上 下
5 / 49
1章

休息

しおりを挟む
 朝起きてカーテンを開け、大きく伸びをする。一通り身支度を整えたら小さなコンロで朝食を作り、紅茶を入れて一息つく。催事が終わりつかの間の休息である。昨日は帰宅してから荷物そのままに眠りに着いたのだった。

(さて、今日は何をしようかな)

 次の催事の予定は少し先の大型イベントと決めている。こちらは参加の可否が事前抽選制なのだが、すでに当選しているので参加出来る事になっていた。

 「よし、今日は一日ダラダラするぞ!」

 折角の余暇。店の扉に「臨時休業」の張り紙を貼り、つかの間の休息を楽しむことにしたのだった。

 オカチマチから路面電車に乗って少しだけ遠出をする。悩みごとがある時は日常から少し離れた方が良いのだ。

(路面電車に乗るのも久しぶり)

 リッカは基本的にオカチマチに引きこもっているので他の町に行く機会が少ない。遠くの町の催事に行く時か、資材を買いに行く時、そしてこうして気晴らしに出かける時位しか外に出る事が無いのだ。生活や製作に必要な物のほとんどはオカチマチで事足りる。外に出る事なく生活出来るのが専門街の良いところだとリッカは思った。
 
 それぞれの町を繋ぐ路面電車は時代の変遷によって新たに敷かれた物だ。それぞれの町の中で生活が完結してしまうため町と町の間を移動する人が減り、2両編成の路面電車で十分賄えるようになったからだ。

 それに加えて魔法技術が発展した事により、大都市間は転移技術を使って移動するようになったため移動手段が縮小されるようになったのだ。魔法技術の発展はリッカ達宝飾師にも影響を与えており、前時代の技法を愛するリッカにとって悩みの種でもあるのだった。

「ここに来るのもしばらくぶりだな」

 しばらく路面電車に揺られ乗換を何度か繰り返すと目的の場所に到着した。路面電車の駅を出ると目の前に「リンコウ水族館はこちら」という大きな看板が現れる。リッカは幼い頃からこの水族館が好きだった。他の水族館と違って派手ではないけれど、こぢんまりとした雰囲気がお気に入りだ。

 券売機で大人1枚銅貨6枚のチケットを購入して入園し、ルートに沿って水槽を巡る。この日は人が少なかったのでゆったりと見る事が出来た。色とりどり水槽を眺めているうちにひと際暗い場所に入り込む。深海に住む魚たちが展示されている水槽だ。

(深い海にもこんなに生き物がいるなんて不思議)

 人々が生きる地上、その遥か下。光の届かない世界にも生き物がいて、それぞれの世界を構築している。それを初めて知った時は突然世界が倍になったような驚きを覚えた。

「やっぱり夜が好きだな」

 深海の闇を見ていると落ち着く。自身の店に「夜の」と名付けたのも夜の暗闇が好きだったからだ。オパールの星の煌めき、夜の闇が自分の自信の無さを溶かして包み隠してくれるような気がしたから。

(落ち着くなぁ)

 深海水槽の前に設置されたベンチに腰を掛け、しばらくぼんやりと過ごしたのだった。

 結局日が暮れるまで水族館を堪能したリッカ。

(結構のんびりしてしまった)

 水族館の外に出ると陽が沈んだ空を眺めて時の流れの速さに驚いた。

(夕飯どうしよう。どこかで食べて帰ろうか)

 このまま帰っても何かを作る気もしないので、オカチマチのどこかで食べて帰る事にした。再び路面電車を乗り継ぎオカチマチに帰る。ゴチャゴチャとした街並みが車窓越しに見えてくるとなんとなく安心感がある。町は夜の喧騒に包まれ活気づいていた。

 オカチマチには安い食堂や飲食店が多い。今も魔法を好まない前時代的な町だからかどこか懐かしい懐古的な雰囲気の店が飲食店街として残っているのだ。それとは別に隠れ家のようなオシャレな店も点在しており、宝飾品ではなくそれを目当てに訪れる者も多い。

「よし、今日はカレーにしよう!」

 路面電車を降りるとリッカ行きつけのカレー屋に足を進める。大通りから少し離れた場所にある小さな店なのだがここのカレーが好きなのだ。

「こんばんは」

 カウンター形式の店に入り椅子に腰を掛けるとメニューを広げ目を通す。最近栄養不足だから今日は野菜カレーにしよう。そう決めて野菜カレーを注文する。

 店内に満ちた刺激的な香りと心地よい音楽、目の前で店主が調理をしている所を眺めるこの時間がなんとも至福なのだった。

「お待たせしました。野菜カレーです」

 10分程すると銀色の皿に盛られたライスとソースポッドに入れられたカレーが並べられた。ソースポッドの中にはゴロゴロと大きくカットされた野菜や肉がたっぷり入ったクリーミーな色のカレーが入っている。見るからに食欲をそそる光景にリッカは思わず微笑んだ。

「いただきます」

 スプーンを取るとカレーを頬張り始める。不摂生な生活をしがちな身体に野菜の栄養を詰め込んでいく。ホクホクとした野菜とカレーのスパイスが身体を芯から温めて心まで解れてくようだった。

「おいしい~…」

 小声で呟いてはっと顔を上げると店主と目が合い少し恥ずかしくなる。水を飲む隙もなく一気に食べ切ってしまい、「ごちそうさまでした」とお礼を言うとカレー屋を後にして帰路についた。

 店に戻り、風呂にのんびり浸かって疲れを取る。就寝の準備をして寝室に戻ると少しだけ明るい気持ちになっている事に気が付いた。

(うーん、やっぱり疲れている時は美味しい物を食べるのに限るのかな)

 そんな事を思いながら、久しぶりに遠出して疲れた身体を休めるのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、マリアは片田舎で遠いため、会ったことはなかった。でもある時、マリアは、妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは、結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

役立たずの私はいなくなります。どうぞお幸せに

Na20
恋愛
夫にも息子にも義母にも役立たずと言われる私。 それなら私はいなくなってもいいですよね? どうぞみなさんお幸せに。

処理中です...