33 / 229
第一章の裏話
追話 使用人の日記より執事カルドの日記 ⑤
しおりを挟む今、泣いているのは誰であろうか。妻であろうか。息子であろうか。義弟であろうか。
私には泣く資格はない。泣く権利はない。泣く道理がない。
旦那様のお役に立って、ご奉仕しなければならない。なのに、私は間違った。
妻や息子が自慢とし、手本となるように。そう心がけてきたのに。
私は私の主の宝物を守りきれなかった。
「フェスマルク主席殿。奥方には私から伝えますか?それとも、貴方が伝えますか?」
ザクス様は、旦那様にそうたずねられました。
「私が…伝えます」
旦那様は、振り絞るように、答えられました。
「医務官としては、以上となります」
ザクス様はそういうと、旦那様の肩を掴み、うつむいたままの旦那様へ、こう申されました。
「年長者の友人として、また個人として、怒りがわかないことはありませんが、どうか、はやまったことをなさらないように。今、ティスを失ったら、彼女は…」
「わかっています。わかってはいるが…クレトスさん…私は、父や母を戦争で亡くしました。この上、子供を喪い…俺は…何を憎めばいいのでしょうか!」
悲痛な叫びを伴う旦那様の言葉を、その場にいた者、全てが聞きました。
「俺が…もっと強ければ…!」
ザクス様は、旦那様から離れ、私達の方を向きながら、深く頭を下げられた。
王宮の医務官の中でも、首席といえば、国どころか、大陸一の医師でもあり、爵位も個人のみとはいえ、公爵に並ぶほど、権威のある方が、一介の使用人、それも獣人のみの私達へと、頭を下げられたのだ。そして、ザクス様自身は、国有数の貴族でもあられていた。
「私は、今回、王から必ず奥方を救うようにと、厳命されました。けれど、奥方は、お子を救うようにと、意識の混濁の中で嘆願なされました」
私たちの顔を見て、旦那様へと強い視線を向けられた。
「憎むのは、私にしなさい。私の力不足で、奥方…いえ、国の宝である子を宿す力を失わせたのです。貴方は充分強い。自分の魔力で、自分に呪いをかけるのではなく、私を呪いなさい」
そうして、再び頭を深く下げられた。
「力になれず、申し訳ありませんでした。お屋敷の方々にも、再度、深くお詫びいたします」
旦那様も、私達も何もいえませんでした。ザクス様は、王宮へとお戻りになられました。
私は、命を持って謝罪をしようと思った。お子様の命が戻るわけではない。どのような魔法も、死者を呼び戻すことはできない。また、胎児は精霊の領域であり、精霊は力を貸さない。
ただ、私は、死にたかった。
「旦那様、私を」
殺していただけませんか。
そういい切る前に旦那様はおっしゃった。
「ダメだ!」
広間に、強く拒絶の言葉が響きました。私の価値がない命を持ってしても、旦那様の溜飲は下げられない。一瞬、そう思ったのだ。
「これ以上、家族を失わせるな!カルド…ついてきてくれ…フィオナは…もう少しあとで、ディアの側にきてくれ」
そう旦那様はおっしゃられると、奥様の元へと参られました。
私は、旦那様の言葉に、不甲斐ない自分に対して、そして、逃げようとしたことへの怒りで震えた。
こんな私をまだ家族と思っていただいても、私は…いえ、その時に私は、命を持って復讐を決めたのだ。
寝室へと入ると、消毒液と私でもわかるほどの濃厚な魔力の残り香があった。
「ねぇ…ティス…私ね…子供が産まれたらね…みんなでピクニックしたり…お茶をしたりしたいな…」
奥様は薬の影響か、ぼんやりとなされていました。旦那様に、毎日のように仰っておられた言葉を…話され出したのです。
「ああ…そうだな」
いつも旦那様は、笑顔で答えておられました。その時も、無理に笑おうとなされていました。
奥様の手を握られる力が強くなったようでした。
「それでね…私はね…絶対に子供の前では…笑ってあげてるの…安心…するでしょ?」
「ああ…!」
涙混じりのお二方を、私は、忘れることはできない。
奥様は、すでに自分の身体の異変に気づいておられたのだ。
「どんなことでも…きいてあげてね…ほめてあげて…大好きだって…いって…」
「ディア!」
奥様の涙をみて、旦那様は奥様を強く抱きしめられました。
「いいお母さんに…なって…あげたかったな…」
そういって、奥様は、お子がすでにいなくなった腹部に向かっておっしゃられた。
「ごめんね…お母さんが守ってあげなかったら…いけなかったのに…ごめんね…ごめんね…」
私は、その場から逃げ出すように、離れました。耐えれなかったのです。お二方の悲しみを、私は共有することなど、できなかった。
広間に戻ると、ランディといつのまにいたのか、ティルカだけがいた。フィオナは、キャスとナザドを寝かしつけにいったのだろう。
奥様に会う前に涙を涸らす必要もあったのだろう。
そこで、私はようやく、今が真夜中近くになっていることを自覚した。時間の感覚がなくなっていたのだ。ザクス様の施術も、数分間だと思っていたが、その後、フィオナから、何時間もかかっていた、貴方は何も話せなくなっていたと聞かされ、どれほど、私は我を見失っていたのかようやく知ることができた。
ランディに抱かれ、大泣きをしているティルカは、私の姿をみると駆け寄ってきた。
無様にも、奥様を守れなかった父をなじるものかと思ったのだが、ティルカは、私の腕の中に飛び込むと、泣きじゃくって、自分自身を責め始めたのだ。
「親父…坊っちゃまは、俺が弱かったから、精霊様の元に戻ってしまったんだ…」
「ティルカ…そうじゃないんだ」
「いいや!俺がもっと強かったら!坊っちゃまは、産まれてこれたんだ!」
ティルカは何も悪くない。その言葉をかけることすら、私にはできなかった。
私が悪いのだと、ただ、その言葉をいうことすら、私にはできなかったのだ。
抱きしめることすらできず、受け止めるこしかできなかった。
「ティル坊。こっちにくるだ」
ランディが、ティルカを呼ぶ。屋敷で産まれてから、ランディはティルカのお守りをずっとしていた。もしかしたら、いや、私よりも、父親らしいだろう。
「ランディおじさん…」
鼻をすすりながらも、ランディの腕にいくティルカ。ランディは、ティルカを抱きしめ、頭を撫でてやる。
「オラはボージィン様のお考えはわからねぇ。でもな、誰のせいでもねぇだ。自分を責めても、誰も喜ばねぇ。運命っちゅうもんも、オラにはわからねぇ。だけどな、ティル坊が、血豆潰しても、骨を折っても、泣かずに坊っちゃまの為だって、頑張ってたのは、オラも、カルド様も…勿論、旦那様や奥様だって知ってるだ」
剣術を教えた時、私の剣術は人を殺す剣術であり、手加減しても、怪我をすることを教えていた。
「自分の頑張りを自分で否定するでねぇ。坊っちゃまの為だっていってたことまで、否定してしまうぞ。そうなったら、坊っちゃまはどう思うんだ?」
「坊っちゃまが、どう思うか…悲しいと…思う」
「ティル坊が、思うなら、その通りだ。オラはティル坊の直感を信じるだ。だから、今は何をしたらいいか、わかんべ?」
ランディがそういうと、ティルカは頷いて、私の元へと再び来て、先程よりも強く抱きついてきた。
「親父…すまねぇ…」
ああ。この子は、なんと、強く育っているのか。
「私こそ…すまない、ティルカ…ありがとう、ランディ」
今度は、ティルカを抱きしめた。暖かい命を、抱きしめた。
「カルド様も、少し休むだよ。ゆっくり、休んで…それから、思うようにすればええだ。屋敷のことは、オラとスラ吉が守ってみせるだ。ティル坊も、協力してくれると、助かるだ」
「わかってるよ、おじさん!…親父、旦那様のそばにいて、見届けてくれ。それから、思ったことをすればいい。俺は、どんなことをしても、どんな結果になろうと、親父の息子でよかったと、思ってるから」
二人が広間を出ていってから、私は、刃こぼれしている剣を変え、以前ヴェルム様に打っていただいた剣を二振り腰にさした。ミスリルでできたこの二振りは、此度の戦場には持っていかなかった。
双剣は、集団戦にむかない。特に私のスキルでは、周りを巻き込んでしまう。さらに、守ることを捨てたときにしか、この双剣は持ち出さなかった。
呼吸を整え、魔力を使えることを確認する。戦場の疲労も、魔力の消費もすでに回復を終えていた。
しばらく広間でお待ちしていると、旦那様も、同じように装束を整え、精霊と契約してから滅多に使われることのなかった杖と、ミスリルの剣を腰にさして、ご用意を終えられてこられた。
「カルド。今から私が何をするのか、お前は見てくれるか?」
膝をつき、返答をすると、私達は、出陣したのです。
10
お気に入りに追加
319
あなたにおすすめの小説
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

一家処刑?!まっぴらごめんですわ!!~悪役令嬢(予定)の娘といじわる(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫
むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

憧れのスローライフを異世界で?
さくらもち
ファンタジー
アラフォー独身女子 雪菜は最近ではネット小説しか楽しみが無い寂しく会社と自宅を往復するだけの生活をしていたが、仕事中に突然目眩がして気がつくと転生したようで幼女だった。
日々成長しつつネット小説テンプレキターと転生先でのんびりスローライフをするための地盤堅めに邁進する。

メインをはれない私は、普通に令嬢やってます
かぜかおる
ファンタジー
ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール
けど、メインをはれるだけの実力はないや・・・
だから、この世界での普通の令嬢になります!
↑本文と大分テンションの違う説明になってます・・・
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

家庭菜園物語
コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。
その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。
異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる