終わる世界の一頁

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序章

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煌々と燦めくシャンデリア。
繊細な模様があしらわれた紅い絨毯。
純白のテーブルクロスの上に並べられた料理。
豪奢な装いをして談笑する人々。

嫌なところに呼ばれたものだ、と壁際に立ちワイングラスを揺らしながら男は呟いた。
それを耳にした隣の青年が低い声音で「はぁ?」と唸った。
「それはこっちの台詞だぜ」
同じくワイングラスを傾けながら、青年は不機嫌を露わに吐き捨てた。
「何で俺が祝宴に参加しなきゃならないんだ」
「あはは。エスコートする女性がいれば良かったんだけど、断られちゃって」
男は情けなさそうに頭を掻く。
青年は、それを冷めた目で見ながら、男が声をかけそうな女性を脳内でリストアップしていった。
結果として、悲しいかな、一人しか見当たらなかった。
「……荒金か。あんたの部下だろう、躾くらいしたらどうだ」
「下品だね、鵆君。僕はそんな事しません。無理強いとか苦手なんだよね」
「ま、お前は脅迫とか出来なさそうだな、確かに。……洗脳はしそうだが」
「そうだねェ。荒っぽいこと好きじゃないから」
男はケラケラと笑ってワインを口に含ませる。
ワインの味に少し顔を顰め、「まずい」と呟き、近くを通った給仕のトレイに乗せた。
給仕は男を一瞥したが、何事もなかったかのように会場を後にした。
恐らくグラスを厨房と会場を行き来する運搬係りの所へ持っていくのだろう。
その一連を横目で見ていた青年―九泉鵆は「お前ワイン苦手なのか」と男に訊いた。
「うーん。発酵させた葡萄酒…あんまり好きじゃないよ。僕は生搾りのフルーツジュースの方が好きかな」
今度通りかかった給仕のトレイにはオレンジジュースが並べられていた。
ひらりと手を振って男は給仕を呼び止め、グラスを一つ貰う。
「……うん。こっちの方が好きだな」
ごくりと半分飲み、今度は満足そうに言った。
男の子どもっぽい嗜好を新たに知った鵆は「ガキくさ」と内心で吐き捨て、その様子を見ていたが、やがて会場内へ視線を戻した。
クスクス。クスクス。
上品に笑いながら話してはいるけれど、彼らが話しているのはそれぞれの思惑―謀略の一端。
腹の探り合いに随分なことだ、と鵆は辟易した。
「で、目的は果たせたのかよ」
「いや。まだ」
「はぁ?あれだけ挨拶してたのにまだかよ」
「仕方ないだろ。まだ来てないんだ」
男が口を尖らせて言うので、鵆は閉口した。
身長で言えば鵆と同等くらいの、年上の同性の…上司の仕草に呆れさせられる。
身長がもう少し小さければまだましだっただろう。
「彼らの主人は偉い人だから、仕方ない」
「偉い人?…金持ちか?」
鵆の包み隠さない物言いに男は首を横に振った。
「はは、違うよ。…この祝宴には祈栄会、鹿島商会、水垂連合、各組織の傘下の組織と、今回の計画に関わった魔術協会、その他の組織の技術者とお偉方が参加しているんだ。これだけ多ければ誰が何処の組織の誰かなんて君みたいな軍人もどきには解らないかもしれないけど。今回の計画の発案及び主導者は、水垂連合の会長の長柄瀬君だ。計画の達成記念の祝宴だから彼が主役、つまり『偉い人』だよ。君は少々穿ち過ぎだね」
「ふうん。お前が狙ってるのは会長の護衛か」
鵆の言葉に、男は目を細くして薄く笑った。
「そうだよ」
「…水垂連合の護衛って傭兵だろ。身元もはっきりしない奴を騎士団に引き入れるつもりかよ」
「ん?あぁ…まぁね。でも水垂の渡り鳥といえば金持ちや権力者から商人も利用する腕利きだよ。身元がはっきりしているゴミと実力が保証されている身元不明者、雇うなら僕は後者の方が良いね」
「雇う?」
雇うとはなんだ。
「あれ、言ってなかった?今回の事は騎士団の決定じゃないよ。僕の用事だ」
男がすっとぼけた様に言うので鵆の眦がつり上がる。
「……言っていない。お前、そういうことは前以て必ず言え」
「あはは。ごめん」
全く謝罪する気のないその声音に鵆は内心で舌打ちをした。
その会話から暫くしないうちに、出入り口である正面扉の方がざわついた。
ざわめきは波紋のように広がっていきやがて会場中の注目が向けられる。
鵆と男も注目の集約点に目を向けた。
注目を一身に受けているのは一人の青年だ。
青年は体格の良い男や妙齢の女性など様々な護衛を連れていた。彼らに共通点があるとすれば黒いスーツを身に纏っていることと、武器をあからさまに持っていることだろう。
鵆は青年が水垂連合の会長―長柄瀬だろうと思った。
「彼が長柄瀬君だ」
男が青年を見ながらそう言ったので、鵆は青年を改めてまじまじと観察した。
青年は痩身で如何にも頭脳派ですといった顔立ちをしている。
横に体格の良い男がいるものだからその偏見に拍車をかけているだけかもしれないが。
微笑は周囲の彼に挨拶しようと集まっている人間には好評そうだが、鵆には何処か無機質に感じた。
戦場に立つ自分とはわかり合えなさそうな部類だな、と鵆はアタリを付けた。
「あれが……で、あそこにいる護衛の誰を引き抜こうとしているんだ」
「ほら、長柄瀬君の真後ろにいる子だよ。髪を後で結わいている黒髪の男の子」
男が言った特徴の人間を探すと、直ぐに見つかった。
「…意外に若いな」
男が言った特徴の人間はなる程男の子と言ってもまぁ納得する程度には若い容貌をしていた。
肩くらいに伸ばした黒髪を後ろで結っている十七歳程度の少年で、長柄瀬の護衛の中では一番若そうだ。
軍刀と銃を携帯している…のを見て、鵆は目を細めた。
鵆の僅かな所作を横目に見ていた男は見ていなかったことにして、鵆に呼び掛ける。
「彼らの周囲がもう少し落ち着いてから話に行こう。どうせ僕らが行ったところで周囲の顰蹙を買うだけだからね」


暫くして長柄瀬の周囲の人の垣根が離れていったので幸いと男が長柄瀬の方へと歩き出した。
鵆は一応男の護衛で在る為に男の後について歩いた。
長柄瀬が近づいてくる男に気づくと、目を丸くした。
「白縫。お前、来ていたのか」
長柄瀬の意外だという心情を露わにした態度に、男―白縫八代は苦笑を浮かべた。
「うん、まぁね。一応協力者だし、魔術巧炉カーネスを実現させたのは僕だから。魔術巧炉が根幹にあるこの事業の祝宴に参加しないわけにもいかないでしょ」
「まぁ…そうだな。でもお前は来ないと思ってたよ。お前はこういう場所が好きではないだろうし、居心地も悪いだろう」
「あはははは。まぁね。魔術協会は日本の古い呪術系統の血族にとっては目の上のたん瘤だからね」
八代は肩を竦めて会場内のある箇所をちらりと一瞥した。
「……まぁ、だろうな。でもお前だけなら大丈夫だろう。お前は我らが水垂連合と祈栄会、鹿島商会の信用があるんだから。何か言う奴がいたら、遠慮無く殴って良いぞ」
呵々大笑としてそう言い切った長柄瀬は、すぅっと目を細めた。
八代も長柄瀬と同じように表情を神妙なものに変えた。
「…ま、冗談はこの辺りにしておこうか。魔術巧炉を実現させたお前の功績は確かにすばらしいものだが、お前は権威に興味を持たない男だ。#対鬼武装__Intangible art___#、という人類の矛を創り出したにも関わらず魔術協会本部じゃなくてこんな極東の一支局の研究室にいる位だからな。…何が目的だ?」
「そう怖い顔をするなよ。僕は別に悪巧みしてるわけじゃないぜ。僕はいつだって僕の夢のために動いてるんだからさ」
「はッ。お前の夢が実現できるとは思えないがな。…今回此処に来たのも、その為か。……何が欲しい?」
「君の後ろにいる、綴喜鴞次君だよ」
「はぁっ?」
素っ頓狂な声を上げたのは長柄瀬ではなく、名前を呼ばれた少年だった。
長柄瀬、八代、鵆、他の護衛の視線が鴞次に向けられる。
それに慌てて少年―鴞次は「申し訳ありません、取り乱しました」と長柄瀬に頭を下げた。
「や、頭をあげな。お前は悪くないよ」
長柄瀬はそう言って鴞次の肩を叩いて彼の姿勢を正させた。
「う…。白縫、お前、どういうつもりだ」
雇い主にフォローされる羞恥心で少し頬を紅潮させた鴞次が八代を睨む。
「久しぶりだね、鴞次君。いや、まぁ。さっき言ったとおりなんだけどね。僕は夢の為に動いているわけだけども、どうにも手が足りなくてね。戦える部下が欲しいんだよ。だから君を引き抜こうと思って」
「…俺は水垂連合の渡り鳥傭兵だ。給金はこのご時世では良い部類だし生活に困っていない。職務にも不満はない。俺はお前の夢を知らないが、水垂連合から離れてまでして前の下につく利点があるのか?」
鴞次がそう言うと、鵆は反射的に八代の方を見た。
八代は鵆の視線を感じながらも悠然とした微笑みを崩すことなく、少し首を傾けた。
「……僕の夢か」
「僕はね、人類の救済を目標としているんだ」
「人類の、救済?」
鴞次は突拍子もない言葉に驚き、繰り返した。
「そうだよ、凡そ五百年前に世界は一体の鬼によって滅亡寸前にまで陥った。今、人類は平穏を手に入れてはいるけれど、それも仮初めのものだ。遠くない未来にきっと人類はまた脅威に晒される。そして、そのとき、人類は生き残ることは出来ないだろう。…僕はそんな未来を回避させたい」
未来予想―…起こっていないこととはいえ確信的な口調で八代は語った。
「何でこの先の未来に脅威が現われると言える?」
鴞次が訝しげな表情でそう問うが、八代はにっこりしたまま答えない。
「そう言える理由を今話すことは出来ない。でも、これは僕の妄想や推論とかそんな確証のない事じゃないよ。確定的で、絶対的に将来起こりうる―運命だ。世界は火の海となり、軈て全てが虚無へと還るだろう」
「その脅威の名は?」
「それも、言えない。でも十年以内には解るだろう。…僕の見立てだと、もうあんまり時間なさそうだからね」
「虚妄じみた話が理由…いや、真実だとして、何故俺にその話をする?俺より強い人間は世界にごまんと居るだろう」
「まぁね。君より強い人間なんて砂漠で一円玉を探す―なんて手間じゃなくて、海浜で貝を探す位でぼろぼろ見つかるだろうさ」
あっさりと肯定した八代に鵆は少し心の中で距離を置いた。
元から遠い距離がまた開く。
何せ、人にモノを頼む人間の言葉とは思えない。
この男はつくづく他人の心がわからない奴だ、と黙って聞いている長柄瀬も心中で苦笑した。
「だろうよ。そっちに頼めば良い」
『それほど強くない』と遠回しでもなくはっきりと言われたにも関わらず、鴞次は表情を変えることなく返した。
「でも、君じゃないと困るんだよね」
はっきりした言葉に鴞次は今度こそ黙った。
原因も言えない未来予想を阻止する為に、何らかの理由で鴞次を使おうとしている。
鴞次は八代と長い付合いではないが、口調や態度の割にやること為すことは『凄い』男である事は知っている為、八代の申し出を馬鹿らしいと一蹴することが出来ずに躊躇した。
「……」
「ま、勝手言ってるのは承知しているよ。―…でも、秘密は秘匿されてこそ秘密たり得る。この秘密を多くに共有することがとても危険だと知っている以上、僕は無礼も無責任も承知で口を閉じざるを得ない」
「話したら不味いから詳しくは話せない、解らない事だらけのままに世界を救う計画に手を貸せ…ってことか」
「要約したらそうなるね」
「ふーん。……長柄瀬さん」
鴞次が長柄瀬に視線を移す。
「いいよ、別に。お前の好きにしな」
自身の傭兵の引き抜きを静観していた長柄瀬は一つ頷いて、了承の意を示した。
「有難うございます。では、暫し世界を救うまで水垂連合を脱退させていただきます」
「うん?別に止めなくて良いよ」
「は?しかし」
「お前は水足連合の傭兵の綴喜鴞次として魔術協会直轄対鬼組織『騎士団』日本支部関東局の研究室室長・白縫八代に雇われな。…その方がやりやすいだろう?なぁ」
視線を向けられた八代は肩を竦めた。
「…うん。そっちの方が良いかなぁ。一般枠だと僕がやりにくい。恩に着るよ、長柄瀬君」
「何、今日の祝宴はお前無くしては開かれなかったんだ。ここで融通してやらないとなぁ」
長柄瀬は得意げに胸を張って腕を組んだ。
「この長柄瀬明道、お得意様の珍しい我が儘に対してみみっちい条件を付けたりしないのさ」


▼一
西暦三千四百五十年。
世界は、滅亡寸前になっていた。
 
事の始りは五百年前の十一月十三日の晩。

日本の関東地方にある夜ヶ丘区に封じられていた悪鬼が千年の封印を破ったのだ。
 
古い文献によると、鬼は精神を病ませ、運気を悪い方向へ持っていくなどそう言う類いの行いをする霊的な存在だった。『そういう事しか出来ない』存在の筈だった。

しかし、その悪鬼は他の鬼とは大きく異なっていた。
先ず、『人の形』をしていた。
言語を解し、人しか扱えない筈の魔術を繰ったのだ。
その悪鬼の発現に魔術師達は世界中から集い、十一日もの間闘い続け、一人の魔術師によって封印された。
封印した魔術師の血筋の者が管理することになり、その悪鬼は以来夜ヶ丘に眠ることになったという。
 
しかし、その封印は破られた。
自由の身となった悪鬼は先ず天に火を放り、世界に火の雨を降らせた。
次に地に数多の鬼を放り人々を襲わせた。鬼は瞬く間に世界に蔓延した。
街を、国を、蹂躙する鬼に火や兵器は効かず、魔術を知らない人々は逃げ惑うしかなく、魔術師もまたその多すぎる数に為す術がなかった。
悪鬼は一晩で世界を滅亡せんとしたが、嘗て悪鬼を封印した血筋の者が阻み、悪鬼はまたしても血の者に破れた。

 
悪鬼は再びその地で眠ることになった。
しかし、空は晴れたが、地の鬼が元の様な幽かな存在に戻ることはなかった。
以降五百年、世界は鬼の脅威に晒され続けている。


「うーわ…」
鴞次は目の前に聳え立つ超高層ホテルを見上げて呆れた声を出した。
『引き抜き』の後、祝宴を抜け出した鴞次は八代に鵆と共に付近のホテルに案内された。
それが、今目の前にあるホテルである。
ライトアップされ、上空では無音で飛行機が三機ほど飛んでいる。
地上にも武装した人間が何人も配備されている。
所謂高級ホテルに案内されたのだ、と理解するには難しくなかった。
「…綴喜、どうした?」
鵆が怪訝な顔をした。
鵆と鴞次は初対面だ。
鴞次はよく知らない男(これから同僚になる男でもある)にそんな顔をされて戸惑った。
「えっ、えーっと。その、このホテルは水垂連合の下部組織が運営する宿泊施設の中でもセキュリティが最高水準かつ宿泊費がかなり高額だから、ちょっと驚いたって言うか…」
「…このホテル、そんなに高いのか」
鴞次の動揺ぶりにもしかして予想以上に高級なのかもしれないと鵆は思い、横の八代を睨んだ。
八代は至って平然とした様子で、「赤衛連のアルフェッカに泊まるって言ったでしょ」と返した。
「答えになってないな…」
鴞次は呆れて、アルフェッカを知らないらしい鵆に、
「『アルフェッカ』は水垂連合と提携している都市にあるホテルで、一番下のランクの部屋でも俺やお前が三ヶ月や一年働いて一泊出来るかどうかって位には高い」
と端的に説明した。
鵆は顔を引き攣らせて八代を再度見た。
「これ、自腹じゃないよな??」
「まさか。僕のポケットマネーだよ。こう見えて僕は偉いし君が思ってるよりずっと金持ちだよ。アルフェッカに三人で一泊するくらい問題ない」
そう言って八代が歩き出したので鴞次と鵆は八代の後についていく。
中に入ると先のパーティ会場の様なエントランスが広がり、中にいる利用者も自分達よりもずっと身なりの良さそうな人間ばかりだった。
「凄い居心地悪いな」
「あはは。まぁ、いる世界が違うからね。絡まれたら僕の部下だ、とでも言っておけばいいよ。大抵の人間はそれで引き下がるだろうから―」
「おや、白縫博士ではないですか」
三人の前に二人の男が立った。
上等なスーツを着こなした初老の男と、でっぷりと太った男だ。
八代は自然に愛想の良い笑みを浮かべた。
「奇遇ですね、香城さん、和達さん」
「えぇ、全く。出不精な貴方とは中々会えませんからな。一年半ぶり位でしょうか?次会う時は三年後かもしれませんな、ハハハ」
初老の男―香城が顎髭を撫でながら肩を揺らして笑った。
「白縫博士は何故九州に?」
和達が訊ねると、隣の香城が「和達君、知らないのかね」と言って
「この近くで水垂連合の主導事業『転移門』の達成を祝うパーティがあったのだよ」
「へぇ。あの事業が!素晴らしいですね。確か空間魔術式と動魔術式などといった全く別の魔術式系統を複合し、それを機械で制御するなんてあまりにも―…あぁ!なるほど、それを白縫博士が組み上げたのですか。流石にそれほど貢献なさった方がパーティを出席しないわけにもいきませんな」
「まぁ、そんなところですよ。ああいう人の多い処は苦手なのでこの通り、早々に抜け出してきてしまったわけですがね」
「はは、白縫博士はああいう腹の探り合いをする場所はお嫌いでしょうからな、皆も理解しているでしょう」
「お恥ずかしい限りですよ。―では、我々は此処で」
「もう、ですか?」
和達が顔を顰めた。
「えぇ、申し訳ないのですがね。明日は忙しいので」
「またまた…後ろの二人は護衛でしょう?移動中の危険は全て彼らが請け負うのだから―…」
「和達君!」
和達の台詞を香城が大きな声で遮った。
和達は更に不愉快そうに顔を歪めて香城を見る。
が、香城は和達に対してではなく八代に対して焦った表情で頭を下げた。
「申し訳ない、白縫博士」
「…いえ。別に、特には。香城さんが謝る事ではないですよ」
にっこりとした表情は未だ崩れない。
八代は和達に視線を向けた。
「和達さん、申し訳ないが此処で失礼させていただきますよ。積もる話があるのでしょうが、今此処に僕がいる理由は二つで、一つは済みましたがもう一つは継続中なんです。―香城さんも、またいつか機会があれば、お会いしましょう。…鵆君、鴞次君。行こうか」
八代は二人の横を通り過ぎてすたすたと受付の方へ向かっていった。
鴞次と鵆は残された二人に会釈をして、足早に八代を追いかけた。
「どうしたんだ?」
「さぁ…?」
受付でキーを受け取った八代に続いてエレベーターに乗り、上昇していく。
「さっきの二人は西日本で商会をしているところのお偉いさんなんだ」
誰に訊かれたわけでもなしに、八代がさっきの二人の事を口にした。
「彼らは水垂連合傘下と武器の売買をしているけれど、あまり規模が大きくないところでね。魔術協会とか大きな組織と商談に漕ぎつくことも難しい」
「魔術協会も水垂連合も武器は自分のところで造ってるんだ、必要ないだろう」
「そうだね。だから彼らの組織は常に逼迫している。和達さんも香城さんも部下を養うのに苦労しているんだ。―はぁ、だから、さっきは悪いことをしたと思っているよ」
「機嫌悪かったな」
「まぁね。五百年前の様にまだ壁もなく地を埋め尽くさんばかりに蔓延していた鬼どもと戦っていた頃とは違って、今は鬼を直に見たことがない人間も多いから。仕方ないって解ってはいるけど、やっぱりああいう物言いが好きじゃないんだよ」
「全部護衛に任せろっていう台詞か」
「そ。僕はね、生死を他人に任せるなんてそんな腐りきった考えが大嫌いなんだよ。反吐が出るね。命は一つしか無いのに、それを他人に委ねきるなんて馬鹿げていると思うからさ。あり得ないよ。全く危機意識がない。…あぁ、着いたね、降りよう」
エレベーターが四十八階で止まり、扉が無音で開く。
三人はエレベーターから降りて、薄暗い廊下を進み、一つの部屋に入った。
リビングルームのソファに各々自由に座る。
「…さて。あそこじゃ自己紹介出来なかったからね。先ず君達の自己紹介を済ませようか、鴞次君から」
「え、あぁ…えっと。俺は綴喜鴞次だ。水垂連合・西冬営部に所属している。携帯武器は対鬼武装s2201型とP5012型だな。単式系統魔術をちょっと囓っている位で、魔術はあまり詳しくない…これくらいでいいか」
「いいんじゃないか。次は俺だな。魔術協会直轄対鬼組織騎士団日本支部関東支局第三部隊隊長の九泉鵆だ。武器は対鬼武装T3390型とT3391型だ。魔術は―…お前と大差ないだろうな」
「二人とも俄魔術師って感じだよね、ハハハ」
魔術がからっきしだという鴞次と鵆の紹介に、八代が軽快な笑い声を上げた。
「君達だけっていうのもねぇ。僕は魔術協会本部対鬼兵器開発部門責任者及び十三魔導師及び魔術協会直轄対鬼組織騎士団日本支部関東局研究室室長の白縫八代だ。対鬼武装はR221型。第一系統魔術式から第八系統魔術式まで扱えるよ」
二人に倣った自己紹介に、鵆がうんざりした表情になる。
「五百才の糞爺め」
「僕って樹木並に生きてるんだねぇ。あんまり気にしたことないけど」
「建築材にでもなってろ」
「そのうちね」

 ●

ホテルで暫く休み、三人がホテルを出たのは夜明けだった。
受付には変わらず人が居て、キーを渡せば「またのご利用をお待ちしております」と言って深々と頭を下げた。
「こちらこそ(ありがとう)」とだけ返してエントランスを抜ければ三人の肌を冷たい空気が撫でた。
ぶるり、と鵆が身を震わせた。
「寒いな」
「ここは二十度以上にはならないからな。関東は暖かいらしいけど」
慣れているらしい鴞次も、鼻を赤くさせている。
「そうだね、関東は常春だよ。寒帯気候にいた君には暑いかもしれないね」
白い息を吐いて、銀嶺の頂きから漏れる日の光を顔に浴びながら八代が言う。
ひゅう、と寒風が三人の間を走る。
「でもきっと、気に入るよ」
「…どうだかな」
「あはは。つれないな。さ、行こう。ここから支局まで歩いて移動しないといけないからさ。日が沈む前に到着しないと面倒だ」
ひらりと薄っぺらなコートを翻して八代が先行する。
防寒の役目を果たせなさそうなそれに鵆は眉を寄せた。
「お前、寒くないのかよ」
「僕?寒くないよ。君こそ暑くないの、鵆君」
「いや、丁度良いから。綴喜と変わらないぐらいだぞ」
「お前の服が薄すぎる」
鵆に同調するように鴞次が重ねた為に八代は自分が寒そうな格好をしているらしいと認識を改めた。
「えー。そう?」

時間帯が時間帯なので、路は人気がなく、靄が掛かっている。
徐々に明るくなっていく空の下の街灯も既に明かりが消えている。
冷たい風ばかりが通り過ぎるばかりの寂しい世界だ。
「何かわくわくするな」
不意に鴞次がそう呟いた。
「え?」
「あー。解る」
八代は首を傾げたが、鵆は同調を見せた。
「こう…、何か始まりそうな感じだよな」
「知らない事がこれから起きる様な、冒険の幕開けみたいな。物語のプロローグみたいな」
「任務中に不寝番してる時とかに日が昇るのを見ると、たまに思うな」
「白縫はないのか、そういうの」
なんだか世界を共有し出した二人を、八代は興味深げに眺めていた。
二人の視線が八代に向けられ、八代は残念そうに眉を八の字にして、肩を竦めた。
「ないかなぁ。大体気づいたら太陽は沈み掛かってるか、沈んでるかだから」
「情緒にかける奴だなぁ。あと、寝ろ」
「あはは。今度から徹夜するときはちょっと空を気に掛けてみるよ」
「そうこっちゃないんだがな。ま、いいや」
ちょっと斜めにズレた回答を返した八代に呆れつつ、話題を一端終わらせた。
丁度、壁門に到着したのだ。
門兵が三人に声をかける。
華雅世かがせから出られますか?」
「あぁ」
「そうですか。では、通行証のご呈示をお願いします」
八代達はそれぞれの通行証を門兵に見せた。
鵆の証明書に僅かに目を細めたが、門兵は問題ないと言って三人に通行証を返却した。
「では少々お待ちください。門を開きますので」
他の門兵が重厚な門を開けるための操作をする。
ぎぎ、と些か耳障りな金属が軋む音を立てながら、ゆっくりと門が開いていく。
次第に壁の向こうの荒廃した世界が見えてくる。
コンクリートで舗装された道路はひび割れて草木が鬱蒼と生え、建物は倒壊、融解、劣化と様々な状態で朽ちている。
三人にとっては慣れた風景だ。
だから八代は極めて明るい声で言った。
「今日は天気が良いから楽しそうだ」
鬼が跳梁跋扈する危険地帯を歩くとは思えないその口ぶりに門兵達がぎょっとしたのは言うまでもないことである。
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