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八月十三日 厄介な二人組
⑧
しおりを挟む「本当に大丈夫ですか? その頬…」
私はわざとその話題へ持っていく。鈴木さんがあの男に抱いている感情を、もう一度確かめなければならない。
「…はい、大丈夫です。
恥ずかしいけど、もう慣れちゃってますから」
その腫れた頬を触る鈴木さんの顔から、さっきの笑顔は消えた。そして、また伏し目がちになる。私は、覚悟を決めて鈴木さんの正面に座り、眉を寄せ目も細めて鈴木さんを見た。
「鈴木さん、何であの人と別れないんですか?
そんな暴力まで振るわれて、なのに一緒にいる理由が分からない。
あ、ごめんなさい…
大切なお客様のプライバシーに関わる事なのに」
鈴木さんは嫌な顔はせず、でも、はっきりとこう言った。
「もう、別れたいんです…」
私は黙って聞いた。鈴木さんが自分のペースで心の内を話してくれるように。
「つき合った頃は、見た目はあんなだけど、でもすごく優しかったんです。
里美がいないと生きていけないとか、今までこんなに人を好きになった事はないとか、普段は強面だからその優しさや甘い言葉のギャップに私の方が彼に溺れていった。
気が付いたら、いつの間にか私のお給料までも管理するようになって…
彼の日雇いのような何をやっているのか分からない仕事に、私自身、不満が募って、その事について意見をしたら、翌日会社にいけないくらいにボコボコに殴られて…
それが暴力の始まりです…」
私はそのボコボコという暴力が想像できなかった。だって、こんな小柄で華奢な女性をボコボコにするってどういうこと?
「でも、それだけ暴力を振るわれても、私は彼が好きだった。
暴力の後には、ごめんごめんって言いながら、また必要以上に愛してくれる。
彼への恐怖と愛情が複雑に入り混じって、私は彼という人間に洗脳されてた。
その頃には、彼の命令で、会社の後にキャバクラでも働かされて身も心もボロボロの時に、彼が浮気をしている所を見てしまったんです。
私がその事を問いただすと、いつもに増して暴力で私を抑えつけて、もう私の事なんか全然愛してないんだって何度も何度も叩かれて…
本当に怖くて何回か逃げ出したりしたんですけど、それでも見つかってまた連れ戻されて」
鈴木さんは暴力なんかに全然慣れていない。だって、そんな話をするだけで、涙と体の震えが止まらなくなるから。
「あの人にとって、私はもう愛する人じゃない…
お金を稼いでくるただの奴隷…
そう気付いたら、もう、一緒にはいれない。
でも、私には自由さえなかった。あの人が怖くて、逃げ出したくても体が動かない」
鈴木さんは他人には知られたくないはずの話を、私には包み隠さず話してくれた。鈴木さんの涙が切なくて、私まで泣きそうになる。
「でも、ここのツアーにはどうして?」
鈴木さんはただ首を振るだけだった。自分でもどうしてなのか分かってないみたいな顔をして。
「鈴木さん…
彼は本当に色々な意味で怖がりです。
このツアーが終わる頃、多分、明日には、あなたの前から居なくなる。
そうなっても、大丈夫ですか?
鈴木さんに彼への愛情が残っていて、また彼を求めて探し始めたら、今以上に取返しのつかない事になる。
そうならない自信がありますか?
あの暴力男を完全に断ち切る事ができますか?」
もう、さっきまでの鈴木さんはここにはいない。私の言葉でまるで魔法がかかったように、真っ青だった顔色がピンク色に色づいていく。
「できます! 何があってもできる。
だって、私はその自由をずっと待ち望んでいたんだから」
私はチラッと鈴木さんから視線を外した。鈴木さんの後ろに幽さんが立っているのが分かっていた。
…多実ちゃん、彼女は大丈夫だ。何があっても、彼女を救い出そう。
私はゆっくりと鈴木さんに視線を戻した。そして、鈴木さんにも幽さんにも分かるように大きく頷いた。
しばらくすると、彼氏がお風呂から帰ってきた。
オールバックにしていた髪がサラサラになって前髪がなびいている。黒ずくめだった私服から白色のTシャツと濃紺の短パン姿に変わり、見た目だけのギャップなのに、その男の事を大嫌いな私でも何だか胸がざわついた。
こうやって女心を惑わせる術をこの男はちゃんと分かっている。そして、寄生虫のようにそんな女に執着し食い殺していく。
私は部屋の隅に座っている幽さんの方を見た。
…ちょっとだけ、部屋から居なくなっても大丈夫かな?
片付けとか済ませてきたいから。
幽さんは優し目で私を見ている。
…大丈夫だよ。この男ももう暴力は振るわないだろうし。逆にそんな事したら、さっき以上の天罰が下るけどね。
私は笑いそうになった。だって、幽さんは幽霊なのに天罰を下すなんて言っちゃうんだもん。
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