私有財産もたくさんある。
 国庫から正妃として配給されているお金以上は使っていないはずだ。



 どれもこれもおれと母を貶めようとする策略なんだな。民衆の不満を扇動して母やおれに向けさせているんだろう。

 元々は貧富の差が激しく、去年から続く不作で、国民は食べるものもないと聞く。

 貴族が慰め程度に行う炊き出しじゃ間に合わず、多くの民が飢えているという。そういった不満がおれたちに向けられている。



 結局平和の国の出身であるおれは民衆や反対勢力に殺されるとか、想像していなかった。

 国外追放とか、皇位剥奪は考えていた。それでもいいかなって思っていたおれは本当に皇族に相応しくない。おれも父王に似て考えが甘かった。

 第二皇子を旗印に国民と革新派の第二皇子派の貴族たちが、母とおれの白薔薇宮に乗り込んできて、そして今ここ。



 爆発とそれに伴う火が白薔薇宮全体にまわっている。護衛騎士が次々と剣や暴徒の前に倒れている。
 暴徒と化した民は、髪を引っ張ったり、鍋で叩いている。
 金目の物も掴んでいる。いや侍従や侍女たちは見逃してあげて、ただ雇われているだけだから。

 レオンハルトよ。黙って待っていたら、君のところに皇太子の座は転がりこんでくるのに。どうして待てないのかな。

 おれを狙った爆発と魔法に貫かれて、ひん死で床に寝転がっているおれ。血が流れすぎ。

 生命力や魔力が血とともに流れていく。



 おれの騎士であるアルバが身を挺して庇ってくれたおかげで即死を免れている。

 アルバ、おれなんかを庇うなってあれほど言っていたのに。
 前世があるおれにとったらステファンの人生はおまけみたいなもの。
 おれよりも自分が生きることを優先しろってあれほど言ったのに。



 母のマリアンヌも自分だけでも逃げればいいのに、おれの名前を必死に呼びながら探しに来て、崩れ落ちた柱の下敷きになっている。おれに手を伸ばしたままの姿で息絶えている。

 どうして逃げなかったんだ。母にとって少しは大切な子供だったんだろうか。



 いつもきれいな母の白い顔が汚れている。永遠のお姫様みたいだった母。かわいそうな母。父王のことしか目が入らない母。その母がまさかおれのところに戻ってくるとは思っていなかった。

 いつも優しい笑顔の乳母や侍女、頼りにしていた騎士たちにも剣が刺さっている。



 どれもこれもおれの甘さが導いたものか。ごめん。謝ってすむことじゃない。

 おれだけ国外追放されたらそれでいいって思ってた。おれだけの問題じゃなかったんだ。



 レオンハルトともっと話せばよかった。いやもっと早く継承権を破棄すればよかった。王に皇太子にならないって言えばよかった。

 ただ母がおれが皇太子になるという夢を見ていたから、それに水をさすようなことをできなかった。夢を見ている母が幸せそうだったから。

 外堀から固めているつもりだった。おれが選ばれなかったから仕方がないよねって。



 宮殿の広間に累々と広がる死体とそれを焼く熱と煙、匂いで頭がいっぱいになる。

 もうおれ死ぬな。前世はどうやって死んだのかわからないが、今世は壮絶な死である。

 来世はあるんだろうか。おれを守って死んだみんなに恩返しができるだろうか。あるかどうかわからない来世より今謝ろう。みんなごめん。



 ・・・お母さん、一瞬、前世の母と今世の母の顔が重なる。どちらも大切だけど、目の前でおれの元に必死になって来ようとして倒れた白薔薇宮の母の顔が浮かぶ。

 不甲斐ない息子だった。皇太子になれるように頑張る道もあったのかもしれない。

 それが母の願いだって知っていたのに。

 ・・・ごめんなさい。

 涙が・・・止まらない。



 ただ悲しくて情けなくて滂沱の涙が流れ落ちる。

 おれを守ってくれた護衛騎士の背が見えて、無事か確かめたくて手を伸ばす。「アルバ・・」



 影でも逞しいとわかるレオンハルトが皇剣をおれの肩に突き刺す。

 「ああっ」うめき声が口から洩れる。

 死にかけているのにそれ刺すんだね。いっそ心臓に刺してくれたらいいのに。即死も許されないのか。

 涙や血で汚れたおれの顔をレオンハルトがじっと見下ろして来る。



 おれと違って黒髪赤目のレオンハルトは正真正銘の美形だ。持ってないけど前世のアニメのフィギアやみたいだって思った。

 こんなに整った顔をしていたんだ。ここ数年は近くで見ることがなかったから知らなかった。
 遠目からでも整っていると思っていたけど。こんなに人形みたいだとは知らなかった。

 腹違いの兄弟だけど似てない。レオンハルトの方が凛々しい。



 「兄上」

 おれのこと兄上って言ってくれるんだ。兄って認識あったんだね。ここ数年は関わりがなさ過ぎてわからなかった。

 「もう、兄上の傍にいて守っていた騎士も、正妃もいませんよ」

 知ってるって。追い打ちをかけてどうするんだ。おれのせいでみんなが死んでしまった。また涙があふれてくる。

 「助けてほしいですか」

 いやまさか。おれはまだ首をかすかに振ってから、まだ首を振れる力があるんだって思った。

 「まだ死なせません」

 おれそんなにレオンハルトに恨まれていたんだと、驚いてしまう。
 おれたちの周りの人間はおれたちを敵対させようとしていたけど、おれはレオンハルトをそんな風に思ったこともないし、レオンハルトもなぜかそうだと思っていた。



 「このままでは兄上は死にます」

 だからその剣でいっそひと思いにしてほしい。

 おれの思いを聞いたかのようにレオンハルトは暗い笑みを浮かべた。

 「いいえすぐには死なせはしません」なぜか少しだけ呼吸が楽になる。

 もしかしてレオンハルトが治癒の魔法を使ったんだろうか。
 レオンハルトの得意魔法は炎だが、皇族はみな多かれ少なかれ治癒の力を持っている。
 だからおれもすぐには死んでない。

 体が生きようと自然と再生の力がかかっているのだが、いかんせん損傷と出血がひどくて間に合わない。

 レオンハルトはすぐに死なない程度にだけ治癒をかけたのか、苦しみを長引かせるためか。

 本当に驚く。そんなに憎いんだ。

 「おれに助けを求めてください。そうすれば助けます」

 いや、何? こんなにおれのためにみんなが死んでるのにおれだけ助かるとか無理だ。

 それにおれが助かってもおれは何をするの? だれも味方のいないこの世界で一人ぼっちで生きていくのなんか嫌だ。

 それともずっと地下牢や塔で生かされるのか? まっぴらごめんだ。

 「おれの傍にいてください」

 いやそれこそ無理だから。

 レオンハルトの傍にいたらおれどんな扱いをうけるんだ。それこそレオンハルトの周囲が黙っていないだろう。



 「兄上。死なせたくない。あなたはおれの物だ」レオンハルトは苦しそうに顔を歪めている。

 苦しいのは死にかけているおれだ。
 レオンハルトの言う言葉が理解できない。
 独占欲? 

 なんの執着なんだ。
 子供のころならいざ知らず、今はおれたちはそんなに親しくない。

 多くの血とともに生命力も魔力も流れでており、意識を保つのも難しい。おれは優しい死への誘惑に目を閉じようとする。

 レオンハルトがおれの肩に突き刺した剣を回す。

  「ああああああ!」

 おれはうめき声をあげて痛みに苦しむ。

 「おれの名前を呼んでください」

 嫌な予感しかしない。

 「早くおれの名前を呼んで」

 レオンハルトはあろうことか下履きを下してその熱棒をおれの尻にあてる。
 おれはもう意識を保ってられない。

 何をされているのかもわからない。何かしているんだろうけど何かわからない。

 熱い肉棒に体を貫かれる。

 誰の声かわからなかったが、おれからひどい叫び声がでている。

 口から吐血があり、腹部の出血が更に広がる。

 「あああああああああ」

 「兄上。もう逃しはしない」

 「ああああああああああああああ」



 なにかわからない。何がどうしてこうなったのかもわからない。

 「おれの名前を呼んで。愛してます」

 非道なことをしているレオンハルトが悲しい目をしておれを抱きしめながら見つめてくる。

 そうかお前も寂しかったんだな。

 おれもお前もたくさんの人に囲まれていたのに孤独だった。

 小さいころの笑わないレオンハルトのことを思い出す。
 おれを見たら笑顔になってくれたな。

 だからおれはお前もおれと一緒で分かり合えているとどこかで思っていたんだろうか。

 

 レオンハルトはおれの片方の下肢を持ち上げて、深く繋がってくる。

 おれは苦しみと痛みを与えられる。

 声にならない叫び声が喉からでてくる。その間もごぼごぼと血が口からでてくる。

 「兄上、ステファン。最後におれの名前を呼んで。おれはあなたを愛している」

 「ステファン」

 おれは己に最後の苦しみを与えてくる男に同情していた。

 必死に穿った後は身動きせずにおれを抱きしめてくるレオンハルト。

 レオンハルトお前も寂しかったんだな、歪んでしまったのは誰のせいだろう。

 誘拐されたときのことごめんな。

 だけどおれはおまえのこと弟だって思ってた。
 だれがなんと言おうとも分かり合えるのおれ達だけだって。

 おれが守ってあげれなくてごめんな。

 「ステファン」苦しみを与えているのはレオンハルトなのに、おれが苦しみを与えているかのように泣くんだな。

 かわいそうなレオンハルト。おれの弟。もっと一緒に遊びたかったな。

 今からでも遅くないんだろうか。

 「・・・レ・・・オン・・・ハル・・・・・ト・・」

 おれは言葉にならない声で。吐息にしかならない声でレオンハルトの名前を呼んだ。

 ごめんという言葉は続けられない。もう目もあけることも難しい。
 いや、開いていても見えていないだけなのか。



 かわいそうなおれの弟







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・







 あの大勢の人がおれのために死んだ壮絶な日。宮殿は倒壊したらしい。おれは死ななかった。

 あれはなんだったんだ。おれとレオンハルトのために作られた陳腐な芝居のようだった。

 でも芝居じゃない。本当に大勢の人が死んだ。おれの宮だけじゃない。

 国のいたるところで、なぜかレオンハルトを支持していたおれの反対勢力であった者たちが制圧され多くの者が死んだ。



 おれは王になった。



 レオンハルトは病弱なおれを支える宰相になった。



 意味がわからない。

 おれにはよくわからない。なぜこうなったのかも。



 長い昏睡から目を覚まし、やっとベッドから出れるようになると、王の間に連れて来られた。王座は空席になっており、重い王冠がおれの頭に載っていた。

 「これレオンハルトの物じゃないの?」

 「いいえ。兄上の頭にこそふさわしい」

 レオンハルトが満足気に目を細める。

 おれ嫌われていたけど大丈夫?

 「だれも兄上が王になることに反対はしません。この歓声をお聞きください。兄上が王になることを喜んでいます」

 確かに王の間にいる貴族たちや、ベランダの外に行くとたくさんの国民が喜びの声を上げている。

 最後の記憶ではおれを殺すために、宮殿を燃やされて殺されかけた気がするんだが。

 あれはなんだったんだろうか。夢だったんだろうか。

 「母は?」

 もしかして生きている?

 おれが首を傾げて聞くと、レオンハルトは悲しみの顔をして首を振った。

 「生き残られたのは兄上だけです」

 「宮殿は?」

 「すべて燃えています」

 「おれの騎士は?」

 「正妃様とともに殉死しています」

 やはり夢ではなかったようだ。



 空にはいつかおれが母上のために作ったように虹にユニコーンの幻想が走っている。

 白ではなくピンク色の花びらもずっと舞っている。

 おれは呆けたように、それらを見ながら国民たちの狂騒にも思える歓声を聞いていた。 



 先王、おれの父だったものは塔に入れられていた。

 民衆に圧政を敷いて、苦しみを与えた無能の王だとか。それ真っ当な理由だな。
 二度と出てくることはないらしい。



 ミドリーヌ様は「ごめんなさい。止められなくて」とまだ床についている時におれに謝って隣国に旅立っていった。
 その表情はおれを憐れんでいるようだった。

 皇女たち三人はそれぞれ、周辺国に散らばって嫁に行ったそうだ。

 デカス様は辺境に帰っていった。
 塔にいる先王に仕えないのかと聞いたが、首を振られていた。そして静かに頭をおれに下げた。

 おれの母もおれの護衛騎士もすべて死んでいる。



 おれとレオンハルトだけがこの王宮にいる。静かだ。



 傀儡の王になるのかと思ったが、俺がつぶやいたことをレオンハルトが形にして、どんどん改革が進む。

 飢餓に対応して今回没落した貴族の備蓄や財産をすべて国民に開放した。

 父王や母の私有財産や領地もすべて国民のために使うことにした。

 全国民が数年食べるに困らないくらいあって笑った。あの悪い噂はあながち間違っていなかったんだ。

 

 法を整備して、道路や街も下水道を整備する。農業改革をし、公衆衛生の観念を伝え感染症予防に努めた。

 識字率を上げるため子供たちが学校に通えるようにする。
 子供を働かせていない家の税率を下げる。
 始めたばかりだからどれもどうなるかわからない。

 まだまだ改善すべき問題も山積みだ。

 優秀な宰相が、何とかしてくれるだろう。



 最終目的はおれの代で王制は終わらすことだ。レオンハルトも賛成してくれている。

 王と宰相の役割が終わったら旅をしたいと言ったら、最初はなんだか怒っていたが、「一緒に」と言うと子どもの時の笑顔を浮かべた。

 「兄上はいつまでも変わりませんね」

 おれはレオンハルトにだけ向ける笑顔でニッコリと笑った。

 家臣たちにニッコリ笑うのはダメだそうだ。口角を上げるに留まるように言われた。
 威厳の問題だろうか。



 

 おれは一命を取り留めたものの、血とともに自分自身の生命力と魔力をほぼすべて失った。たぶん一度死んだ。仮死状態のようなものか。

 だがレオンハルトの名前をおれが呼んだ瞬間、レオンハルトが魔法を展開し、レオンハルトの生命力と魔力を与えられたことで命を繋ぎとめた。

 一種の契約になったようだ。主従契約に似た物か。



 白く煌々と輝く魔法陣がレオンハルトの精力を注がれた腹の中心から広がり、おれとレオンハルトを包んで契約となった。

 おれは何も見えていなかったが、なにか温かいものに包まれて心地よかったことだけは覚えている。



 たぶんレオンハルトが死んだらおれも死ぬ。おれが死んだらレオンハルトも死ぬんだろう。

 契約的に死ななくてもこの執着ぶりでは、追いかけてきそうだ。



 生命力は体が復活したため、なんとか取り戻しつつあるが、一度枯渇した魔力は戻らない。

 徐々にレオンハルトのくれた魔力が体からなくなってくると発作のようにレオンハルトの魔力を求めてしまう。

 望んだことではないが、生きながらえてしまえば、自らもう死ぬことはできなかった。



 レオンハルトがおれを必要としているならば尚更。

 おれより立派で大きな体を持っているレオンハルトをなぜか幼子のように思うのだ。

 今生では子供を持たなかったが、レオンハルトがおれの弟で子供のようだ。

 おれは死にかけた19歳の時のまま時が止まったかのようだ。いつまでも大人になりきれない少年のような体だ。

 逞しい大人に成長したにも関わらず、迷子のようにおれの手を離さないレオンハルトを見ていると俺が守らねばと思う。

 おれがレオンハルトに生かされているにも関わらず。

 レオンハルトに楔を入れられ、深く抱かれながら、レオンハルトの魔力を与えられる。全身にあふれかえるほどの快感とともに。

 おれの恍惚と蕩けた表情をみて、レオンハルトは嬉しそうに笑う。

 快感のあまりに甘美な涙がこぼれるとレオンハルトはそれに吸い上げて「甘い」と呟く。

 甘いのはレオンハルトの魔力だ。おれを愛していると伝えてくる。おれに向けられた愛そのものだ。



 温かいそれが俺とレオンハルトの体中をくるくると回る。 

 いくら兄弟とはいえ、本来ならここまでの親和性はない。
 契約時にきっとおれの魔力が空っぽとなり、レオンハルトの魔力におれの体は塗り替えられた。

 体は離れているけれど、レオンハルトの一部になった気がする。二人を分かつことはできない。

 幼い時のように抱き合い、おれとレオンハルトは身体も心も一体となり、温かい魔力が循環する。



 それは天上の調べにも似て。完全なる調律。







 完


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