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1章.大学授業編

19.問題の対処法

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 リディアは、鏡の前で立ち尽くした。

(可愛い、けれど……)

「お客様、いかがでしょうか?」
「あ、はい」

 試着室でかけられる声には、いつも迷う。
 この声掛け。店員に一度見せろと暗に言われているのか、それとも見せる必要はないのか、わからない。

「着ました」 

 とはいえ、盗難防止の意味もあるのだろう。リディアは全く似合っていない時以外は、一応顔を見せることもしている。

「お客様失礼します――サイズもぴったりですね。とてもよくお似合いです!!」
「ありがとうございます」

 これも凄く困る。多分社交辞令と言うか、接客業ならではのリップサービスだろう。笑顔を返すべきか、否定してみせるべきか。
 そして結局、――質問で返してしまう。

(だって、何か言わないと気まずい)

「色は、これだけですか」

 今着ているのは、黒の――ブラジャーとショーツ。
 リディアの趣味は、下着集めだ。集めているというより、ちゃんと着用するけれど。

「あとは紺もあります。それも、とても素敵ですよ! お持ちしますか!?」
「ええと、はい」

 好きなタイプは、レースと刺繍が贅沢に使われているもの。色は黒がいい。黒は、身体が絞まってみえるから、そればかり買ってしまう。反対に、白は輪郭が太って見える気がする。
 デザインは、上品なセクシーさが好き。スリットや胸元の切り込みが、大胆なのに繊細なレースが施されているとうっとりしてしまう。
 
 昔、憧れていた女の団員の先輩が言っていた。「下着はちらりと見えた時にセクシーじゃないと、がっかりでしょう?」と。彼女は確かにセクシーだった。
 野卑な戦闘服も彼女が着るとどこか色っぽい。たぶんそういう意識が、彼女をそう見せるのだろう。
 
 その彼女は第三師団の副団長兼第三師団の団長の妻だ。セクシ―で美人で、そして魔法の連続投射がめっちゃ凄い。詠唱が早口なのだ、ほんと、憧れる。
 
 リディアはチラ見せをする気は全くないが、そのポリシーを聞いて少し自分も気を使うようにしている。そしていつの間にか、それが趣味になっている。

「こちらです、お客様。こちらは肩甲骨が綺麗に見えますよ」
「ああ……素敵ですね」
「ええ、背中を見せるためのものですね。ドレスやキャミソールでも」

 これはバックのストラップが総レースのY字。確かに背中を見せるドレスにはいいかも。

「これは背中がバタフライタイプですね。こちらもストラップを見せるタイプです」
「可愛い――」

 蝶が羽を広げたような形だ。綺麗な紺色だ。

「こちらはバッククロスがセクシーですよね。チラ見せさせると彼をちょっとドキドキさせられますよ。背中が開いたシャツと合わせるといいですね」

 バックストラップの黒紐が背中で交差するデザインは、確かにセクシーと言うよりも、エロい。背中が開いた格好で職場にはいけないけれど、やっぱり惹かれるデザインだ。
 迷う。凄く迷う。

「……全部、ください」
「お色はどうされますか?」
「じゃあ、黒。ええと、でも。Y字のは黒で……ああでも、バタフライとバッククロスのは紺に……します」

(ん? これって……予言?)

 バーナビーの予言のような、必然のような。なんとなく意識の端に「紺もいいな」って刷り込まれただけの気がしないでもない。

 ――とすると、彼のもう一つの予言、“火元”って何だろう?





 リディアは、大学の郵便物の集荷台にある一つの小包を見つめた。教職員への郵便や宅配物がここに置かれ、各自が自分の研究室に持っていくのだ。

 この小包――送り主は無記名だが、リディア宛てだった。怪しいと思ったが、ほとんどの郵便物は心当たりがないものばかりだ(たいてい学会の案内や、企業からのDM、教科書見本など)。

 けれど、この包装紙は、老舗有名百貨店のものだ――バルディア国の。
 隣にある教授宛の大きなダンボールも同じ包装紙だ。飲料物とある。

(うーん)

 不審に思いながら部屋に戻り、包装を解いた。

 でてきたのは、ハイヒール。あの、靴のモデルだ。しかも、二十三センチ、リディアの靴のサイズ。

(――さて、どうしよう)

 もしこれの送り主が、リディアの予想通りならば――学生から賄賂をもらってはいけない。当然、返却だ。

 皆の前で本人に問い詰めるのは、良くない気がする。でも、二人きりになるのは避けたい。どうしようか。

 こういう時の対処法。

 ――問題の先送り。

(これって、仕事のできない人の対処法だ)

 仕事ができる人は、今できることは今やる。リディアは後に回せるなら、後にする。
 わかってる、わかってるけど!  

 それよりリディアは、今一番の差し迫った大きな案件に取り掛かることにした。

 ――それは、第一師団ソード団長ディアン・マクウェルへメッセージを送ること。

 実習依頼の公文書を郵送で送ったのだが、その旨をメッセージで伝えなくてはいけない。

(郵送の文書だけだと失礼だから)

 メッセージを送るのはいい。
 問題なのは、――リディアの個人のアドレスで送ることだ。

 大学のシステム管理室は、新入学生達のメッセージアドレスを先に登録したら、システムダウンしたので、教員のアドレス登録は、いつになるかわからないと連絡してきた。
 教員を先にしてほしかった、と思うけれど、この職場の数々の残念さにはもう慣れるしかない。 

(……何の仕事を優先とするかって、人によって違うのね……)

 それにしてもシステムダウンって、セキュリティ大丈夫なのだろうか。

(いやいや、目の前の問題を考えなくては)

 本当の問題は――ずっと彼を避けていたという、リディアの問題だ。

 あの任務は後に、“ヴィンチの惨劇”と呼ばれるようになった。

 詳細は全て伏されていて、居合わせたものは口を閉ざしたまま。現場は大量の血液と黒いタールのような液体に汚染されていたという。
 死亡者はいなかったけれど、誰もが肉体と魔力に損傷を負い、回復までに時間がかかったという。

 リディアは死の淵をさまよい、病院で目を覚ましたのは、一週間後だった。衰えた身体をおして無理やり退院し、雲隠れした。故郷に帰り大学院を修了し、そうしてこの大学に務めた。

 ――ディアンには、連絡をしなかった。

 彼があの後、どれほど後始末に尽力したのか、聞いてはいないが想像に難くない。なのに、詫びも別れも言わず、リディアは誰にも何も言わず魔法師団を抜けたのだ。
 
 その理由も、今も渦を巻く感情も――言いたくない。
 
 リディアは硬い顔で、ディアンへ送る形式的な文章をにらみつける。
 
 彼の、いや、第一師団の学生嫌いは有名だ。
 
 なのに――実習生を受け入れたのは――。
 
 リディアへの――。
 
 ――嫌がらせ?
 
 怒ってるよね!?
 殺されるかもしれない。

「うっわー!! もうどうしよう――」
「え、何!?」
「あらまあ」

 背後で同室のフィービーとサイーダが返答をしてくれるが、彼女たちは「どうしたの」とは訊いてはこない。こちらが口を開くまでは、訊かない暗黙のルールがあるみたい。

「……」

 これ、罠じゃないだろうか。

 彼はリディアの行動を読んでいる、たぶん。でも、誘導されているかというと、そういうわけでもない。そこまでするなら、相手から連絡してくるだろう。

 行動、読まれているなら……連絡してこいってことだよね、いい加減に。

「もういい、送信!」

 いつまでも、いつまでも、いつまでも文章を眺めていても仕方がない。この“送信ボタン”で送ってしまえば、割りきれる。

(あとは、もう……どんな返事でも――来なくてもいいけど、来ないと困る)

 なんだろう、本音は返事が来てほしくない、でも来ないと余計に困る。

 けれど。

 (あれ? なんだか平気?)

 一回連絡をしてみて壁を乗り越えてみたら、結構気が楽になったような。
 リディアは一息ついてみて、しばらく考えみる。
 もう一回、新規のページを開いて、メッセージを作成する。

 訊いてみたいことがある。できれば、彼に教えて欲しい。

 一応「お元気ですか」、と最初に挨拶を一文。

 ここまで打ったら、もう最後まで書くしかない。
 入力して一息。そしてメッセージを打ち始める。

(ウィルは、簡易魔力測定器の測定で魔力が暴走したというけれど)

 それは、普段は蓋を被せていた魔力が測定のために開放された途端に、大気に大量に漏れて自然界の魔法の属性に影響を与えすぎてしまい暴走したということだろうか。

 魔力測定は、機器に魔力を注ぐ。魔力を受け止める器が小さい機器であれば、確かに外に魔力が漏れてしまうのは必然だ。

 ウィルは、相当高い魔力を持っているのだろう。簡易魔力測定器は、上級魔法師程度の魔力ならば測定できるのだが、それ以上だったということは……。

 リディアは、ディアンへのメッセージの続きを打つ。

「――ディアン先輩が、もし高度魔力測定機器で魔力測定をしたら、魔力は溢れますか? 当施設のレベル七魔法まで防護可能な特別防護処理実験室なら、耐えられますか?」

 特別防護処理実験室は、余剰魔力や魔法の威力を別空間に送って処理し、レベル七程度の魔法ならば暴走しても防げますよ、というのがウリ。ちなみに、レベル七の火炎魔法は、竜の火炎(ブレス)に相当する。

(ディアン先輩の、魔法は防げないかもしれないけれど……あれ、人間離れしているし)

 ウィルは、ディアンほどの魔力ではないだろう。その実験室ならば、魔力が漏れても防げるとは思うが、一応彼の意見も聞いてみたい。

――少し待って見たが、返信はない。

(まあ、任務中だろうしね)

 彼は、即返事ができるほど暇人ではない。

 それにしても返信が来るのもやっぱり怖い。

 ……でも、そろそろ向き合う時なのだろう、あの時の出来事とそれの関係者達に。

(さて、――次の、問題の片付けに行きますか)

リディアは時計を見て立ち上がり、自分の研究室を後にした。
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