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八月十三日 厄介な二人組
③
しおりを挟むすると、洗面台へ続くドアの方からカチッと音がした。その音は三人の耳に確実に届くほどの異様な響きを放った。
皆、一斉にそのドアを見る。私は息を飲み、そして、そろりと他の二人の顔を覗き見る。
その木製のドアには昔のままの錆びた掛け金に大きめの南京錠がぶら下がっている。さっき、鍵を開けて差し上げますと言ったけれど、その南京錠を開ける鍵なんて今はもうどこにもない。今さら、祖母にあの鍵はどこ?と聞いても、途方に暮れるだけだ。
そして、その悪戯は、幽さんの仕業だとすぐに分かった。鈴木さんだけでも我慢ならないのに、その男の威嚇の矛先が私に向かったから、幽さんの怒りに火をつけた。
「い、今のは…?」
先に口を開いたのは、鈴木さんの方だった。目を見開いたまま瞬きもせずに私を見ている。
「ここの部屋が、五十年以上開かずの間だったという事を忘れないでくださいね。
実際、私達旅館の人間も、どういう現象が起こるかちゃんと分かってないんです」
私は立ち上がって、そのドアの鍵の様子を見に行った。開くはずのない頑丈な鍵が完璧に外れている。私はおおげさに驚いた。そして、わざとらしく息を飲んで、ゆっくりと二人を見る。
「五十年以上、触った事がない鍵が完全に外れています。このツアーを始めて今年で三年になりますが、こんな早い時間にこんな現象が起こるのは初めて…」
私は手を口に当て、自分も怖がっている演技を完璧にこなす。
「そ、それでは、私は夕食の準備のために一回席を外しますが、まだ、一時間ほど時間があるので、ここでゆっくりされても、散歩がてら裏の遊歩道を歩いてみられてもいいかと思いますが、よろしいでしょうか?」
幽さんの南京錠効果はかなり二人を震え上がらせた。あれだけ騒ぎ立てていた彼氏の方も、よく見ると、顔面蒼白で恐怖に凍り付いている。
「それでは六時にまた参ります。お風呂の準備もその時にさせていただきますね」
私はそう言うと、109号室と書かれた木彫りのルームキーをちゃぶ台に置いた。これだって、昔のままだ。そのレトロ感が不気味な味わいを醸し出している。私は心の中でほくそ笑みながら、109号室を後にした。
それからしばらくして、私は厨房で109号室のお客様のお料理をチェックしていた。すると、突然、頭の中にモスキート音のような警告音が鳴り響く。私は驚いて、厨房から廊下に飛び出すと、すぐに幽さんの声が聞こえた。
…多実ちゃん、早く部屋へ来て。
幽さんのただならない声に、私はエプロンを外し109号室へ向かった。
…何があったの?
…暴力だよ、僕がちょっと男の方を脅かして今は治まってるけど、でも、またいつ爆発するか分からない。彼女を少しの間、避難させてほしい。
私は109号室に近づくにつれさっきの鈴木さんの顔が浮かんできて、自分の中で解決できない不安を幽さんに打ち明けた。
…鈴木さんは、きっと、彼から離れないよ。
彼に逆らう事が怖くてしょうがないって顔してる。でも、本音はすぐにでも逃げ出したいって言ってた。
幽さんがフッと息を吐いた。私はたまに幽さんが本物の幽霊だという事を思い知らされる時がある。多分、今夜がその時だ。幽さんは、きっと、容赦ない力であの男を痛めつける。
…多実ちゃん、大変だと思うけど、あの二人を二人きりにしないでほしい。もう絶対にあの男に暴力は振るわせない。それは、僕が必ず約束するから。できる?
私はもう109号室の部屋の前にいる。心の中で大きな声で分かったと言った。
幽さんが居てくれる事は何よりも心強いが、でも、その前に、鈴木さんが暴力を振るわれている事が絶対に許せない。あんなに華奢で可愛らしくて蚊も殺せないような雰囲気の彼女を、あの男は何の権利があって暴力をふるうのか。私がドアの前で悶々とそんな事を考えていると、幽さんの優しい声が私をなだめてくれた。
…僕が、彼女からあの男を引き離すよ。ちょっと手荒いやり方になりそうだけどね。
私は大きく息を吐いて、そのドアをノックした。
「すみません、よろしいですか?」
私のはっきりとした声に、奥の方から鈴木さんが駆け寄るのが分かった。泣き腫らした鈴木さんの潤んだ瞳が、無言で私に助けを求めている。私は、彼氏の見えない所で、鈴木さんに目配せをした。私達に任せてとこちらも無言で返し、力強く頷いた。
「あの、ちょっと早いんですが、お風呂の具合を見させてもらいますね」
私は遠慮する事なく109号室へズカズカと入った。サングラスを取った彼氏の顔を見て、少し安心する。強面と思っていたのに、ちょっとマヌケな顔だったから。
閉め切っているカーテンも少し開けてみた。いい感じで日が暮れている。完全な夜になるのももう時間の問題だ。
「この部屋を他の部屋に変えてくれ」
窓から外を見ていた私は、その言葉に驚いてすぐに振り返った。
「え? どうしてですか?
あ、でも、その前に、今日は他の部屋の空きはありません」
その男はイライラしたようにちゃぶ台を中指でコツコツ突いている。幽さんは一体どうやってこの男を怖がらせたのだろう。
私はしばらく返答を待ったがその男から何もコメントがないので、お風呂場へ続くドアの具合を見るために場所を移動した。完全に外れている南京錠を目の当たりにして、ちょっと背中がゾッとする。
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