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その手の人
②
しおりを挟む「僕の存在が呼んでるのかもしれない。
その手の人間は、そういう事が起こった場所を無意識に探しているから」
確か、去年のその手のお客様は女性だった。三十三歳で背が高く髪の長い一見モデルさんかと見間違うくらいに綺麗な人だった。だけど、一人でこの旅館に訪れた時の彼女の瞳は、死んだ魚のように生気が抜けていた。
そして、一般的な感性しか持ち合わせていない私には、その人がそんなに切羽詰まっているとは分からない。一見穏やかそうに見える彼女に、私は何の疑問も不安も抱かなかった。
十五時がチェックインの時間なのに、彼女は夕方の十七時過ぎに現れた。その日の天気はどんよりとした曇り空。正面玄関の自動扉が開いたその時の彼女の儚さを、私は今でもはっきりと覚えている。
その人を109号室に案内した私は、何となく違和感を覚えた。まずは一人でこんな企画に参加する事自体珍しいのに、彼女は109号室のドアを開けた途端、吸い込まれるようにそして怖がる素振りは一つも見せず、幽さんの待つ部屋へ入って行った。
私も部屋へ入ると、彼女にこの企画の説明をもう一度念入りにした。怖がる素振りを見せない彼女の真の目的を知りたかったから。
「あの、お一人で大丈夫ですか?
実は、お一人のお客様は今回で二度目なんです。一度目は男性のお客様で、何やらオカルトを研究されている方だったので、何も気にする事はなかったんですが…」
私の意図する事を汲み取ってもらいたい。この旅館で変な事件を起こしたくない。でも、彼女は、今までにない程の安堵にも似た穏やかな表情でこう言った。
「私は怖がるために来たんじゃありません。楽しむために来たんです」
私には何も理解ができなかった。穏やかな笑みを浮かべているのに、瞳の奥の感情はやっぱり無に見えてしまう。それが何を意味するかも、私の平凡な思考回路では答えを導き出せない。
六畳もない陰気臭い部屋でちゃぶ台を挟んでその彼女と話していると、頭の奥の方で幽さんの声がした。
……多実ちゃん、その人を一人にしないで。
私は幽さんのその言葉で、何となく彼女の目的が分かった。
「あの、それと、このツアーは、色々なイベントを用意しています。
この部屋で夕食を取るのはもちろんの事、夜の散歩、夜中に怪談話をしようタイム、悩み事の告白大会など、肝試しツアーには欠かせないものばかりです」
通常はこの中から一つ選んでもらうのだけれど、今日は全部やる事になりそうだ。一人の時間を作らないためにはこの方法しか思いつかない。
「そんなに?」
彼女は半分迷惑そうな顔で私を見て、ため息混じりにそう呟いた。
「はい、楽しみにしていてくださいね。
それじゃ、もう夕食の時間になりますので、準備をさせていただきます」
幽さんは私のその言葉を聞いて安心したのか、やっと姿を見せてくれた。ちゃぶ台から少し離れた場所で彼女の事を観察している。幽さんには珍しく険しい顔で瞬きもせずに。
私が彼女に会釈をしてひとまずこの部屋から出て行こうとした時、また幽さんからのメッセージが入った。
……多実ちゃん、彼女には気を付けるんだ。
僕の方で何事も起こらないように努力はするけど。
私は一瞬で背筋が凍った。主催者が背筋が凍ってどうするの?って自分でツッコミを入れながら。でも、私はいつでも楽観的だ。だって、私には最高で最強の幽霊がついていてくれるから。
私は109号室にちゃぶ台よりは少し大きめのテーブルを運んだ。食事を取るためだけのテーブルだ。そこに二人分の夕食をセットした。
「お客様、お一人では寂しいと思い、私の分もセットさせていただきました」
私は有無も言わさずそれだけ報告すると、夕食用の部屋のデコレーションを始める。
ホラー映画のセットのように、テーブルには太い短いろうそくを一本。それとテレビの上にも同じタイプのろうそくを一本。部屋の明かりはそれだけにした。
そして、クーラーを最強にする。これは、以前、宿泊したオカルト研究者のお客様の提案だ。それ以降、このスタイルでやらせてもらっている。
でも、彼女は楽しそうじゃない。そりゃそうだろう、一人になりたいに決まっている。でも、まだ、かろうじて彼女は穏やかだった。所々、蛇のようなきつい目で私を見る場面があったけれど。
夕食はお刺身にステーキに豪華な料理をテーブルいっぱいに並べた。お盆の時期、三日間限定企画という特別感を出すためだ。これはツアー会社の山田さんからの要望だった。
「それではいただきましょうか…」
ほの暗い部屋の中は、何とも薄気味悪かった。ろうそく二本だけの明かりの中では、食欲も湧かなければ、ましてや会話を弾ませる気力なんて一向に湧いてこない。
私は目の前に座る彼女を観察しつつ、頭の中で幽さんを呼んだ。だって、その彼女、ご馳走を前にしてるのに暗い顔で箸さえ持たずにいたから。
……何も話さなくていいよ。多実ちゃんは、ただ、そこにいるだけでいい。
きっと、彼女の方から何か話してくるはずだから。
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