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秋分の日(風磨の引退試合)
…5
しおりを挟むしんみりと時間が過ぎていく中、やっと渋滞が途切れ車が流れ出した。
「ちょっと急ごう。
試合に間に合わなくなっちゃうから」
私は最後に聞きたい事があった。
それを聞く事がいい事なのかは分からないけれど、でも、今の私は無性にその答えが聞きたかった。
「ミチャ…
もし、風磨が誕生日のプレゼントにミチャのキスがほしいって言ってきたら、ミチャはキスをプレゼントする?」
ミチャは驚いたように私の方を見て、そして、困ったように笑った。
「すごい質問だな」
私も顔に笑顔を貼り付けた。
でも、私の突拍子もない質問を、ミチャは何だか楽しんでいるように見える。
「私には、誕生日のプレゼントにキスをしてくれたでしょ。
風磨が何も要らない、ミチャのキスがほしいって言ったら?」
ミチャは更に笑いながら、いたずらっ子のような目で私を見た。
「キスならもうした事あるよ。
不意打ちで奪われた。
風磨ってそんな奴だから」
想定外の答えに、私は腰を抜かしそうになる。
「で、で、どうだったの?
風磨のキスは…?」
私は、一体、何を聞いてるんだ?
「どうって?」
私の動揺に気付く事もないミチャは、そんな愚かな質問にも穏やかに対応してくれる。
それがいい事なのかは別として…
「どうって…
ゾクゾクした?
胸がざわついたり、胸がキュンキュンって高鳴った?
風磨のキスって、いい感じだった?」
もう、私は完全に壊れてしまっている。
こんな事を次から次へ質問できる私のメンタルは、人間を超えて、ミチャが言う通り化け物か宇宙人なのかもしれない。
「う~ん、どうだったかな…
でも、僕はまひるのキスの方がキュンキュンしたよ。
またしたいって、思ったくらいだから」
ミチャのこの言葉で、私の単純な心臓はキュンキュンと壊れた目覚まし時計のようにずっと鳴り続けている。
私は、高鳴る胸を鎮めるように大きく二回息を吐いた。
そんな事言うんなら、ミチャ、毎日、キスしていいよ…
なんて、心の中で何度もつぶやきながら。
奥まった高台に位置しているラグビー場は、秋晴れのせいもあり爽やかな涼しい風が吹いていた。
駐車場に車を停めたミチャは、スマホで風磨のお母さんと話している。
あ~とか、う~とか、ふ~んとか、ミチャの電話の対応は小学生レベルで笑ってしまう。
「まひる、ヤバイ。
叔母さん、今日、来てないんだって。
それに、風磨の引退試合だけど、風磨は試合には出なくて、最後のセレモニーだけに出てくるらしい」
私は競技場の前に出ている露店の列に目を奪われていた。
焼きとうもろこしが美味しそうだけど、絶対、歯に詰まるよねなんて、自分の事ばかり考えながら。
「まひる、どうしようか?」
やっと、ミチャの声が耳に届いた。
「え? どうしようって何を?」
ミチャは私の質問に対して、また丁寧に説明をしてくれる。
「試合開始は二時からで、試合が終わるのが大体一時間位だとして、セレモニーってその後だろ?
それまで何してようか?
車の中で昼寝でもする?」
さっき、スマホでこのラグビー大会を検索してみた。
公式な大会ではなく、関東にある社会人チームが数チーム集まってトーナメント方式で試合を行う練習試合のようなものらしい。
でも、地域に根付いたこのイベントは、お祭り感覚でたくさんの地元の人に愛されていた。
「昼寝とかあり得ないよ。
せっかく来たんだから、ラグビーの試合をちゃんと観なきゃ」
「まひるはラグビーの試合って観た事ある?
というか、ルールとか知ってる?」
知るはずがない。
運動音痴で生きてきた人間は、スポーツ全般に何も興味はない。
それは、きっと、ミチャも同じだと思うけど。
「ルールとかは何も知らないけど、でも、風磨の大好きなラグビーを少しでも感じたいの。
それが、最後ならなおさら…」
タイミングが良すぎるとはこの事で、車の中のBGMがユーミンの名曲「ノーサイド」に変わった。
私の中で一気に感情が高ぶり出す。
引退するラグビー選手をモデルに歌ったこの曲は、今の風磨の状況にマッチし過ぎていた。
涙ぐむ私をミチャはジッと見ている。
半分、笑うのを堪えながら。
「ミチャ…
私、やっぱり、風磨に連絡する!
今、風磨を応援するために、このグラウンドに来てるんだって。
風磨の最後のセレモニーを、ミチャも一緒にちゃんと見てるからねって」
ミチャは涼しい顔で外を見ていた。
今頃になって露店に気付いたのか、そんな試合の事よりお腹空いてきたなみたいな目が、私を意気消沈させる。
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