メゾン・クローズ 闇の向こうで見る夢

平坂 静音

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 娼館ではよくある話である。幸か不幸かコンスタンスには面倒を見なければならないきょうだいはいない。

 聞けばナナには婚約者がいるという。彼には勿論この商売のことを言ってない。パリに出稼ぎに行くというと、彼は待ってくれるといったが、真実を告げる勇気はナナにはなかった。月一回は彼に手紙を書くが、ナナにはそれも甘さよりも苦さに満ちた仕事である。嘘に嘘を重ねなければならないのだから。

 もともとナナは、ギリシャ人の多くの女性がそうであるように貞操堅固なのだ。そんなナナにとってこの仕事は辛い。いや、辛くない女など、実際には、それこそよっぽど享楽的で根っからの男好きな女でないかぎり、いないだろう。仮にいくら男好きでも、自分で選んだ好きな相手ならともかく、嫌いなタイプの男性でも断れないというのは苦痛である。

「とにかく、もうちょっと頑張ってみて、借金を返して、どうにかして今年中にはここを出たいの」

「そのためにも薬はお止め」

 ソフィーの忠告にナナは曖昧な笑みを浮かべる。仕事の苦労だけならまだしも、言葉も文化もちがう国へ来て、食べ物もなかなか口に合わない生活のなか、薬はいっときの逃げ場所をナナに与えてくれるのだろう。

「いい客を見つければいいんだよ。金持ちのパトロンになってくれるようなのを」
 
 キャロルの励ましと慰めの言葉にコンスタンスも続けた。

「今夜のパーティーでそういう相手を見つけてみれば?」

「今夜の客じゃ無理よ……」

 苦笑するナナに、キャロルは微妙な笑みを向ける。

「でも、うまくやれば、金づるになるかもよ。エマみたいにね」

 キャロルの口から亡くなったエマの名前が出てきてコンスタンスはぎょっとした。

「ああ、つまり、エマみたいにいい男をつかまえれば、と思ってね」

 コンスタンスの視線に気づいたキャロルがつくろうように言うのが、ますます気になる。「エマは売れっ子だったからね。ナナ、あんたも今夜のパーティーでいい客を見つけなよ」
 
 ソフィーが取りなすように言った。
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