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便葉

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八月十五日 可愛いあの子

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「加藤さん、ここのわらび餅が美味しいんです。
 もし良かったら、一緒に頼んでもいいですか?
 あ、ここのお茶代は、ちゃんと、うちの方で払わせていただきます」

 何だか不思議な気分だった。初対面なのに加藤さんに会えてすごく嬉しい。加藤さんが喜んでくれるなら何でもしてあげたいなんて、そんな風に気分が高揚している。

「わらび餅は大好き。お任せしてもいいですか?」

 私は店員さんを呼んで、わらび餅のセットを二つ注文した。一つは私用にアイスレモンティと、もう一つは加藤さん用に温かい煎茶のセットで。
 わらび餅を持って来てもらうまで、私は旅館の紹介とこの街の歴史を簡単に説明した。以前は大きな工場があって栄えていた時代があった事や、この辺りに出る温泉の質がいい事など、私のおばあちゃんと歳は変わらないくらいの年齢差なのに、加藤さんは私の話を真剣に聞いてくれた。

 わらび餅のセットがテーブルに並び、私と加藤さんは、その甘味をまずは堪能することにした。加藤さんが一口わらび餅を頬張る姿を見てから、私もわらび餅を口に入れる。

「…美味しい」

 先にそう言ったのは、加藤さんの方だった。私はそれだけで嬉しかった。加藤さんの線のように細くなる目に、私の方が完全に魅了されている。
 そして、私は本題に入る事にした。まずこのツアーの説明をする事、そして、その主旨を理解した上で申し込みをされたのかという事を聞かなければならない。

「加藤さんは、このツアーの内容を分かっていてお申し込みされたんでしょうか?」

「分かっていてというと?」

 私はこの開かずの間ツアーの主旨を分かりやすく説明した。はっきり言ってしまえば、肝試しと一緒だという事を。そして、そんなツアーに、加藤さんのような上品な女性が、それも一人で申し込みされたのが何かの間違いではないかと心配しているという事を。
 加藤さんは最後まで熱心に私の話を聞いてくれた。そして、大きく息を吐く。

「心配させて申し訳ないんだけれど、全部分かっていて申し込みしたんです」

「え?」

 加藤さんは驚く私の顔見て、クスッと笑った。

「私は旅行が趣味で、年に一回か二回は、必ずどこかへ旅行しているんです。
 そんな風に旅行をし始めたからかれこれ数十年以上経ってしまって。
 最近では、本当は行きたくてたまらないけど、今までは勇気がなくて行けなかった場所に行ってみようと決めたんです」

 私は中々話の先が読めない。
 加藤さんの旅行への並々ならぬ思いはよく分かるけれど、でも、だからといって109号室に泊まる必要はない。それに行きたくてたまらないとか、急に話が飛躍するところにもちょっとついていけない。でも、まだ、その事には触れず、ゆっくりと加藤さんの話を聞く事にした。

「そのお部屋はそんなに危険なところなの?」

 年齢の割りにピンと張った背筋に、加藤さんの育ちの良さが窺えた。加藤さんの放つ一言一言に気品さえ漂っている。

「いえ。危険では全然ないです…
 でも、何というか、古めかしいというか、気味が悪いというか」

 私は、その時に、今までの事が頭をよぎった。一人でこのツアーに参加するお客様は自殺願望がある人が多いという事を。
 久美子さんの時もそうだった。そして、今と一緒で、面接の時はそんな切ない願望があるなんて思いもしなかった。あの時の久美子さんの笑顔を今でも忘れない。優しくて穏やかなあの笑顔は、今日の加藤さんと似ている。
 加藤さんは煎茶を飲みながら、私の動揺する顔を見てまた優しく笑った。

「多実さん、私の昔話を聞いてもらえるかしら?」

 やっぱり加藤さんの話にはついていけない。前後の繋がりなんて無視して、また急に飛躍するから。

「昔話ですか…? あ、はい、どうぞ」

 私は加藤さんを傷つけたくない。嫌な思いをさせたくない。こんな保護本能のような気持ちに戸惑っているけれど、でも、加藤さん守りたいと感じているこの気持ちは紛れもない本心だった。

「私が二十歳の時の話なんだけどね…
 親の薦めでお見合いをしたの。
 私達の時代はまだお見合い結婚が主流で、その前に、家柄のせいもあって自由に恋愛なんてできなかったから」

 私はやっぱりと思った。立派なお家柄は、加藤さんを見ていてればすぐに分かる。

「でもね、父達が薦めてくれた男性は、うちの銀行と取引のある大手企業の若手エースで、頭がよくて、でも控えめで優しくて、私の理想とする男性だった。
 その方も私が抱くような気持ちと一緒のようなものを私に抱いてくれて、お見合いなのに一気に二人の距離は縮まったの」

「あ、はあ…」

 私はそう相槌をつくしかない。加藤さんのこのロマンス話は一体いつまで続くのだろう。

「本当に本当にその人の事が大好きだった。
 最初で最後とか、一生に一度とか、そういう言葉がいつも頭から離れないくらいに。
 あの頃の日本は高度成長期の真っただ中で、生活も人間の意識も時代までもが急ぎ足で、あっという間に流れて行く。そんな流れに惑わされないよう、私達は静かに愛を育んだ…」

 
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