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 「ティノ」
 僕を起こす優しい声。
 「朝だよ。よく眠れたかい」
 そっと僕の鼻の上に、ベンはキスを落とす。何回もしてくるのにベンが頬を赤らめてはにかむから、僕も恥ずかしくなる。毎朝僕が大好きだよと、その瞳で伝えてくる。
 僕は恥ずかしくなって顔を布団で隠す。その上からまた何度も「ティノ。可愛いな」って言っていくる。
 「あーもう! 僕は可愛くないよ」と伝えても、「食べちゃいたいくらい可愛いよ」と今度は頭のてっぺんにキスをしてくるから益々ぼくたちは照れてしまう。

 照れるならしなきゃいいのに。って思うけど、僕もどこかで喜んでいるから強く言えない。


 どこかでこれは夢だとわかっているのに、まだ居続けたいと思う。


 頬を強く叩かれて、頭がぐらっと叩かれた方向に揺れる。目が覚めてすぐに、舌を嚙み切ろうとしたため口には拘束具がつけられている。殴られると拘束具が唇の端に強くあたり、ひどく痛い。
 「寝てるんじゃない。さあ、早く自白しろ。お前は二重スパイをして我が国に、敗退をもたらせたな。この売国奴、裏切り者!」

 暗い地下の一室で、何度も同じことを言われて顔を殴られる。時には鞭で体を打たれる。水に顔をつけられることもある。

 戦争に負けてからすぐにカーディナル国に行ったことや、捕虜村でベンと親し気にしていたこと、カーディナル語を理解できていたことなどが動かない証拠として挙がっていると言われた。

 どれも身に覚えのないことだし、僕はともかくベンの名誉に関わることだから、僕は決して頷かなかった。だけど僕が認めるかどうかは重要ではないようで、何日も責められた後、偉そうな人たちが数人僕の前に立ち、罪状を言い渡された。

 国を裏切り、国民を敗戦に追いやった、世紀の大悪人であるみたいなことを大層な言葉で色々言われた。僕はその頃には頭がおかしくなっちゃったのか、おかしくてしかたがなかった。それにベンのいない世界なんて僕には何の意味もなかった。だから早く死にたいんだ。
 死なせてくれるならなんでもよかったけど、この人たちのすることが茶番に見えて仕方がなかった。

 敗戦してから高い賠償金を背負わされて、国は疲弊し衰退していった。困窮した国民の増悪を僕という黒髪黒目をスケープゴートに向けたいのだろう。

 どれだけの責め苦を受けても、建物の下敷きになったベンの苦しみや痛みには及ばないだろう。
だから助けてとは絶対に言わなかった。

 僕はもうこの黒髪や黒い目が不吉な象徴とは思わない。僕の国が戦争に負けたのも、僕のせいだとは思わない。

 だけどベンをあの時、一人で死なせたのはやはり僕と出会ったからだからと思う。

 だから僕はベンにだけは謝るんだ。ごめんねベン。あんなにも若く美しく才能があり善良で優しいベンを、建物の下敷きにさせて一人で死なせてしまったのは僕のせいだから。

 ……早くあの世にいってベンに謝りたい。





 後ろ手に縛られて、口の拘束具は涎と血で汚れて、残虐な責め苦のせいで片足を引き摺りながら、断首台に向かって歩いていく。首にひもを付けられ引っ張られていく。周囲に集まった人々に、何度も石を投げられ、体や顔から血が流れていく。額から流れる血のせいで、遠くの断首台が良く見えない。

 だけど早くベンの傍にいくためにも、早く行かなければ。そう思うのに傷つけられた足では進みが遅くなる。石を投げる民衆の中に水色の頭と瞳の家族だった人達がいたような気がするが、それも気にならない。濃い青の髪と瞳の娘は僕の顔をみて顔をしかめて扇で顔を隠した。

 その蔑むような眼は昔から慣れ親しんでいる。その娘の隣には昨日僕に会いに来た昔の上官であったクラビス将校が立っていた。蔑むように僕を見てくる。

 僕はぼんやりと昨日の出来事を思い出した。

 ピチャン、…ピチャンとどこかで水の滴る音が暗闇の中で聞こえる。
 看守が気を失った僕を乱暴に起こす。
 「汚えな。旦那本当にこいつに用事があるんですか」
 看守は僕に触った手をすぐにズボンで拭きとった。ぼやきながら出て行った。

 「ずいぶんやられたな」
 声をした方を見ると、金髪で青い瞳の青年と言うよりも中年に見える男が立っていた。背は高いけどどこか締まりのない体形をしている。
 「久しぶりだな」
 僕はそちらを見るけど、誰か全然わからなかった。同じ金髪でも柔らかいベンの色合いの方が何倍もいいなとぼんやり思った。

 男が話しているうちに捕虜になる前に、僕を増水した川に捨てた将校だというのをぼんやり思い出した。
 随分長い間、拷問をうけて思考がどうしても散漫になったり記憶がごちゃごちゃになっているから、思い出したことは奇跡だ。あの時は受け入れてくれたと思った仲間と上官に裏切られて、僕なりにショックだったんだろう。

 なんでこの人がここにいるのかも興味がわかない。ただ立っている昔の上官であったクラビス将校を眺める。今はもっと出世しているかもしれない。
 手も足も口も拘束されているから、身動きできない。

 「お前が裏切っていないことはわかっている。あの時船に乗れなかったのはお前にとって思わぬことだったろうしな」
 決まりが悪げに元上官は立っている。この人はこんなに年を取って貧相だっただろうか。あの時はなんて颯爽としてかっこい人だろうと思っていたけど。あれから何年もたっているからこんなものなんだろうか。僕も随分くたびれただろう。

 「……だから連れて行ってやると言っているんだ」
 元上官が何を言っているのかわからず、ぼーと眺めてしまう。

 「あんなにおれを慕っていたお前を、あんな風に置き去りにしておれも後味が悪かったんだ。だからこの件ではお前を助けてやろう。死んだことにしてお前をおれの屋敷で匿ってやる。もちろん屋敷の外には一生出れないが、俺がいるから問題ないだろう。随分やられたが、まだ容姿は衰えていないし、愛人として匿ってやってもいい」
 この男は僕の妹と結婚する予定じゃなかったのか? いや結婚しているのか? 僕はこの人はいい人だと思っていたけど、一度もそういう対象として見たことはなかった。なんの勘違いをしているのか。

 さもいいことを言ったとばかりに言う元上官に、僕はまじまじと顔を眺めてしまう。正気だろうか。僕の頭もおかしいが、この人もだいぶおかしい。おかしすぎて理解ができない。
 段々本当に笑けて仕方がなくなるが、口に拘束具をはめられているから笑えない。笑えないのに笑ってしまうのだから、一番の拷問かもしれない。

 「さあ、いこう」と言われて、足の拘束具を外される。僕が動かないのを見て、じれた元上官は僕をそのまま抱きかかえるようにした。僕は勢いをつけて体を反転させて、元上官の体を足で挟むと、そのまま元上官の頭に頭付きをする。僕の体を手から離すが、僕はずっと足で男を挟んで頭での攻撃を止めなかった。「このくそやろう、やめろ」と男は僕を殴った。
 僕の足が男の体から離れても、このくそやろうと何度も僕を殴って蹴ってくる。

 「おれに歯向かったんだから覚悟をしておけ、明日にも死刑にしてやる」



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