上 下
26 / 26

人を致して人に致されず

しおりを挟む
西側戦線での激突から約1日後。
戦場から離れた山の中に2人の姿があった。

「アギン、どうかな? タリン軍は、引き返し始めるいるように見えるけど。」
「ああ、俺にもそう見えるよ、ケイブ。 やつら、引き返しちまうんですね…。」
「ねえねえ、なんでちょっと残念そうなのさ?」
「そりゃ残念でしょうよ。 あいつらの首だけじゃなくて、殲滅した敵兵の首も捨て置かなきゃいけないんだから」
「まあ、確かに、集めるの大変だったからね。」

つい昨日、敵を視察し、襲撃することを決めたこの地で、
今度はタリン勢の様子を、父の相棒にして腹心のアギンと、息子のケーヴァリンが遠く眺めている。

視線の先にはタリン軍が、山とつまれた兵糧にとりつき、荷車に詰め込んだり担いだりしている様子が見える。
さらには、一部の敵兵が、後方に戻り始めている様子がうかがえる。
背中を見せている以上、引き返すのは間違いないだろう。

「それでケイブ、御大将からは、ケイブの判断に任せると言っていたが。」
「じゃあ、攻撃ね。 あの様子だと、相当動揺しているでしょう。」
「そうこなくっちゃ! じゃあ知らせてくる!」
「お願い!」

さすがに、首と死体に囲まれたところで宿営はしたくないだろう。
例え侵攻を諦めなかったとしても、この場所からは離れたく思うのが人情だ。
しかし、二千の敵兵が、これで本当に帰ってくれるならなんて、正直なところわからない。
もしかしたら陣所を下げるだけかもしれないのだ。

ただし、帰るにしても帰らないにしても
追い討ちをしない理由はない。

このまま帰るつもりが無い場合、体勢を立て直す前に追い討ちは必須だ
逆に、このまま帰るつもりがあった場合でも、討っといて損はない。

また、兵糧を持って帰るということは、それだけで行軍スピードは遅くなるし、隊列も伸びる。
それに、あれだけの大荷物を持って山中を移動するのだ。
体力も消耗するし、鎧だって脱ぐ。
それに、背中も見せてくれているので、追い討ちには有利だ。

もし対応を考える必要があるのであれば、それは敵が兵糧という「餌」に食いつかずに警戒態勢をとった場合だ。
その場合は、容易に追い討ちをすることは自殺行為になろう。
なんらかの対応が必要だった。しかし、その心配はもはや無い。

「ケイブの部隊が戦場から帰ってくるとき、兵糧と首を集めたのは、このためですかい?」
「まあね~。 もともとは兵糧も首も持って帰るつもりだったけど、敵に援軍がまだいるようだったから、入念に集めさせたんだ。日暮れも近かったしね」
「あの時には、もう次の展開を考えていたんですか…」
「まあ、わからないことだらけだし、外すこともあるけどね。」

今回、実戦をして分かったことがある。
それは、思った以上に戦場は「わからないことだらけ」ということだ。

こういう所は、将棋と同じだ。
将棋もまた、盤面が複雑になればなるほど、どちらがより大きなミス、つまり敗着を『しないか』の勝負になる。
ということは、先に仕掛け、相手に大きな敗着を誘導する方が、どうしても有利になる。
主導権をとるということだ。

『人を致して人に致されず。よく敵人をして自ら至らしむるは、これを利すればなり。』
自らが選定した有利な戦場に敵を誘い込みはするが、誘い込まれることはない。
敵を思いどおりに来させることができるのは、利益を与えるからである
ともいえる。

「すでに、敵が帰る進路には伏兵を配置している。 奴ら慌てふためくでしょうよ」
「じゃあ、敵が完全に後ろを向いて油断したところで」
「ああ、作戦開始だ」

タリン勢は、この一帯にすでにブラジュ人がいないとでも思っているのだろうか?
まあ、兵糧と首を並べておいたんだ。
普通は持って帰るべきものが置いてあるのだから、置いて帰ったとでも思ったのかもしれない。

その淡い期待が命取りになった。

ここまでやっておけば、もう西の方は問題なくなるだろう。
あとは…。

「それじゃあ、僕は分隊30を率いて、東に向かうよ。」
「ああ、そうしてくれ。 あの程度の軍勢、わけも無く打倒せるでしょうよ。」
「うん、よろしく。」

そうして、アギンとケイブはお互いの反対方向に別れる。
後ろを振り返ったケイブの目の前には、もとから率いていたケイブ隊の面々に加え、負傷兵や輸送隊の数名が出発の準備を万端にして待っていた。

このブラジュ軍は千人ほどしかいない。
そのため、一人一人が担う役割は大きい。
兵を一人でも前線に投入したいがために、たとえ東に対処するための移動であっても、負傷兵の護送や荷物の輸送を担わなけらばいけない。
正直、猫の手も借りたい。

「バダラ、隊の状況は?」
「ハッ。ケイブ隊の脱落者はいません。怪我を負ったものもいますが、戦線には復帰できます。 また、護送する負傷兵にも、歩けない兵はいません。」
「そうか、じゃあ時間との勝負だ。 急げるだけ急ごう。」
「承知しました。」

そうして出発するケイブ隊の面々。
目指すは、ザク領が布陣する東側の山脈だ。
いわば、先んじて斥候として敵陣を視察する役目だ。
その道中、一番近くの村で負傷兵を置いていくことになる。

ここまでくるにも、かなりの困難があったが、ここからが本番かもしれない。
なにせ、すでに5千の敵兵が集結しており、いつ動き出してもおかしくないはずだから。

(やれやれ、どれだけ僕たちは恐れられているんだか。)

そうして、荷物の最終チェックも終わり、隊は動き出す。
その荷物とは、今回の戦利品だ。

その中には、自分たち用の兵糧や使えそうな矢束、武器装飾も、もちろんある。
しかし、一番大事そうに結わえ付けられたもの。
それは、恐怖の色に染め上げられた、老将。

かつてクオン老と呼ばれていた男の首を筆頭に、立派な兜をつけた首がずらりと並んでいた。

しかし、その中にイネア家の当主の首は無かった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...