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軍事訓練と実戦
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ジャーーーーーーーン
ジャ…ーーン
ジャ…ン
ブラジュ領を包囲するようにそびえたつアルト山脈に、打ち鐘の大きな音が木霊する。
自然界では決して発生しえない金属音をまき散らしているのは、二列縦隊で整然と山道を進む、十人程度の男女。
これは行軍だ。
しかし、その10名程度の一団の大半は、新兵というには幼すぎる子供達だった。
とはいっても、最低限の弓や投石紐で武装をしている。
つまりは「少年兵」だ。
その中に、打ち鐘を持つ子供がおり、時折、鐘を打ち鳴らしながら歩いている。
この一団の前列から3番目に、領主の子であるケーヴァリンの姿があった。
その武装や待遇を見るに、領主の子だからと言って、特別扱いは無い。
「稚児衆!これは遊びではないぞ!
俺たちの役割はわかってるな!」
「「「はい!」」」
稚児衆を先頭で統率するのは、子供と大人のちょうど中間にいるような、一般的な青年だ。
非常に慣れた様子で持ち場に移動する様子を見るに、彼もまた、つい数年前までは、『稚児衆』だったのだろう。
先頭を進む彼の背中から、集団を率いるという「大役」に対する、喜びと気負い、そして何より責任観がにじみ出ている。
……
…
そうして森を進んでいった先に、一つの大きな物見櫓が見えた。
ただ高いところから眺めるためだけに作られたこの施設こそ、今回、この稚児衆が配置される場所だ。
そして櫓のそばには、弓と槍で武装した十人前後の成人したブラジュ人が見える。
「報告!
我ら稚児衆、予定ルートの「打ち歩き」を完了!脱落者無し!
これより、定刻まで櫓上で待機します!」
「報告、了解!ご苦労!」
青年が大人衆に報告をした後、十人の子供と青年がキビキビと櫓に上る。
それからというもの、交代で周囲を見張りながら、じっとしゃがんで待機する。
この間、誰も何もしゃべらない。
いや、しゃべれない。
この張り詰めた緊張感の中では、自然としゃべれるのが憚られる。
「何もしない」というのもつらいものだが、周りの子供たちは、それによく耐えている。
ーー…。
ー…。
…。
どれだけ時間がたっただろうか。
森の音、鳥の鳴き声や風の音、葉のこすれる音が場を支配する中、ようやく下から人の声が響く。
「定刻だ!
稚児衆、「打ち鳴らし」用意!」
「稚児衆、「打ち鳴らし」用意、了解!
………
稚児衆、総員起立!」
唐突に、隣の子供が後ろに吹き飛んだ。
先ほどから統率している青年が、その子を殴り飛ばしたのだ。
どうやらその子は、「起立」の号令がかかる前に、起立してしまったらしい。
下にいる大人衆の声は、当然ながら子供たちにも聞こえる。
その殴り飛ばされた子は、大人衆の命令を聞いて、「これから打ち鳴らしを用意するんだな」と理解したために、勝手に起立し、手に持っている鐘を鳴らす準備を整えようとしたのだろう。
青年が、大人衆に向けて打ち鳴らし準備命令の「了解」を叫び、起立の号令をしようと振り返った時には、すでにその子だけは「立って」いた。
命令違反である。
起立の号令まで、少しの間があったのは、子供を殴り飛ばしていたためだ。
ーー命令に無いことを勝手にやる。
これが、軍隊にとって、いかに「命取りになるか」を、子供の時から体に叩き込んでいるんだ。
しかし、青年はその子に「勝手なことをやるな」とか「俺が命令してから行動しろ」のような、『余計な事』を言わない。
これは「実戦」なのだ。
そして言わなくても、その子がなぜ殴られたのかは、ここにいる全員が即座に理解している。
ここでは無駄なことをする暇など無い。
殴られた子も即座に立ち上がり、起立をする。
櫓の下からは、馬のいななきの声がする。
大人衆の何人かが、馬に乗ったのだろう。
ブラジュ領では、馬を少し繁殖させている。
全員が乗れるほどの数はおらず、基本的には歩兵が主体なのだが、一部の指揮官クラスは騎乗することもある。
「稚児衆!「打ち鳴らし用意」!」
「「「打ち鳴らしよーい、りょーかい!」」」
青年の号令に、少し舌足らずな声で応答する。
これが学芸会だったら、見物する親は「かわいい!」と身もだえしただろう。
しかし、子供たちの真剣さは、それがお遊戯ではないことを物語っている。
ケーヴァリンもここでは、個性を消して一人の兵士に徹しており、真剣そのものだ。
そうして準備を整え、太陽が中天を過ぎたとき、周囲の山々から、鐘を打ち鳴らす音が響き渡ってきた。
が、まだ号令は無い。
青年は周囲の山を見ながら、集中している。
と、ある木々が生い茂った山の一角で、一斉に鳥が飛び立った。
「稚児衆!打ち鳴らし始め!」
青年の号令と共に、稚児衆の全員が一斉に鐘を打ち鳴らし、雄たけびを上げる。
ようやく、実戦が始まった。
☆☆☆☆☆☆
ブラト領の北側。
そこはアルト山脈が少し途切れて谷となっており、獣道よりは歩きやすい程度の「街道」を形成している。
そんな街道から少し離れたところに、山と山の間に横たわるように、広い原っぱがあった。
とはいっても、その原っぱには、人の背丈ほどもある雑草が生い茂っており、とてもピクニックをする気分にはなれないだろう。
そんな「原っぱ」の中央に陣を張り、中央で腰かけているのは、ブラド領の領主、ヒムシンだ。
じっと目をつむって座っていたヒムシンだが、
原っぱの正面に鎮座する山脈のあちこちから、鐘の音が聞こえ始めてきたとき、静かに目を開けた。
―――いよいよか。
「お館様。伝令が来ます」
「うむ、そうか。」
………
……
…
「…伝令!
アギン様から報告!
獲物の一団の一部が、こちらに流れてきています。」
「数は?」
「およそ500!ヴァルハも50体ほど「見た」とのこと」
「わかった。ご苦労。」
「ハッ!」
機敏な行動で陣から離れる伝令。
「お館様。ヴァルハ50なら想定通り。
山には『驚き』の『気配』が充満しています。
奴らが算を乱して飛び出てくるのは、後、半刻程度でしょう」
「わかった。手はず通りに。」
「承知しました」
命令が飛び交い、にわかに活気づく陣。
今日は、ブラジュ領で行われる山狩りの日だ。
ここブラジュ領の生産力は、決して高くはない。
ただ、それは麦を育てるに、そこまで適した土地ではない、というだけで、山の幸はむしろ豊富だろう。
周囲を山に囲まれた平地に身を寄せ合うように集住するブラジュ人たち。
彼らの強靭な肉体を作るのは、平地から取れた作物というよりも、むしろ山で獲れる動物性たんぱく質だ。
おふくろの味。
そういうと、日本人であれば、お味噌汁なんかをなんとなく想像するかもしれない。
しかし、ここブラジュ領では、山狩りで獲れた獲物で作った肉料理を想像するのだ。
(さて。そろそろ俺も、準備運動しようかな…)
「おや、お館様、どちらへ?」
「いや、準備運動だよ。相変わらずお前はよく気づく。」
「すみません。ついつい。」
「ああ、そのままでよい。」
「ありがとうございます。ところでお館様。
今回、こちらに向かっているのは500とのことですが、いつもより気配は多い。
もしかしたら、稚児衆に一部、流れるかもしれません。」
「わかった。まあ、それも想定内だな。」
そういって、立ち上がるヒムシン。
集団で行う山狩りというのは、立派な軍事教練の一環だ。
かつてのモンゴル帝国しかり。
満洲人しかり。
日本の武士しかり。
鹿やタヌキなど生き物を相手に、獲物を追い込む集団行動は、その民族の戦い方そのものだ。
そうして、自分の受け持つ隊の役割をしっかりと認識し、命令に対して動く訓練をしている。
そして、ここブラジュ領の狩りはなんと言っても「命がけ」だ。
当然、鹿などの草食動物が大半だが、厄介な獲物がいる。
それが、少数の集団で群れを形成する「ヴァルハ」だ。
外見はバカでかいイノシシだが、少数の集団で狩りをする肉食獣だ。
となれば、どちらかというと習性は狼に近いのだろう。
常人であれば、見かけたら即逃げる必要があるが、ブラジュ人にとっては勝手知ったる獲物だ。
とはいっても、ブラジュ人の肌がヴァルハの牙を跳ね返せるわけもない。
襲われたら普通に死ぬこともある。
それでも、ブラジュ人の人間離れしたバイタリティで集団で相手をすれば、問題はない。
戦場の緊張感に、実家のような安心感を感じながら、一人、兜の緒を締めた。
ジャ…ーーン
ジャ…ン
ブラジュ領を包囲するようにそびえたつアルト山脈に、打ち鐘の大きな音が木霊する。
自然界では決して発生しえない金属音をまき散らしているのは、二列縦隊で整然と山道を進む、十人程度の男女。
これは行軍だ。
しかし、その10名程度の一団の大半は、新兵というには幼すぎる子供達だった。
とはいっても、最低限の弓や投石紐で武装をしている。
つまりは「少年兵」だ。
その中に、打ち鐘を持つ子供がおり、時折、鐘を打ち鳴らしながら歩いている。
この一団の前列から3番目に、領主の子であるケーヴァリンの姿があった。
その武装や待遇を見るに、領主の子だからと言って、特別扱いは無い。
「稚児衆!これは遊びではないぞ!
俺たちの役割はわかってるな!」
「「「はい!」」」
稚児衆を先頭で統率するのは、子供と大人のちょうど中間にいるような、一般的な青年だ。
非常に慣れた様子で持ち場に移動する様子を見るに、彼もまた、つい数年前までは、『稚児衆』だったのだろう。
先頭を進む彼の背中から、集団を率いるという「大役」に対する、喜びと気負い、そして何より責任観がにじみ出ている。
……
…
そうして森を進んでいった先に、一つの大きな物見櫓が見えた。
ただ高いところから眺めるためだけに作られたこの施設こそ、今回、この稚児衆が配置される場所だ。
そして櫓のそばには、弓と槍で武装した十人前後の成人したブラジュ人が見える。
「報告!
我ら稚児衆、予定ルートの「打ち歩き」を完了!脱落者無し!
これより、定刻まで櫓上で待機します!」
「報告、了解!ご苦労!」
青年が大人衆に報告をした後、十人の子供と青年がキビキビと櫓に上る。
それからというもの、交代で周囲を見張りながら、じっとしゃがんで待機する。
この間、誰も何もしゃべらない。
いや、しゃべれない。
この張り詰めた緊張感の中では、自然としゃべれるのが憚られる。
「何もしない」というのもつらいものだが、周りの子供たちは、それによく耐えている。
ーー…。
ー…。
…。
どれだけ時間がたっただろうか。
森の音、鳥の鳴き声や風の音、葉のこすれる音が場を支配する中、ようやく下から人の声が響く。
「定刻だ!
稚児衆、「打ち鳴らし」用意!」
「稚児衆、「打ち鳴らし」用意、了解!
………
稚児衆、総員起立!」
唐突に、隣の子供が後ろに吹き飛んだ。
先ほどから統率している青年が、その子を殴り飛ばしたのだ。
どうやらその子は、「起立」の号令がかかる前に、起立してしまったらしい。
下にいる大人衆の声は、当然ながら子供たちにも聞こえる。
その殴り飛ばされた子は、大人衆の命令を聞いて、「これから打ち鳴らしを用意するんだな」と理解したために、勝手に起立し、手に持っている鐘を鳴らす準備を整えようとしたのだろう。
青年が、大人衆に向けて打ち鳴らし準備命令の「了解」を叫び、起立の号令をしようと振り返った時には、すでにその子だけは「立って」いた。
命令違反である。
起立の号令まで、少しの間があったのは、子供を殴り飛ばしていたためだ。
ーー命令に無いことを勝手にやる。
これが、軍隊にとって、いかに「命取りになるか」を、子供の時から体に叩き込んでいるんだ。
しかし、青年はその子に「勝手なことをやるな」とか「俺が命令してから行動しろ」のような、『余計な事』を言わない。
これは「実戦」なのだ。
そして言わなくても、その子がなぜ殴られたのかは、ここにいる全員が即座に理解している。
ここでは無駄なことをする暇など無い。
殴られた子も即座に立ち上がり、起立をする。
櫓の下からは、馬のいななきの声がする。
大人衆の何人かが、馬に乗ったのだろう。
ブラジュ領では、馬を少し繁殖させている。
全員が乗れるほどの数はおらず、基本的には歩兵が主体なのだが、一部の指揮官クラスは騎乗することもある。
「稚児衆!「打ち鳴らし用意」!」
「「「打ち鳴らしよーい、りょーかい!」」」
青年の号令に、少し舌足らずな声で応答する。
これが学芸会だったら、見物する親は「かわいい!」と身もだえしただろう。
しかし、子供たちの真剣さは、それがお遊戯ではないことを物語っている。
ケーヴァリンもここでは、個性を消して一人の兵士に徹しており、真剣そのものだ。
そうして準備を整え、太陽が中天を過ぎたとき、周囲の山々から、鐘を打ち鳴らす音が響き渡ってきた。
が、まだ号令は無い。
青年は周囲の山を見ながら、集中している。
と、ある木々が生い茂った山の一角で、一斉に鳥が飛び立った。
「稚児衆!打ち鳴らし始め!」
青年の号令と共に、稚児衆の全員が一斉に鐘を打ち鳴らし、雄たけびを上げる。
ようやく、実戦が始まった。
☆☆☆☆☆☆
ブラト領の北側。
そこはアルト山脈が少し途切れて谷となっており、獣道よりは歩きやすい程度の「街道」を形成している。
そんな街道から少し離れたところに、山と山の間に横たわるように、広い原っぱがあった。
とはいっても、その原っぱには、人の背丈ほどもある雑草が生い茂っており、とてもピクニックをする気分にはなれないだろう。
そんな「原っぱ」の中央に陣を張り、中央で腰かけているのは、ブラド領の領主、ヒムシンだ。
じっと目をつむって座っていたヒムシンだが、
原っぱの正面に鎮座する山脈のあちこちから、鐘の音が聞こえ始めてきたとき、静かに目を開けた。
―――いよいよか。
「お館様。伝令が来ます」
「うむ、そうか。」
………
……
…
「…伝令!
アギン様から報告!
獲物の一団の一部が、こちらに流れてきています。」
「数は?」
「およそ500!ヴァルハも50体ほど「見た」とのこと」
「わかった。ご苦労。」
「ハッ!」
機敏な行動で陣から離れる伝令。
「お館様。ヴァルハ50なら想定通り。
山には『驚き』の『気配』が充満しています。
奴らが算を乱して飛び出てくるのは、後、半刻程度でしょう」
「わかった。手はず通りに。」
「承知しました」
命令が飛び交い、にわかに活気づく陣。
今日は、ブラジュ領で行われる山狩りの日だ。
ここブラジュ領の生産力は、決して高くはない。
ただ、それは麦を育てるに、そこまで適した土地ではない、というだけで、山の幸はむしろ豊富だろう。
周囲を山に囲まれた平地に身を寄せ合うように集住するブラジュ人たち。
彼らの強靭な肉体を作るのは、平地から取れた作物というよりも、むしろ山で獲れる動物性たんぱく質だ。
おふくろの味。
そういうと、日本人であれば、お味噌汁なんかをなんとなく想像するかもしれない。
しかし、ここブラジュ領では、山狩りで獲れた獲物で作った肉料理を想像するのだ。
(さて。そろそろ俺も、準備運動しようかな…)
「おや、お館様、どちらへ?」
「いや、準備運動だよ。相変わらずお前はよく気づく。」
「すみません。ついつい。」
「ああ、そのままでよい。」
「ありがとうございます。ところでお館様。
今回、こちらに向かっているのは500とのことですが、いつもより気配は多い。
もしかしたら、稚児衆に一部、流れるかもしれません。」
「わかった。まあ、それも想定内だな。」
そういって、立ち上がるヒムシン。
集団で行う山狩りというのは、立派な軍事教練の一環だ。
かつてのモンゴル帝国しかり。
満洲人しかり。
日本の武士しかり。
鹿やタヌキなど生き物を相手に、獲物を追い込む集団行動は、その民族の戦い方そのものだ。
そうして、自分の受け持つ隊の役割をしっかりと認識し、命令に対して動く訓練をしている。
そして、ここブラジュ領の狩りはなんと言っても「命がけ」だ。
当然、鹿などの草食動物が大半だが、厄介な獲物がいる。
それが、少数の集団で群れを形成する「ヴァルハ」だ。
外見はバカでかいイノシシだが、少数の集団で狩りをする肉食獣だ。
となれば、どちらかというと習性は狼に近いのだろう。
常人であれば、見かけたら即逃げる必要があるが、ブラジュ人にとっては勝手知ったる獲物だ。
とはいっても、ブラジュ人の肌がヴァルハの牙を跳ね返せるわけもない。
襲われたら普通に死ぬこともある。
それでも、ブラジュ人の人間離れしたバイタリティで集団で相手をすれば、問題はない。
戦場の緊張感に、実家のような安心感を感じながら、一人、兜の緒を締めた。
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