本物でよければ紹介します

便葉

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八月十四日 若者の暴走

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「この109号室では、よくあるみたいです。
 以前、泊まられたお客様も、約束を破ってスマホで撮影をしていたら、スマホが壊れたって言ってました。でも、そればっかりは、私達にはどうにもできません。
 約束を破っての行為ですし、それは、お客様の問題なので」

 すると、下を向いていた修斗君が、急に顔を上げて私を見た。その顔は顔面蒼白で、気の毒なほど手が震えている。

「その人は、スマホは直ったって言ってました?」

 私は必要以上に首を横に振り、申し訳なさそうに口を開いた。

「いえ、結局、直らずに買い換えたって言ってました」

 可哀想だけど、修斗君の血の気の引く顔を見るのが楽しくてしょうがない。私は自分の性格の悪さにため息が出た。

「あの、この旅館にこのまま泊まりたいのなら、すぐにそのカメラをしまって下さい。
 この企画の要綱には、このようなカメラの設置とかは絶対に認めないと書いてあります。それが守れないのであれば、帰ってもらうしかありません、けど…
 どうします?」

 がっくり肩を落とした修斗君を見たら、あまりきつい事を言うのがためらわれた。すると、修斗君と絵里さんの後ろに幽さんが見えた。幽さんはどうしたもんかみたいな複雑な顔をしている。

…落ち込ませ過ぎたかな?

 私は笑いそうになるのを必死に堪える。

…このカメラ、修理に出しても直らない?

…いや、そんな事ないと思う。ちょっと、悪戯しただけだから、すぐに元に戻ると思うよ。

 私はちょっとだけホッとした。幽さんは優しい人だから、きっとそうだと思っていた。

…幽さん、ありがとう。これで、三奈さんも私も救われた気がする。

…こんなんで?

 幽さんは目を丸くして、でも、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。

…幽霊の僕にはこんな事しかできないけど、でも、それでありがとうって言われるのなら、それはそれでよかったのかな。

 私は幽さんに目配せをした。まるで、目が痒いようなふりをして。

「修斗さん、でも、そんな立派な機械が簡単に壊れるはずはないので、しばらく時間をおいてから、またいじってみたらいいかもしれません。
 今、思い出したのが、この部屋のテレビもたまにそんな感じで突然消えて、うんともすんとも動かなくなる事があって、でも、しばらくすると、普通に観れたりするので、大丈夫だと思いますよ」

 私の言葉に絵里さんの方がホッとしたようだ。だって、せっかくこんな遠い田舎までやって来て、修斗君の機嫌が悪くなっては絵里さんがここへ来た労力が無駄なものになってしまう。

「修斗、大丈夫だよ。きっと、明日の朝には電源がオンになるはずだから、今日はもう片しちゃいなよ。カメラが完全に壊れたら大学に弁償しなきゃならないよ。そんなお金持ってないじゃん」

 私は人間見た目じゃないとつくづく感心した。この絵里さんっていう人は、見た目は女の子だけど中身は男前で、逆に見た目は男の子っぽい三奈さんは、中身はか弱い女の子なのだと思った。

「そうしてもらえれば、私達旅館の人間も修斗さん達を追い出さずに済むんですが…」

 追い打ちをかけるような私の言葉に、修斗君はカメラをしまい始める。大事そうに三脚から外し、メガネ拭きに使われるビロード生地の布の袋に、その大きなカメラを丁寧にしまい込む。

「ちゃんと元に戻るんだぞ…」

 修斗君は小声で囁いたつもりだが、私にも絵里さんにも、もちろん幽さんにもはっきり聞こえていた。

 私はさっきのおばあちゃんの話を思い出した。男と女の関係に首を突っ込まない事、そして、必要以上にその人達の記憶に残るような事はしちゃダメという事を。
 明日にでも死にそうな人がいれば私も幽さんも迷わずに手を差し伸べるけれど、今回の問題は究極のプライベートの出来事で、その上、私が一人で勝手に感情的になっていただけ。そんな私の気が済むように、幽さんはちょうどいい加減のいたずらを二人にしてくれた。

 おばあちゃんの気持ちも私の気持ちもちゃんと理解して、そして、この旅館に傷がつく事がないように、幽さんは誰よりも色々な事を考えてこの三日間限定のお客様を迎え入れている。私は胸が熱くなった。幽さんの優しさに私は甘えてばかりだから。

 そして、その晩に、修斗君と絵里さんはお楽しみ程度の怖い体験をして、今朝には満足気にこの旅館から帰って行った。
 昨夜は、あのカメラの不具合を機に、私は幽さんに二人の事はお任せした。昨日といい、一昨日といい、手のかかるお客様だったせいか、私の体は限界にきていた。そういう変化をすぐに察する幽さんは、修斗君達の事は心配しないでいいからゆっくり休んでおいでと、私の背中を優しく押してくれた。

 そんな幽さんの思いやりのおかげでぐっすり眠れた私は、今朝は元気百倍だ。
 この今日という日が、私と幽さんの関係を揺さぶる大切な日になることに、これっぽっちも気付かないまま。


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