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桜の頃 …12
しおりを挟む流人は老健施設へ向かうちょっとしたドライブに心が踊っていた。
きゆにとっては見慣れた風景でも、流人にとっては全てのものが新鮮で興味深い。
この島の海岸線は砂浜より岩場が多いため、岩に打ち付けられ白い波しぶきをあげる海の姿は、流人の中で島独特のダイナミックな景色として心に残った。
流人は車の窓を全開にして、まだ肌寒い海の風を大きく吸い込む。
「流ちゃん、見える?
あの山の途中にピンクの大きな桜の木があるのが。
よかった~、凄い満開だ~~」
流人は奇跡としか言いようがないその美しい光景に目を奪われた。
下には真っ青な海の青があり、背景は木々の濃いグリーン、そして、そのど真ん中でピンク色の大きな塊は世界を我が物にしている。
「この島の全ての生物が、この季節にしか咲かない唯一の桜の木にゾッコンになるのが分かるよ。
もちろん、その生物の中に俺も入ってる」
きゆは運転をしながら隣に座る流人をチラッと見ると、なんだか魂の抜けた顔をしている。
「流ちゃん、大げさだよ~
東京にだって綺麗な桜はたくさんあるでしょ」
「きゆ、俺、この島、マジて好きだわ…
ってか、俺は、きっと、こういう自然の中が性に合ってるのかもしれない」
流人は、自分がきゆを求めてやまない理由を、今、ここで分かった気がした。
流人にとって、その桜の木は想像以上のものだった。
とにかくデカい…
満開の桜の花達は、海から吹いてくるそよ風に優しく揺れている。
「今日は、平日のせいか、誰もいなくてビックリしちゃった。
いつもは混雑はしないけど、誰かしら桜を見にきてるのに。
最初はただの山桜だったんだけど、あまりにきれいで人が集まるから、いつの間にか手作りのベンチができたり、小さな広場を作ったり、今ではこんなに素敵な空間になったんだ」
きゆは本当にこの場所が好きだった。
今、こうやって、流人と一緒にこの大好きな桜を見ていることが夢のようだ。
「お弁当、作ってきたの、食べよう」
きゆはレジャーシートを桜の木の下に敷き、そこにお弁当を広げた。
「俺、東京にいる時は、春になって桜が咲くのは当たり前の事だと思ってた。
きれいとか、癒されるとか、はっきり言って思った事なんて一度もないんだ…
でも、ここの桜は最高に綺麗だし、いいな~って凄く思う。
こういう世界の中で育ったきゆを、俺が好きになる理由も分かったよ。
きっと、きゆは、俺の持ってないもの見たことがないものをたくさん知ってるんだ」
流人はレジャーシートの上に寝転んだ。
「きゆがこの島を出たくないんなら、俺も、ここにずっと住んでもいいんだけどな……」
「流ちゃん、それはダメだよ…」
きゆは寝転んでいる流人に向かって優しくそう囁いた。
「一年だけで充分……
私も、島の人達も、それ以上は望んでない…」
流人は静かに起き上がり、きゆの言葉を受け流した。
「お腹すいた~ いただきます」
流人はそう言うと、広げた弁当箱に入っているおにぎりを一口で頬張った。
きゆは、もう、それ以上は何も言わなかった。
この幸せな夢のような時間を、桜の花びらのようにあっけなく終わらせたくなかったから。
「それより、何で着替えてきたの?」
流人はいつものやんちゃな流人に戻っている。
「白衣だよ。
なんでパンツスタイルに変えたんだよ。
その恰好、可愛くもなんともないよな、マジであり得ない」
流人はそう言いながら、またポケットからスマホを取り出している。
「あんなワンピースで巡回訪問なんてできないでしょ。
あれは、病院だけなの、残念ですけど」
流人は、きゆの白衣姿の画像をかぶりついて見ている。
「きゆ、病院に帰ったら、俺とツーショット写真撮ってよ。
あのワンピの白衣を着てからだぞ。
なんかさ~、地下アイドルを追っかけるオタクの気持ちが分かる気がする。
でも、俺はもっとたちが悪いかも」
「なんで?」
「白衣のきゆを、いつ襲おうかと考えてる」
きゆは食べていた物を喉に詰まらせた。
「もう、ちゃんと仕事をしてください」
きゆのその言葉に、流人は無邪気に舌を出し軽く微笑んだ。
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