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侵攻準備

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ブラジュ領には軍勢が通行できる街道が4つ。
それぞれ東西南北に伸びている。

一つは、ブラジュ領を囲むアルト山脈から南に流れ出る川沿いの道だ。
ここは川で飲み水を確保できるために大軍が動きやすい。
とはいっても、アルト山脈を下山する唯一の道であり、ブラジュ領から見て「下界」との連絡路である。
文字通り、住む世界が違っており、南から大勢力が「登山」しながら攻めてくることは、大昔にさかのぼらなければあまり無い。

西へと続くルートは、イネア領に続く道だ。
ここの勢力は、山を縫うような平地がポツポツと点在しており、お互いの交通は遮断されている。
とはいっても、多少の山道を抜ければ隣の領地に抜けられることもあって、完全な分断ではない。
そのため、独立独歩の小勢力が形成されているものの、互助会のように緩やかな連合体を形成している。

北側へと続く街道はズミア領に続いている。
ズミア領より先には道はなく、袋小路となっている。
つまり、まだ植民されて歴史が浅く、開発が進んでいない。
そのため、平地はそれなりに広いのだが、その大半は草が生い茂っており、そこまでの脅威でもない。
ただ、苦労して山を切り開いてきた人たちだ。
開発してきた自らの土地に対する愛着は人一倍強い。

最後の一つは、東に延びた街道であり、ザク領へと続いている。
ザク領は、細長く平地が続いており、総面積で言えば、アルト山脈では最大勢力を誇っている。
ザク領から先は、東の下界とつながっているらしく、たまに東方世界の文物が流れてくることがある。
ケイブが手に入れた「米」も、そのルートから入ってきた。

今回は、西のイネア領、北のズミア領、そして東の我らザク領の3方向から、ブラジュ領を包囲する作戦となる。

「上様。イネア領、ズミア領の連中と、ブラジュ領の侵攻計画の合意が取れました。
今度の満月となる日の早朝に、一斉にブラジュ領へと進む手はずです。」
「ああ、わかった、5日後だな。抜かりなく準備をしてくれ。」
「はっ」

これまでの歴史上、ブラジュ領とザク領が矛を交えるたことは何度もある。
当然、戦いである以上、勝つころもあれば負けることもあった。
しかし、それは今回のようにブラジュ領を包囲する形で連合した場合であり、ブラジュ勢とのタイマンでの戦績は、はっきり言って悪い。

ブラジュ領は、アルト山脈の諸勢力の中でも、連合という形式を取らず、一つの勢力としてまとまっている数少ない勢力だ。
それに加えて、領地全体が丸々一つの家族のような結束力があり、練度が段違いに高い。
いくら体を鍛え、身体能力の差がわずかであったとしても、集団で戦う戦争でモノ言うのは、何と言っても軍の統制である。

その点、どうしても連合体の形式をとって対抗せざるを得ない以上、分が悪い。
とはいっても、戦いにおける「数」というのは、大きなアドバンテージだ。
であるが故の、今回の3方向同時攻撃なのである。

「さて、ブラジュの連中はどう出てくるかな?」
「少なくとも、喜んでいるのは間違いないですね。」
「ああ、それでいて無策に突っ込んでくるようなイノシシではないから面倒だ。」

今回の連合軍の盟主は、三勢力の中でも最大勢力であるザク領主、その名もグレットだ。
彼は40も半ばに差し掛かる戦士であり、独立色の強いザク領の勢力を力でまとめ上げている実力者だ。
そんなグレットにとって、ブラジュ領との戦いには苦い記憶がある。
彼が初陣を飾った相手こそブラジュであり、その時は負け戦だった。

新兵であった彼は戦力として使いつぶされることが無いように、予備の予備として後方に陣取っていたことが功を奏し、生きて帰ることができた。
ただその時、前線でぶつかり合ったブラジュ軍の勢いは、今も目に焼き付いて離れない。

それからというもの、ザク勢がブラジュ領へと侵攻する頻度は、極端に下がった。
そのため、小競り合い程度なら日常茶飯事であるものの、今回のブラジュ領への侵攻は、久しぶりとなる。
若い連中は、ブラジュ勢と戦ったことが無い奴らが大半であり、これまで小競り合いで受けた借りを返そうと、やる気満々だ。
しかし、ブラジュ軍と殺りあったことがある一定以上の兵は、決意に満ちた神妙な面持ちだ。

「それで上様。我々はどのような陣立てで行きましょうか?、」
「ブラジュ軍と戦ったことが無い連中は、後ろに下げて遠距離攻撃させろ。
最前線は壮年の部隊で固めて、数で押しつぶす。」
「承知しました。」
「あと、ブラジュ領の人間は女子供であっても、例外なく戦士だ。油断しないように伝えて置け。」
「承知しました。あとは、ズミアとイネアの連中が、簡単に崩れない程度にがんばってもらうだけですかね。」
「いや、それに期待するのは難しいだろう。
連中は、うちらに輪をかけた連合体。あまり期待はできないだろう。」

アルト山脈に点在する平地は地形的に分断されており、出兵するにしても、たいていは山を越えなければならず、それだけで軍は消耗する。
それに加え、山で鍛えられた強兵の中でも、ひときわ武闘派のブラジュ軍に対して、好き好んで喧嘩を売る物好きはいない。
山の縄張りや利権をめぐり、小競り合いは日常茶飯事だが、ブラジュ領の領民の実力差は歴然である。

たとえ、総勢力は5倍は用意できても、ブラジュ軍は油断ならない。
そのことを身をもって知っている世代のグレットは、安易な希望的観測に逃げない、優秀な軍人だ。

「そもそもだ。今回、我らの勝利条件は、ブラジュの食料を奪うことだ。
というわけで、…」

侵攻まであと5日。
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