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第六章 カラマス編

第六十九話 死なないための最善手

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 「何を……何を言ってるの?」


 目を見開いたダリルは、困惑した表情で俺とヴェルデを交互に見やる。


 おそらく彼女は、俺たちがあの化け物相手に本気で時間を稼ごうとするなど夢にも思ってなかったのだろう。

 まして、これまでの俺の散々たる有様を知っている分、時間稼ぎをできるとも考えていなかったに違いない。


 「あんた……もしかして、死ぬつもり?」


 真剣な声色の問いかけに、俺はフッと不敵に口角を上げた。

 そして、そのまま無言でプルプルと首を高速で横に振る。


 「いや、マジで死ぬつもりないです。なので、なるべく早く魔法の準備お願いします。本当に、誇張なしでそれに全てかかってるので」


 なぜか敬語になってしまった俺は、引き攣る表情筋をピクピクさせながら必死に懇願する。


 「あ、うん」


 ダリルは唖然とした表情でコクリと頷く。


 それを確認した俺は足の震えを堪えながらゆっくりと歩き出し、アッタマルドの前に立ちはだかる。

 それでなんだが……こうして近づいてみるとマジでデカい。

 その大きさを実感すればするほど、俺のチキンハートには限界が近づいてくる。


 しかし、ここが正念場。

 さっきのダリルへの必死な懇願などなかったかのように、ニヤリと笑って虚勢を張る。


 「……ってなわけで、こっから先は俺が相手だ」


 「いよいよ『勇者』直々のお出ましかァ。てっきり、最後まで出てこないんじゃねえかと思ってたんだが」


 苦虫を噛み潰したような顔で俺を睨みつけながら、アッタマルドは続ける。


 「にしても、今のワイから時間を稼ぐたァ中々大きく出たじゃねェか。……だが、そいつァちっとばかし骨が折れると思うがねェ」


 「だろうな。爺さんから時間を稼ぐなら、後ろに回り込んで両足の腱でもぶった斬ってやるくらいのことをしないとダメそうだ」


 それに対し、アッタマルドは


 「随分と具体的に教えてくれるんだな?まァ、こちらとしては助かるが。そんじゃ、おめェさんと戦う時は足元に気を付けておくとするかね」


 俺はその発言を受けてニヤニヤと笑う。

 こうして俺と相対している間は、アッタマルドの思考には少なからず今の発言がへばりつくだろう。


 「おいおい早とちりすんなよ、時間を稼ぐつもりならそこを狙うってだけだ。『時間を稼ぐ』ならな。……ダリル!別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」


 俺は肩越しに振り返り、ダリルにそう問いかける。

 ダリルは一瞬ハッとした様な表情を見せたが、すぐにこくりと頷いた。


 「――ええ、遠慮はいらないわ。がつんと痛い目にあわせてやって」


 「そうか。ならば、期待に応えるとしよう」


 「太郎?私、なんだか今のセリフがどうしても死亡フラグにしか聞こえないんだけど、気のせいだよね?」


 どっかのヴェルデが何か不吉なことを言っていた気もするが、それは聞こえなかったことにして話を続ける。


 「それにしても、武器も持たずにワイの前に立つとはねェ……おめェさんは魔法の方が得意だったりするのかい?」


 アッタマルドは俺に鋭い視線を向けてくる。

 ヒノキの棒は未だに地面と熱いハグをかましているデイモスが、しっかりと握りしめたままだ。

 つまり、今の俺は完全に丸腰なわけだ。

 そんな状態で戦おうって言うんだから、相対している敵にとっては当然行き着く疑問点である。


 「……いいや、俺は魔法より素手だな。そういう爺さんはどうなんだ?」


 魔法を使えないということは、もちろん伏せておく。……まあ、素手でも戦えないんですけどね。

 そんなわけで、流れるように嘘をつきそのままの流れで問いかける。


 「ワイか?ワイは魔法は使えねェんだよ」


 「……魔法が使えないのに魔王軍の幹部になれるのか」


 それは紛れもなく俺の心からの呟きだった。

 今まで魔法が特殊能力があーだこーだ言われて散々な目に遭ってきた俺にとっては、今の発言は聞き流すことは出来ない。

 アッタマルドはまるでそれを分かってるかのように、ほんの一瞬柔らかな笑みを浮かべ


 「人間ところじゃ考えられねェだろ?……でも、そういうことをするやつなのさ。ワイのところの魔王はよォ」


 確かに、これまで見てきた人間の世界ではありえないだろうということはさすがの俺でも分かる。


 「魔法が使えなかったワイのことを魔王の奴ァ最後まで見捨てなかった。……だったら、人間辞めても、この命を賭してでも、奴の恩義に報いてやるしかねェだろうよ」


 アッタマルドの眼には確かな決意がみなぎっている。


 「おっと、まんまと時間を稼がれちまった。さァ……御託はこの辺で終いにしようや」


 アッタマルドは言い終えると、すでに人間離れしている巨大な腕をさらに膨張させる。


 「やってみな。だけど、一応忠告しておく。その一撃が外れたら、その時点であんたの負けだ。ただ、まともに当たれば俺は死ぬ。間違いなく死ぬ。……それをしっかり考えたところで、せいぜい外さないようによーく狙って撃つんだな」


 そういって俺は精一杯の強がりで邪悪な笑みを浮かべながら「ここを狙ってみろ」と自分の胸の真ん中を指差し、トントンと軽く叩いて挑発してみせた。


 「当てたら勝ち、外したら負け。こいつァ実に分かりやすくていい。……だったら、ワイはこの一撃に全てを込めるとしよう」


 アッタマルドの右の拳に凄まじいエネルギーが集まっていくのを、さすがの俺でも空気越しにビリビリ感じる。

 あのぶっとい腕で普通に殴られただけでも即死ものなのに、あんな殺意マシマシ状態の腕で殴られた日には俺の死体は跡形もなく消し飛ぶ自信がある。


 俺は気持ちを奮い立たせ、仁王立ちをして待ち構える。


 「さあ――来いッ!!」


 俺のその言葉を合図に、アッタマルドはその拳を俺に向けて全力で振るう。


 恐らくは音速を超える速度で繰り出されたそれは、不思議なことにスローモーションのようにゆっくりと迫ってくる。


 死ぬ直前は何でもスローに見える、なんていうどこで聞いたかも覚えてないような縁起でもない話が不意に脳裏によぎった。


 ……だが、悪いが俺は死ぬのなんて真っ平御免だ。


 こうして俺が戦っているのは決して死ぬためじゃない、全員が生き残るためだ。

 例え、俺の本能が生存を諦めようが関係ない。

 死なないための最善手は打ってある。


 俺は迫りくる拳をじっと見据え、一瞬たりとも視界から外さない。


 そしてアッタマルドの拳が俺に当たる瞬間、その殴打の軌道は不自然な湾曲を描いて、俺から大幅にズレた空中を大きく抉った。

 そのあまりの威力に、殴りつけた場所から真っ直ぐに衝撃波が発生し、それは遠く彼方の雲を吹き飛ばした。


 驚きの表情を浮かべるアッタマルドとダリル。


 間違いなく捉えたはずだ、ありえないとアッタマルドの目を見開いたその表情が、心の内の激しい動揺を声高に物語っている。


 勝負を決めに行った渾身の力を込めて繰り出した大振りの一撃……それが盛大に空振ったことにより、体勢が崩れて非常に大きな隙ができる。


 そして、当然そんな隙を俺らが逃してやる訳もない。


 俺は即座に強く握りしめた拳を振りかぶる。


 ただ、俺が殴ったところで全くダメージは与えられないのは間違いないだろう。

 しかし、アッタマルドはそのことを知らない。彼にとって俺の実力は未知数。

 そんな未知数な奴の一挙手一投足に意識を集中してしまうのは至極当然のこと。

 特に、意識は自分に危害を加える原因となる拳に対して一点に引きつけられている。

 彼の眼には俺と拳以外のものは映っていない。


 チャンスはもうここしかない。


 「――今だッ!!」


 俺が合図を出すと同時、アッタマルドの背後に目で追えないほどの凄まじい速さで人影が急接近するのが見えた。


 だが、接近した者の気配がなかったことと俺に意識を向けすぎていたこと、そのためアッタマルドは明らかに気付くのが遅れた。


 「テメェは――ッ!?」


 「――アイツらといると、おちおち死んでもいられなくてよ」


 その背後にいたのは、胴体と頭部を切り離されて死んだフリをしていたデイモスだった。


 デイモスはさっきまで地面に転がっていた顔を邪悪な笑みで歪めながら、接近した際の速度を活かして、握りしめたひのきのぼうを横一閃に振るう。


 その攻撃は的確にアッタマルドの両足の腱を切断しており、自重のバランスを保つことが出来なくなったため膝から崩れ落ちる。


 デイモスはすぐに背後を離れると、一瞬で俺を脇に抱え、ヴェルデとダリルのところまで距離を取った。


 そして俺を雑に地面に下ろすと、何かぶつくさ言い始めた。


 「『後ろに回り込んで両足の腱でもぶった斬ってやる』……自分で出来ねぇくせして簡単に言いやがって」


 「デイモスならやってくれると思ったからな。ヴェルデも助かった、あの当たり判定があべこべになる魔法がなかったら今頃は跡形もなくなってたよ」


 「う、うん……いや!それよりもあれ!」


 ヴェルデが指さす先には、膝をついたアッタマルド。

 だが、相手は化け物。

 その程度の傷であれば直ぐに治してしまうだろう。

 普通の生き物なら考えられないが、あのアッタマルドなら腱を切断したとしても恐らく1分も時間は稼げないはずだ。


 だが、次の作戦は既に決まっており、その内容もヴェルデには伝えている。

 しかし、決心がつかないようで俺をじっと見つめ、最後の判断を仰ぐ。


 「本当に……いいの?」


 俺はあえて大きく頷いてみせた。


 「ああ。ヴェルデ、後は頼んだ」


 「……任せて!!」


 ニコッと笑ったヴェルデは、アッタマルドへ向きなおり両手のひらを真っ直ぐに構えた。

 すると、複数の魔法陣がアッタマルドを囲うように展開される。


 眩い光を放つ魔法陣がより一層光を増したとき、ヴェルデは静かに、だが周りによく通る声で、魔法を唱えた。


 「――細胞、超活性化魔法」

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