メゾン・クローズ 闇の向こうで見る夢

平坂 静音

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 いや、たとえ負けて去っていくにしても、二年でも三年でも、いや、一年、それこそ半年でも、パリに住み、パリの息吹いぶきを感じ、パリの石畳を踏んだことは、彼らにとって生涯の誇りであり、かけがえのない青春の思い出となって後の人生の支えとなることもある。

 老いて、夢をなくしても、子や孫に、自分はかつてあの花の都で、有名な誰それと競ったのだ、国民的女優や歌手をこの目で見たのだと夕食の酒を楽しみながら、自慢げに語ることもあるだろう。

 だが、十六のコンスタンスにはそんな思い出話で満足できている自分など想像もつかない。

 とにかくこのまま娼婦になってしまうのは嫌だ。家庭の主婦も向いてないし、今の状況ではなりようもない。

 それならば、何かを成したい。何かになりたいのだ。才能があれば歌手や女優、画家、作家か詩人を目指したかもしれないが、残念ながらコンスタンスにはそのどれも、なにがなんでもなりたいというほどの情熱も意欲もなかった。今のコンスタンスにとって唯一の財産は十六歳の肉体と、美貌である。美は才とも呼べる。コンスタンスはそれを持っていることに、今気づいたのだ。

 いっそ、気づかないままでいれば、もう少し平凡な人生をえらぶことができたが、気づいてしまった今では後戻りできない。

(ああ……、どうしょう。……このままここで十七になって、十八、十九になって……、好色な、中流程度か、せいぜい上の下ぐらいの中年男の相手をして、ここで歳を取ってしまうなんて、絶対に嫌よ)

 どことなく浮かない顔になってしまったコンスタンスに、カルロスはなにかを察したようだ。

「さ、階下へ行きましょう。注目の的よ」

「そんなこと言ったって、今日のお客は……」

 女装している客が、美しくなったコンスタンスを見たところでどう思うものか。

「女に興味がある客もいるわよ。将来、いいお客になってくれるかもよ」

 その言葉はなんの慰めにもならない。

(やっぱり、所詮、わたしなんて、ここで娼婦になるしか道はないのかしら)

 そんな想いを噛みしめていると、カルロスがコンスタンスの腕を軽くたたいた。

「人生なんて、わかんないものよ。この先何があるかさ」
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