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三
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この一月半、彼女にどれほどの心境の変化があったのか。想像するのも怖かった。
まだ馬車は何か待っているのか発とうとしない。窓から見えるペリーヌは流行のお洒落な帽子をかぶり、首には高価そうなネックレスをしている。公認娼婦はあまり派手な装いをしてはいけないことになっているが、それも側にいる男の身分に応じて警察も声をかけるのを遠慮することもある。
それにしても……、コンスタンスは目を見張っていた。
ペリーヌは、学生の頃にはなかった〝しな〟というものを、ここからでもはっきりとわかるほどに見せている。娼婦と呼ばれるある種の女たちがまとう淫風のようなものを、すでにしっかりと身につけているのだ。男をまどわす淫らな桃色の風。世の主婦や堅気の女たちが厭うものであり、実際、通り過ぎた子連れの女性は馬車の窓を見て眉をしかめている。
「なんでも、もとは良家のお嬢さんだったそうだけれど、……すご腕らしいよ」
キャロルが苦笑しながら囁く。
「すご腕?」
「そう。客のどんな注文にも応えるらしいって。落ちぶれた名家の娘が、意のままになるんだから、男にしたらそそられるんだろうね」
石の道路を打つ蹄の音がたつ。一瞬、通り過ぎていく馬車の人影がコンスタンスを見た。
ペリーヌは、笑っていた。
いや、笑いながらもその青い氷の目には、燃えるような憎しみと怒りが渦巻いているのをコンスタンスは知った。
「止めて!」
甲高い声が窓からはなたれ、御者が手綱を引く。
「あっ……!」
コンスタンスの頬に柔らかいものが触れた、と思ったら、それが地面に落ちる。紅い薔薇の花だ。ペリーヌが持っていたものを投げつけたらしい。
すぐに馬車はまた走り出した。
これは――挑戦状だ。コンスタンスは直観した。
腰をかがめて薔薇の花を拾うと、それを右手に握りつぶす。
街には、そろそろ秋が忍び寄ってきていた。
まだ馬車は何か待っているのか発とうとしない。窓から見えるペリーヌは流行のお洒落な帽子をかぶり、首には高価そうなネックレスをしている。公認娼婦はあまり派手な装いをしてはいけないことになっているが、それも側にいる男の身分に応じて警察も声をかけるのを遠慮することもある。
それにしても……、コンスタンスは目を見張っていた。
ペリーヌは、学生の頃にはなかった〝しな〟というものを、ここからでもはっきりとわかるほどに見せている。娼婦と呼ばれるある種の女たちがまとう淫風のようなものを、すでにしっかりと身につけているのだ。男をまどわす淫らな桃色の風。世の主婦や堅気の女たちが厭うものであり、実際、通り過ぎた子連れの女性は馬車の窓を見て眉をしかめている。
「なんでも、もとは良家のお嬢さんだったそうだけれど、……すご腕らしいよ」
キャロルが苦笑しながら囁く。
「すご腕?」
「そう。客のどんな注文にも応えるらしいって。落ちぶれた名家の娘が、意のままになるんだから、男にしたらそそられるんだろうね」
石の道路を打つ蹄の音がたつ。一瞬、通り過ぎていく馬車の人影がコンスタンスを見た。
ペリーヌは、笑っていた。
いや、笑いながらもその青い氷の目には、燃えるような憎しみと怒りが渦巻いているのをコンスタンスは知った。
「止めて!」
甲高い声が窓からはなたれ、御者が手綱を引く。
「あっ……!」
コンスタンスの頬に柔らかいものが触れた、と思ったら、それが地面に落ちる。紅い薔薇の花だ。ペリーヌが持っていたものを投げつけたらしい。
すぐに馬車はまた走り出した。
これは――挑戦状だ。コンスタンスは直観した。
腰をかがめて薔薇の花を拾うと、それを右手に握りつぶす。
街には、そろそろ秋が忍び寄ってきていた。
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