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八月十三日 厄介な二人組

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 それから数時間後、そのカップルは三時ちょうどにこの旅館に到着した。駅からバスに乗り軽く四十分は超える長旅だ。
 私は門の前で二人を出迎えた。鈴木さんはノースリーブの水色のワンピースを着て、相変わらず可愛らしい。そして、隣を歩く鈴木さんの彼氏を見て、私は愕然とした。長めの真っ黒い髪をオールバックにしたいかつい顔のその彼は、長方形の細めのサングラスをかけ、黒の半袖シャツから覗く左腕にはびっしりと細かいタトゥーを刻んでいる。

 人を見かけで判断してはダメと祖母に言われて育ってきたけれど、この男の後ろに暴力や制圧の影が見える。
私は心底ゾッとした。鈴木さんは、この男から逃れられずにいる。二人を迎え入れる短い時間に私の想像はフル回転した。どうかこの予感が外れますようにと。

 鈴木さんの笑顔が今日は見れない。でも、私はそんな事に気付かないふりをした。そして、年季の入った古臭い旅館を前にして、そのいかつい彼氏は暴言を吐く。

「こんなボロ屋敷なのに、金取るの?」

「肝試しに来たんだから、そんな事言わないで」

 鈴木さんの蚊の鳴くような小さな声が私の耳にも届いた。私は急いで旅館に二人を案内する。とにかく早くこの男を幽さんのテリトリーへ連れて行かなきゃと、不安な気持ちが私を焦らせた。

 旅館の玄関で祖母と父が二人を出迎えた。このイベントに関しては、二人はあまり関与していない。でも、門の前で私と立ち話をしている二人を見た父は、すぐに怪談ツアーのお客様を出迎える準備をしてくれた。それほど、鈴木さんの彼氏はインパクトが強過ぎた。

「多実、大丈夫か?」

 父は小さな声でそう聞いてきた。私はとりあえず首を縦に振った。この二人の前であまり余計な事は話したくない。

「では、109号室へ案内しますね。
 そこで、詳しいイベントについての説明はさせていただきます」

 小さな旅館ではあるが何十年も続けていると、色々なお客様を接待してきた。
 祖母の話で、どんな時にも分け隔てなく平等に応対すれば、そんな大きないざこざには発展しないと聞いた事がある。私はその言葉を思い出した。でも、とにかく早く、幽さんの近くへ行きたい。幽さんはこの彼氏を見て、どう反応するのだろう。

 私は薄暗い廊下を歩きながら、後ろからついて来る二人の様子を静かに窺った。今夜だけのたったの一泊で、この二人に劇的な変化が起きるなんて到底考えられない。
 厄介な二人組…
 幽さんがそう言った意味が今なら痛いくらいに分かる。

「こちらになります」

 私がそう言って109号室のドアを開けると、後ろで彼氏の悪態をつく声が聞こえてきた。

「マジか? こんなとこに泊まんの?」

 私は面接の時に、鈴木さんが話していた事を思い出す。彼氏はあまり感情を表に出さない人って言ってなかったっけ? 怖がるとか喜ぶとかはないにしても、ケチをつける事は感情には入らないのかな。
 私は鈴木さんの方をチラッと見て、作り笑いを浮かべた。

「こういう所に泊まりたい人達が、参加するツアーです。
 もし、どうしてもキャンセルをしたいのならば、キャンセル料を頂く事になりますがそれも可能です」

 私はどうぞどうぞキャンセルしてくださいと、心の中で思った。何だかこの彼氏が極悪人に思えて、そんな男に痛めつけられる鈴木さんの姿を見たくない。

 ドアの前でそういう旨を説明する私を無視して、その男はズカズカと109号室に入っていく。鈴木さんが私に小さな声でごめんなさいと言った。私は立ちすくんでいる鈴木さんの腕を掴み、109号室のドアが完全に閉まるのを確かめてから鈴木さんに質問した。

「鈴木さん、この間、面接で話を聞いた彼とは少し様子が違いますよね?
 今日はどういう風に過ごしたいの?」

 私はこの短い時間を有効に使いたい。とにかく、鈴木さんの本音が知りたかった。

「あの人は怖いもの無しの人で、でも、その中でも、霊とかおばけとかちょっと怖いみたいで…」

 すると、部屋の中から、私達を呼ぶ彼氏の声が聞こえた。

「とにかく怖がらせたい。あの人の弱みを知りたいし握りたい」

 彼の声を聞く鈴木さんの顔は恐怖に歪んでいる。私は慌てて余計な事を口走った。

「鈴木さん、あの彼と別れたい? 鈴木さんの顔を見てたらそんな風に思えるから」

 部屋の奥でバタンバタンと音がする。中々、入って来ない私達を威嚇するみたいに、あの男が暴れている。すると、鈴木さんが怯えながら、でも、はっきりとした口調でこう答えた。

「わ、別れたい… 自由になりたい…
 この恐怖から逃れたい」

 その言葉を聞いて、私の中でスイッチが入った。恐怖の体験をお届けするには、このツアーは格好の機会だ。私は何も憶することなく、反対に闘志がみなぎった状態で、109号室の部屋のドアを力いっぱいに開けた。

「さとみ、何、俺を待たせるんだ!」


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