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3-3 類える現実

第111話 きっかけ 7

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 扉を開き外の様子を窺う。

 すると、店内から漏れ出るぼんやりとした明かりを背にしたハンナが、まるで夜の寒気を求めているかのように星を見上げ佇んでいた。


「……ハンナちゃん、何かあった?」 

「あ……ヤマトさん、あの……」
 共に持ち出しているポーチを握締め言い淀む。

「うん?」

「ごめんなさい……さっきから何だか熱っぽくて……」

「折角のお食事会なのに私……」

「あ……そっか……」

(顔が赤い、それにどこか瞳も虚ろで……)


(……やっぱり俺の責任だな)

 母の期待に応えたいと、勇み参加を決意したこの食事会。
 事前の打ち合わせにはとても熱心に取り組み、本番においても、彼女はハプニングに見舞われようとも腐らずに、より励んでいた。
 
 だがその甲斐虚しく終盤に差し掛かった現在に至っても、これといった成果は上がっておらず、それどころか失言を発し、心証を悪くしてしまっているというのが、結果だけを並べた現状だ。
 
 それだけでもハンナにとっては非常にショックな現実だろうが、更に追い打ちをかけるように自身の体調不良が重なり、その最後まで臨席出来なくなってしまったときている。
 彼女の勤勉で素直な性格から察する心中は、恐らく大きな自責の念に支配されていることだろう。

 紛れもなく俺の立てた計画の落ち度だ。
 ハンナが自己を顧みる必要があるような振る舞いを見せた事は無かったように思うし、初めての社交の場にも関わらず、彼女は一生懸命に愛想を魅せていたと確信できる。

 人数過多、事前の段取り不備、試行回数も足りていなかったか。
 弁明の余地は無い。どちらにせよ、結局ほとんど無策のままに、ハンナをこの場に臨ませてしまっている俺の失策なのだ。


「ごめん、ハンナちゃん。俺のミスだよ」

「初めての事なのに、人数が多すぎたよね」

「ハンカチについてもそうだよね。俺がもっと調べ上げて、事前に忠告出来てれば失言には繋がらなかった訳だし」

「諸々……よくストレスに耐えて頑張ってくれたね。ごめん。そりゃ熱の一つも──」

「──うん、どうしちゃったのかしら……顔が熱くて、心臓の鼓動も普段の何倍も早いし、頭も朦朧として……」
 ハンナが自らの頬を確かめながらそう話す。

「うんうん。みんなには俺から謝っておくから、ハンナちゃんはこのまま──」

「──それに何故かさんの事ばかり頭に浮かんで……何だか面と向かって顔も見れなくなってしまって……」

「そっかぁ、それは──」

「──え……?」
 

「────えっ!? そ、それってまさか……」
 ハンナの表情を改めて凝視する。

「どうしちゃったのかしら私……」

(うそ……だろ……)
 店内から漏れ出る明かりに照らされ、薄暗いながらも見て取れるハンナの表情は明らかに上気し、彼女自身には生来身に覚えのない『恋』その初々しい多幸感を物語っていた。


「ハ、ハハ……そ、そうなんだ……」

「私、張り切り過ぎちゃってとうとうおかしくなってしまったんだわ……」

「ごめんなさいヤマトさん。ヤマトさんの言う通り、万が一にも流行り病の可能性があったら大変だし、私は先に失礼して──」

「──ちょ、ちょっと待ってハンナちゃん!」

「え~っとねぇ……」

(一体いつ、どうして……──いや、今そこは問題じゃない)


 今回請け負った指名依頼、その途上では様々想定外の事象に頭を悩ませてきたが、これはいよいよ如何ともし難い事態に陥ってしまった。

 まず大前提として、依頼主である母シャロンの希望している娘の交際相手はマルクスだ。
 わざわざ素行に関する身辺調査まで依頼し、その結果を踏まえた上で決断した対象であるので、娘の交際相手が彼に決まる事を望んでいるのは火を見るよりも明らかだ。

 一方、娘のハンナが自らの意思により、誰かに恋心を抱いたという自体は、俺もシャロンも共に喜ばしいと感じる事実に相違は無いと思われる。
 だが問題は、心動いたその相手が、希望されたマルクスでは無く、"リオン"だったということだ。

 果たしてこの事実を耳にしたシャロンは、このまま娘の想いを全面的に後押しするのだろうか。
 はたまた、やはり自分が定めた相手へと心が向かうように軌道修正を図るのか。
 
 もちろん本人の胸の内を伺うより他に知る術は無いのだが、それが叶わぬ現状では、俺は一体どちらへハンナを誘うよう立ち振る舞うべきなのか。

 或いはそれすら見当違いの考えで、俺が依頼主の要望を正確に捉えられていないという可能性──具体的には、シャロンとしては、マルクスの事についてはこれからゆっくりと時間をかけ進めてゆく縁談のつもりであり、端から今回の食事会の趣旨としては、唯の顔合わせの機会を設けただけのものという可能性──すらある。

 とにかく俺のような凡庸な男が如何こう出来る範疇を超えた流れに、思考が迷走し、自分が一体何を目的として行動していたのかすら分からなくなってしまった。
 

「えっと、ハンナちゃんのその熱についてなんだけど……」

「ヤマトさん、何か心当たりがあるの?」

(細かい事は後だ。こうなったら俺が採れる択は二つだけ……どちらに向かうべきか)


 一つは、依頼主の意思に従い、ハンナにはその身に起きている変調を『何らかの病気の可能性がある』と嘘を説明し、自身の"恋"に気付かれぬうちにこの食事会を切り上げる選択。

 もう一つは、諸々の事情は一旦捨て置き、その身を支配している火照りの原因が恋心によるものだという事をハッキリと告げ自覚を促し、彼女の自主性を尊重するという選択だ。


 "平凡ヤマト"としては、依頼主の要望が他の何よりも優先し、それを損なう可能性が目に見えている方向には進むべきでは無いだろう。

 一方"ヤマト"としては、その勤勉で素直な性格が非常に好感の持てる、新たな友人であるハンナの、折角の春を応援してあげたいとも想う。

 言い換えれば、冒険者としての『実績』を優先するのか、それとも友人として『支持』するのかという話だ。

「……ハンナちゃん。その熱っぽさや朦朧とした気分の原因はね──」



 ハンナに説明を終え店内へと戻った俺を待ち受けていた光景は、救いとも、或いは軽い憤りとも感じられるような、複雑な想いを抱く何とも混沌としたものだった。


「ハァ……リーフル? キャシーさんも。どういう事なのかな??」
 大方察しが付くテーブルの様相ではあるが、一応確認の為皆に尋ねる。

「あ~……」

「ヤマトさん、すみません……」

「私は止めたんだけどね、ハハ……」

「リーフル様! 実に白熱した勝負でございましたね!」

「フフフ……ヤマトよ。リーフル様の素晴らしき勇姿を見損なうとは、全く惜しい事をしたな」
 リーフルと同じ目線の高さまで身をかがめそう語るラインが、小さく柏手を打ちリーフルを称えている。

「ホ、ホゥ……」
 普段のシルエットと比べ、見るからに腹部が膨れ上がった様相をしたリーフルが、伏せの姿勢を取りテーブルの中心で苦し気に呟いている。

「お、恐るべし……マジックエノキちゃん……」
 目の前にある高々と積みあがったメインディッシュの皿越しに見えるキャシーはテーブルに突っ伏し、細々と惜敗の念を語っている。

「リーフルちゃん、串焼きを食べた途端なんだか食欲に火が着いちゃったみたいで、キャシーちゃんと競うように何皿も……」
 アメリアがあきれ顔で、離席していた間の状況を語ってくれる。

「ハァ……なるほど」

「いいなリーフル? 向こう三日ぐらいはフルーツ抜きだからな」

「ホ、ホー……(テキ)」
 リーフルが弱々しいながらも反抗の意思を呟いている。


「……そ、それはそうと。ハンナちゃん、体調の方は大丈夫なの?」

「はい! おかげ様で、夜風を浴びてリフレッシュ出来たわ」

「そっかぁ、よかったですね。皆で心配してたから何よりだよ」

「また何かあったら、遠慮せずに言ってくれよ!」
 ハンナを真っ直ぐ見つめながら、リオンが頼もしく語り掛けている。

「は、はい……」
 対するハンナは、ハンナのみが享受しているリオンのから逃れるように視線を伏せ、一層しおらしい装いで微かに返答している。

(まぁ、親心も分かるけど。やっぱり応援したいよなぁ……って!)

「あれ? アメリア? まさか……俺達の分は……?」

「……ええ。察しの通りよ」

「……一週間に延長かも」

「ホッ……(テキ)」


 この食事会、その最後に残されたデザートの味は、疲弊しきった頭では記憶に留める事が出来ず、俺は結局特注フルコースの半分程度しか味わう事が出来なかったのであった。



 皆と別れ、定宿のカレン亭へ歩を進める俺達。
 これまでの道すがらに、二人には事の顛末の説明を終えている。

 だが俺は明らかな曇りを浮かべてしまっているのだろう、アメリアが問いかけてくる。


「どうしたの? なんだか思いつめたような顔して」

「あ~……いや、今回は色々と失敗だったなぁってね」

「どういう事? 確かに想定していたものとは違う結果にはなったけど、ハンナちゃんの今後を想えば、私には上手くいったように見えるんだけど」

「うん。"箱から出る"って部分については成功なんだろうけど、まさかその相手がリオンになるなんてってね」

「それにメインディッシュ……」

「ハァ……シャロンさんにも謝りに行かないといけないし……」

「まぁ、思い通りにはいかないよね」

「ふ~ん……」


「……うん。あなたの性格上、何処まで行っても終わりは無さそうよね」

「だったら、私があなたの成功をしてあげる!」
 アメリアがそう言いながら俺の手を取る。

「仕事はバッチリこなしてた、上手くいったのよ! 偉いわヤマト!」
 
「はは、ありがとアメリア」
 努めて快活にそう言いながら握られた手には、慈しみの情が感じられた。


「フッ……ヤマト、お前には存外な一面があるようだな」

「ムッ? 兄さん? ヤマトのどこが傲慢だって言うのよ。ハンナちゃんの事を想って一生懸命依頼をこなしていたじゃない」

「……自然を愛し、自然と共に活かされる我々人間達」
 先程までリーフルに目尻を下げていた人物とはとても思えない程に装いを正し、凛とした声色で以てラインが語りだす。

「特にマジックエノキの栽培を取り仕切るお前なら十分に理解してるはずだ。自然を相手にするという事がどういうことなのか」

「なによ、急にそんな話……」

「我々人間の力などほんの僅か、微々たるものに過ぎない」

「自然や動物達や魔物。ましてや"人の心"を操作しようなど、それを傲慢と言わずして何と言うか」

「それにまさかヤマトよ『自分は失敗などしない人間だ』などとは夢にも思っていまい。それこそ傲慢の極みであろう」

「──!」
 身に覚えが過ぎる指摘に、心臓が一つ跳ね上がる。


「それに本をただせば今回の依頼。単純な魔物討伐とは比べ物にならぬ程に複雑な内容で、確固たる正解を導きだす事も難しい」

「そんな仕事を依頼できる冒険者が、この街にお前を置いて他に居るとは思えん」

「そもそもきっかけなど、踏み出してしまえばそれまで。その道中や結果が出た後などは、忘れてしまっても何ら問題のない程の些細なもの」

「大方お前の事だ。きっかけに身を委ねる行為を『自分の選択では無い、或いは無責任』だとでも考えているのだろう?」

「ハハ……流石鋭いですね」

「ヤマト、お前のその責任感の強さや慈愛の精神は、人族の括りに収めるには惜しいと称賛に値するものではあるが、少々硬すぎる」

「ある程度柔軟に構えておらねば、いずれ足枷となり、真にお前の事を必要とする人々の下へ駆けて行けなくなってしまうぞ」

「……」


 ハッキリと言葉にされた事で自覚する。近頃の自分を客観してみると、確かにラインの指摘通りだ。
 仕事を受注したからには依頼者の期待を背負い、出来るだけ不備の無いよう──ましてやな結果を残せるようになんて、明らかな思い上がりだ。
 
 この街の人々の力になりたいと強く想うようになった自身の心持ち。
 他には、さして取り柄の無い俺などは、常に結果を残さなければクエストを割り振ってもらえなくなるかも知れないという、焦りや恐怖心。
 そう言ったものに分不相応に追い立てられ、無理に自分を高く見積もろうとした結果が、今の心境を生み出してしまっているのではないだろうか。


「そう……ですよね。ラインさんの仰る通りだと思います」

「フッ……だが時にお前のその『清い傲慢さ』は、土砂をかき分け魔物の突進を跳ね返し、私の大切な家族の命を救ってくれるような素晴らしき力を発揮する事もある」

「結果に納得がいかないのはお前らしい神妙な心掛けだが、出来るだけのは尽くしたのだろう? なら胸を張れ」
 ラインがそう言いながら俺の背を軽く一押し。優しみの籠る、まさに洗練されたエルフ族の品格溢れる励ましの言葉だ。

「ラインさん……」

「兄さん……ふふ、たまにはいい事言うじゃな~い」
 そう言いながらアメリアがラインの頬をつつき、茶化すようにはにかんでいる。 

「こ、こらアメリア! 折角私が威厳を以って人族に自然とは何たるかを説こうとしているのに──!」

「ははは。ホント、仲良いですね」

「──ありがとう二人共。決心がついたよ」

 俺のような何の面白みのない『真面目一辺倒』とでも表現できる人間は、得てして"きっかけ"と言うものを忌避しがちだ。

 きっかけとは、外的要因がその主だった構成要素と言え『自分で決めていない』と、どこかスッキリしない想いを抱いたり『人に言われた──背中を押された』と、自ら踏み出していないような感覚を覚えたり等、自己の想定、想像外の要因を発端として、新たな知見を得たりスタートを切る事を言うものだと思う。

 性格上、そういった外的要因を発端とする行為は、どこか無責任に感じられたり、把握しきれていないような不快感を感じたりするので、きっかけというものはあまり好まないのだが、それは傲慢であると。


(うん。俺にしか出来ない事なのなら……)

 ラインが授けてくれた教訓を、それこそとし、胸に痞えたままであった"親切"を行使するべく、動き出そうと思う。
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