平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ

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3-1 浮上する黄昏れ

第101話 充実と過分 3

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 初めて会った相手にする話ではなかった。ユウさんは言葉を失っている。そりゃそうだ。ここは相談所でもメンタルヘルスでもなければただの居酒屋だ。

 気持ちが不安定だからか、やけに人の視線を感じる。まるで店中の客が自分に注目しているような。この店に客は二人しかいないのに。

 漢梅サワーを飲み干し、カバンから財布を取り出す。長居は無用だ。お通し込みで千円いかないのはありがたい。店内の空気を悪くしてしまった以上、もう二度と来れないが。

 別に救いを求めているわけじゃない。ただ、心に溜まった毒を吐き捨てたかっただけ。被害者ぶってはいるが、姫川琉璃からすればわたしだって先輩と同罪なのだ。わたしが元彼にアポイントをとらなければ、ここまで世間を騒がすことはなかった。彼女の芸能生命を奪うこともなかった。



 悔しい。



 悔しい。悔しい。悔しい。



「……梅茶漬け、お待ち」



「え?」

 黒い焼き物の茶碗に、白米と薬味、真ん中にちょこんと載った梅干し。梅と出汁のいいにおいが鼻孔をくすぐる。

「あの、これは……」
「ゆき……あちらの客からだ」

 ユウさんの視線を追うと、カウンターの死角から青年がひょっこりと顔を出した。

「どうも」

 青年につられて、わたしも会釈する。

「ここのお茶漬け、シメなのに食べごたえがあっておすすめなんですよ。さっきからうるさくしちゃってたお詫びも兼ねて」

 驚いた。声ははきはきして、身なりも整っていて、絵に描いたような好青年だった。おまけに声が大きかったという自覚もある。大学生だろうか。

 ナンパ……ではないか。わたしの知っている「あちらのお客様から一杯」とは違う。

「漢梅サワーを飲んでたので梅は食べられると思ったんですが、もしかして苦手でした?」
「あ、いや」

 改めてお茶漬けと向き合う。

 小盛りのご飯の上に、白ごまと梅干し。千切った海苔は炙ってあるのか、香ばしい。

 おいしそう。食欲が湧くなんていつ以来だろう。

「いただくわ。ありがとう」
「いえいえ」

 青年はにこりと微笑み、カウンターの奥に戻った。

「いただきます」

 小さなレンゲでご飯と出汁をすくう。ふぅふぅと冷ましてから、ゆっくりと一口。

 昆布と鰹の風味が広がる。見た目に反し、しっかりとした味付け。でも濃すぎずさっぱりして、クセがない。ほのかに漂う梅の香りが爽やかだ。ご飯もふんわりしている。

 優しい味って、こういうのを指すのだろうか。

 今度は梅干しをほぐし、しっかり混ぜ込む。口の中で唾がぎゅっと出てきた。食べると強い酸味が舌を刺激する。それを白出汁が包み込み、旨みを重ねている。白ごまのつぶつぶ食感も楽しい。

「おいしいです」
「そうか、よかった」
「特にこの梅干しが、酸っぱいんだけど甘みもあって」
「ああ、それは駅前の漬物屋で買っているんだ。自分でも作ったことはあるんだが、ここの味には勝てなくてな」

 ユウさんが屈託のない笑みを見せる。年相応で、可愛らしい。

「ちなみに、お通しをお茶漬けに入れてもうまいぞ」

 ごくり、と喉が鳴る。

 言われた通り、残った身欠きにしんを投入し、軽く混ぜる。

 三度みたび、口の中へ。



 ぶわっ、と味の波が押し寄せてくる。

 ご飯の甘み、梅干しの酸味、出汁の滋味に、にしんのコクと塩味が加わって、舌を通じて脳へと味を刻み込んでいく。口内が空っぽになるのが惜しくて、レンゲを運ぶ手が自然と動いてしまう。

 そうだ、わたしはお腹が空いていたんだ。

 空っぽの胃袋に、お茶漬けを次々にくべていく。

 額にうっすらにじむ汗が心地よい。身体だけでなく心も温まっていく感じがした。

 あっという間に茶碗の中身はなくなった。出汁まで飲みきって、完食だ。

「おいしかったですか?」

 後ろに立っていたのは、梅茶漬けをご馳走してくれた青年だった。会計を済ませたのか、開いた財布とレシートを片手に握っている。

「ええ、とても。久しぶりに食事を楽しんだわ」
「それはよかった」

 わたしの顔は自然とほころんでいた。一杯のお茶漬けで、これほどに気持ちが軽くなるなんて。



 やっぱりこのままじゃ終われない。

 先輩の言うことが間違っていないとしても、自分の目指す道とは違うのだ。誰もがわたしを否定したって、わたしは自分を信じたい。信じる道を、信じたい。

 わたしは自然と、手を差し出していた。

 青年は一瞬戸惑う様子を見せたが、おごったことへの感謝と受け取ったのか、握り返してくれた。ああ、酔ってるな、わたし。上半身が少しふらついた。

「おっと」

 手を連結していたため、青年もバランスを崩してしまい、財布を落としてしまう。

「ごめんなさい、すぐに拾うね!」

 いけない。これじゃあ若い子に絡んでいるだけのやっかいな酔っ払いだ。わたしは身を屈め、椅子の下に滑り込んだ長財布に手を伸ばす。すぐ近くには、お札入れから飛び出したと思われる名刺もあった。

「ごめんね、これで全部?」
「はい、ありがとうございます」

 長財布と名刺をそれぞれ差し出す。青年はにこやかに受け取って、もう一度会釈をしてから店を出ていった。



「口ではああ言っていたが、完全に吹っ切れてはいないか」



 青年を見送るユウさんの目は、なぜか心配そうだった。



 わたしが尋ねるのは少々野暮なようだ。彼にも辛い過去があるのだろうか。あるいは今も、しがらみに囚われているのかもしれない。次にこの店で会うことがあったら、もっと話してみたいな。



 食の好み。



 学校のこと。あるいは仕事のこと。



 他のおすすめメニュー。



 それと。










 どうして、あなたが望海のぞみすみかの名刺を持っているのか。
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