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五
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この世界では当たり前のようにあるらしい。医者と警官との関係は娼館のマダムにとっては重要だ。とくに警官の機嫌をそこねると、些細なことで難癖をつけられ、微罪でも娼婦を逮捕されることも起こり得、経営がなりたたなくなる。そのためどこの娼館でも、出入りの警官への多少の袖の下は必要経費となっている。性質の悪い警官になると、わずかな金だけでは飽きたらず、娼館で好きに飲み食いし、気に入った娼婦に相手をさせ、ひどい例になると、警官が自分専用の部屋を娼館に持っていたこともあったという。勿論、無料でだ。
「あら、噂をすれば影、だよ」
キャロルの声につられて目をやると、ドアのところにナナが立っていた。
「コーヒー、ちょうだい」
「疲れた顔しているね」
ソフィーの言うようにナナは白い肌を青白くさせ、身体は最初に見たときより痩せて見える。その細い身体に赤いドレスがどこかちぐはぐだ。それでも瞳はエーゲ海のように澄んで青く、薄暗い食堂の灯りのもと、青いダイヤモンドのようにきらめいて見える。
「ええ、疲れたわ」
溜息を吐いて長い椅子に腰かけるナナに、キャロルはかわいた声で訊ねた。
「まさか、あんた悪い薬やってないだろうね?」
ナナはコーヒーを一口すすって苦く笑う。
「たまの息抜きよ」
「薬はお止めよ。まえにそれで身体壊した娘がいたろう?」
ソフィーの心配そうな声にナナは首をふる。結い上げている黒髪の束から、ひとすじ、黒絹の糸のような髪が白いうなじにながれる。
ギリシャ美人、というのは、やはり男にとってはひどくそそられるものなのだろう。コンスタンスは妙に納得してしまった。ナナは実際、美人なのだ。店では十九で通しているが、実際には二十三か四にはなると聞く。だが小柄なのでじゅうぶん十九に見える。
「ナナは、なぜお金がいるの?」
コンスタンスはつい訊いていた。
「父親が商売に失敗してね。借金があるのよ」
拙いフランス語だが、ちゃんと聞きとれる。
「わたしと一緒ね」
コンスタンスは言ったが、ナナの青い目は翳る。
「うちには弟や妹がいるのよ。弟の学費や母と妹の生活費を私が稼がないといけないのよ」
「あら、噂をすれば影、だよ」
キャロルの声につられて目をやると、ドアのところにナナが立っていた。
「コーヒー、ちょうだい」
「疲れた顔しているね」
ソフィーの言うようにナナは白い肌を青白くさせ、身体は最初に見たときより痩せて見える。その細い身体に赤いドレスがどこかちぐはぐだ。それでも瞳はエーゲ海のように澄んで青く、薄暗い食堂の灯りのもと、青いダイヤモンドのようにきらめいて見える。
「ええ、疲れたわ」
溜息を吐いて長い椅子に腰かけるナナに、キャロルはかわいた声で訊ねた。
「まさか、あんた悪い薬やってないだろうね?」
ナナはコーヒーを一口すすって苦く笑う。
「たまの息抜きよ」
「薬はお止めよ。まえにそれで身体壊した娘がいたろう?」
ソフィーの心配そうな声にナナは首をふる。結い上げている黒髪の束から、ひとすじ、黒絹の糸のような髪が白いうなじにながれる。
ギリシャ美人、というのは、やはり男にとってはひどくそそられるものなのだろう。コンスタンスは妙に納得してしまった。ナナは実際、美人なのだ。店では十九で通しているが、実際には二十三か四にはなると聞く。だが小柄なのでじゅうぶん十九に見える。
「ナナは、なぜお金がいるの?」
コンスタンスはつい訊いていた。
「父親が商売に失敗してね。借金があるのよ」
拙いフランス語だが、ちゃんと聞きとれる。
「わたしと一緒ね」
コンスタンスは言ったが、ナナの青い目は翳る。
「うちには弟や妹がいるのよ。弟の学費や母と妹の生活費を私が稼がないといけないのよ」
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