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便葉

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八月十三日 厄介な二人組

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 すると、幽さんが座り込んでいる鈴木さんの前に座った。私を見て苦笑いをすると、幽さんは真っ白な手を鈴木さんの頭にかざす。すると、部屋の様子が変わってきた。どんよりとした空気が渦を巻いて見える。そして、その負のパワーに満ち溢れた目には見えない何かを、幽さんは大きく吸い込んだ。

「ゆ、幽さん?」

 幽さんの苦笑いは止まらない。オェッみたいな吐きそうな顔をわざとして、私を笑わせる。幽さんは小さくため息をつくと、かざしていた手を元に戻した。すると、座り込んでいた鈴木さんがそのまま倒れ込み、布団の上でスヤスヤと眠り出す。

「幽さん、大丈夫?」

 幽さんは穏やかに眠る鈴木さんの顔をジッと見ている。

「多実ちゃん…
 彼女の悪いパワーは、この不気味な部屋が全部請け負った。この部屋というか、この部屋の住人の僕も含めてだけどね。
 どのみち、僕もこの部屋も、そういう類のものを引き寄せる力を持ってるんだ。
 引き寄せてしまった以上、それを処理するのも僕の役目だから」

 私はそんな幽さんがすごく心配になった。

「でも、あんなものを吸い込んだ幽さんは大丈夫なの?
 幽さんが具合が悪くなったりしないの?」

 幽さんは今度は優しく笑う。私の大好きな幽さんのしっとりとした笑顔。私はその笑顔を見れただけでホッとした。

「大丈夫。
 多実ちゃんが彼女に優しい言葉をかけてくれたおかげで、思ってたよりパワーが小さくなってた。
 あの男が居なくなった事をちゃんと理解した証拠だよ。
 本当に、多実ちゃんに助けてもらってばかり。
 僕の大好きな多実ちゃん、いつもありがとね」

 幽さんの姿はいつもぼんやりで、モノクロの世界がそこにある。
 でも、こんな風に、私に優しい言葉をかけてくれる時は、幽さんの顔がクリーム色になる。
 小さい頃の私はいつもこう考えていた。幽さんはいつか私達と同じ色の世界へ戻ってくる。幽さんに色が戻ってきたら、きっと、幽さんは幽霊じゃなくなる。幽霊じゃなくなるという事は、天国へ昇れるという事。

「ねえ、幽さん…
 こんなに優しくてたくさんの人を救っている幽さんは、いつか幸せになれるよ。
 私は、亡くなった人の幸せは、やっぱり天国へ行く事だと思ってる。
 だから、幽さんは、天国へもうすぐ行けると思う。
 ううん、行かなきゃダメだよ…」

 幽さんの事を思えば、いつも泣けてくる。幽さんはここへいちゃいけない…

「亡くなった人の幸せはきっと人それぞれで、僕は、今で十分幸せだよ。多実ちゃんがいるこのほたる荘に住む事ができてるんだから」

 幽さんに幸せになってもらいたい。私が大人になって幽さんの事が見えなくなってしまうまでに、幽さんをどうにかして天国へ連れて行きたい。生きている私には、無理な事なのかもしれないけれど…

 翌日、目を覚ました鈴木さんは、彼氏がいない事に驚いた。昨夜の記憶は全くないらしい。私と幽さんは、ありのままの事実を話す事はやめ、当たり障りのない出来事に作り上げて話す事にした。

「鈴木さんが寝ちゃった後に、また変な怪奇現象が続いて、だから、私が、鈴木さんに暴力をふるうあなたに悪霊が憑いてるのが見えるって脅したんです。
 そしたら、あの人、すごく怖がって。
 私は今だと思って、すぐに鈴木さんと手を切らないとこの悪霊はあなたにつきまとい続けるって、もっと脅したら、鈴木さんの持ち物を全部置いて誓約書まで書いて飛んで出て行きました」

 鈴木さんは目をパチパチさせ信じられないというような顔をしている。でも、私が持ってきた自分の持ち物を見ると、目から涙が溢れ出した。

「鈴木さん、もう、彼には近づかないで。居場所も教えちゃダメ、いいですか?」

 鈴木さんは初めて見るような晴れやかな顔をして、朝一番にこのほたる荘を後にした。タクシーに乗り込んだ後も、何度も何度も私に手を振ってくれた。まるで、私の後ろに、もう一人の命の恩人が見えているように、優しく微笑んで。


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