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第三章 森の姫 ~彭侯~

【十六丁目】「呼ばれるなら、名字より名前がいい」

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星宿ほしやどりさん、どうしてここに!?」

 驚く僕…十乃とおの めぐるに、

「すみません、やはり気になってしまって…」

 「森に立ち入るな」という約束を破ったからか、星宿さんは申し訳なさそうに頭を下げた。

「お二人を疑う訳ではなかったんですが、おひい様のことが心配で、居ても立ってもいられなくて、つい…」

「相変わらずじゃな、お主は。駄目だと言われておったのに、ちょくちょくここに遊びに来ていた子どもの頃から変わらぬ」

 樹御前いつきごぜん彭侯ほうこう)が、からかうように笑った。
 だが、星宿さんは辛そうな顔で、再度頭を下げる。

「お姫様…本当にすみません。私達は貴女様の気持ちも知らず、自分勝手なお願いばかりをしてしまいました」

 どうやら一連の話を聞いていたのか、星宿さんは絞り出すような声で謝罪した。
 住民代表として、仲介役も務めていたという星宿さん。
 彼も樹御前の胸の内を、初めて知ったのだろう。

「顔を上げよ、星宿の子よ」

 恐る恐る顔を上げる星宿さんに、樹御前は笑いかけた。

わらわもそなたらに謝らねばならぬな…先の山津波では妾の木達子らもだいぶやられての。嵐も天のことわりゆえ、致し方なしと割り切ったところに、例の工事計画とやらを持ちかけられたせいか、大人げない言を放ってしまった」

 そうか…
 土砂崩れが発生した地区には、彼女が守る森の木々もあったのだ。
 そして、失われた木々をいたんでいた彼女に、追い打ちをかけるように工事計画が伝えられた。
 理屈では分かっていたのかも知れないが、彼女には今まで人間達の都合で失われてきた森のことが脳裏をよぎったのだろう。
 いくら人間と共存を選んだ彼女が、自ら森を提供してきたとしても、割り切れないものがあったに違いない。

「許せよ、星宿の子。そして、皆に伝えるがよい。樹御前は工事に協力する、とな。それで、民草も安堵しよう」

「お姫様…」

「よい。何も言うな。そなたの今の謝罪で、妾も救われた。ふふ…誰かに胸の内を吐露することが、これほどの救いになるとはの。妾も永く生きてきたが、そのようなことは思いもよらなんだ。それに…」

 そして、僕と砲見つつみ野鉄砲のでっぽう)さんを見比べて、

「そなたらのように、人と妖怪が言いたいことを言い合い、共に在る時代が来るとはの。長生きもしてみるものよな」

「やっぱり、聞いてたんですか」

 僕は頭を下げた。

「すみません、御前様。僕は最初から貴女を…」

 そこで樹御前は手を上げて、僕の言葉を制した。

「皆まで言わずとも良い、人の子よ…そなたの迷いとやら、早く晴れるとよいな」

 そして、砲見さんに視線を向け、

「そなたは良い友に巡り逢うたの。それに久しぶりに同胞はらからに会えて嬉しかったぞ“野鉄砲”の娘よ」

「別に友人じゃない。ただの同僚で後輩」

 ぶっきらぼうにそう答える砲見さん。
 そして、少し目を細めて樹御前を見やる。

「…“彭侯”、君はそれでいいの?」

 また身を削り、人間達を守るのか。
 砲見さんは、そう聞いていた。
 樹御前は頷いた。

「言ったじゃろう?人間は見ていて飽きない輩じゃ。業腹ごうばらじゃが、ここまできたら気が済むまで、付き合ってみるのも面白いじゃろうて」

「……」  
  
「そう思うから、そなたもこの任に就いているのじゃろう?」 

「…君、誤解してる」

 樹御前を睨む砲見さん。
 だが、樹御前は涼しい顔だ。

「そうか。なら誤解なのじゃろうな」

 彼女は僕達に背中を向けた。

「また来るがよい“野鉄砲”の娘よ。いくらでもしてやろうぞ」

 そして、消えていく中、艶やかにウィンクをしたのだった。

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 夕刻。
 星宿さんとも別れ、降神町おりがみちょう役場に戻った僕達は、黒塚くろづか主任(鬼女きじょ)に全てを報告した。
 主任は一通り報告を聞くと、労いの言葉と報告書の後日提出という宿題をくれた。
 報告が終わると、砲見さんは、

「お疲れ」

 と一声残し、さっさと退室しようとした。

「あ、お疲れさまでした、砲見さん」

 僕がそう声を掛けると、砲見さんは足を止めた。

「…摩矢まや

「えっ?」

「呼ばれるなら、名字より名前がいい」

 振り向きもせずにそう呟くと、答えも待たず、彼女はドアの向こうに消えた。
 後に残された僕と主任は、顔を見合わせるだけだった。
 そう言えば、帰りの車の中で、彼女は終始無言だった。
 森で起きた彼女との一件は、主任にも話していない。
 何となく。
 二人の間の秘密になった。

「十乃」

 主任に挨拶をして、退室しようとした際、ふと主任が僕を呼び止めた。

?」

 最初、僕と砲見…いや、摩矢さんの間をからかっているのかと思ったが、主任の表情は真顔だった。
 切れ長の瞳が、探るように僕を射る。
 僕は反射的に答えた。

「ええ。何もありません」

「…そうか。すまんな」

 そう言うと、主任は窓の外に目を向けた。
 何か引っ掛かるものを感じながら、ドアを閉じる。
 退室した後、僕は自分の机に戻り、パソコンを開いた。
 終礼まで、まだ時間がある。
 僕は報告書の作成を進めようと思った。
 その内容を書く前に、簡単に頭の中で顛末てんまつをまとめねば。

 あれから。

 樹御前の協力を取り付けられたため、工事担当課は早速工事の準備に移ることになった。
 ただし、当初の計画案は一度見直しをされることになりそうだ。
 何故なら、星宿さんと住民の皆さんからの強い要望があったからである。
 星宿さんは、森であったこと全てを住民達に伝えて回った。
 そして、樹御前が自分達に身を削ってくれたことに報いるため、土砂崩れにあった場所に住民総出で植樹を行うことを提案したのだ。
 住民もこれに賛同し、地元の町議員も巻き込み、異例とも言えるスピードで役場に要望が寄せられたのだった。
 工事担当課は頭を抱えていたが、仕方がない。
 これも彼女の誠意に応えるためである。
 ここは役場が一丸となって、動くしかないだろう。
 星宿さんのこうした素早い立ち回りには驚いたが、森からの帰路、彼が昔話の際に、

「お恥ずかしい話ですがね…お姫様は私のなんですよ」

 白髪頭を掻きながら、星宿さんは少年のように笑った。

「まだ、子どもの頃の話ですけどね」

 という一言を聞いていた僕は、素直に納得した。
 昔から、そういう気持ちは人も妖怪も変わらないのだろう。

 星宿さんは、これからも地権者に協力を乞い、空いた土地に植樹を続けていくと言っていた。
 一人では難しいだろうが、地元の仲間もいる。
 樹御前も見守ってくれるだろう。
 そしていつか“北無の森”が昔の姿に戻る日が来るかも知れない。
 恐らく、その時に星宿さんはこの世にはいないだろう。
 けど、代わりに木と記憶を、心優しい妖怪が受け継いでいくはずだ。
 遥か昔から続く絆を抱いて。

「さて、と」

 起動したパソコンに向かい、おなじみの報告書の書式を開く。
 ファイルナンバー478。タイトルは…
 しばし思案して、僕はキーボードに指を走らせる。

「『森の姫と人の絆について』と…」
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