メゾン・クローズ 闇の向こうで見る夢

平坂 静音

文字の大きさ
上 下
61 / 96

しおりを挟む
 この世界では当たり前のようにあるらしい。医者と警官との関係は娼館のマダムにとっては重要だ。とくに警官の機嫌をそこねると、些細なことで難癖なんくせをつけられ、微罪でも娼婦を逮捕されることも起こり得、経営がなりたたなくなる。そのためどこの娼館でも、出入りの警官への多少の袖の下は必要経費となっている。性質たちの悪い警官になると、わずかな金だけでは飽きたらず、娼館で好きに飲み食いし、気に入った娼婦に相手をさせ、ひどい例になると、警官が自分専用の部屋を娼館に持っていたこともあったという。勿論、無料でだ。

「あら、噂をすれば影、だよ」

 キャロルの声につられて目をやると、ドアのところにナナが立っていた。

「コーヒー、ちょうだい」

「疲れた顔しているね」

 ソフィーの言うようにナナは白い肌を青白くさせ、身体は最初に見たときより痩せて見える。その細い身体に赤いドレスがどこかちぐはぐだ。それでも瞳はエーゲ海のように澄んで青く、薄暗い食堂の灯りのもと、青いダイヤモンドのようにきらめいて見える。

「ええ、疲れたわ」

 溜息を吐いて長い椅子に腰かけるナナに、キャロルはかわいた声で訊ねた。

「まさか、あんた悪い薬やってないだろうね?」

 ナナはコーヒーを一口すすって苦く笑う。

「たまの息抜きよ」

「薬はお止めよ。まえにそれで身体壊した娘がいたろう?」

 ソフィーの心配そうな声にナナは首をふる。結い上げている黒髪の束から、ひとすじ、黒絹の糸のような髪が白いうなじにながれる。

 ギリシャ美人、というのは、やはり男にとってはひどくそそられるものなのだろう。コンスタンスは妙に納得してしまった。ナナは実際、美人なのだ。店では十九で通しているが、実際には二十三か四にはなると聞く。だが小柄なのでじゅうぶん十九に見える。

「ナナは、なぜお金がいるの?」

 コンスタンスはつい訊いていた。

「父親が商売に失敗してね。借金があるのよ」

 つたないフランス語だが、ちゃんと聞きとれる。

「わたしと一緒ね」

 コンスタンスは言ったが、ナナの青い目は翳る。

「うちには弟や妹がいるのよ。弟の学費や母と妹の生活費を私が稼がないといけないのよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

北武の寅 <幕末さいたま志士伝>

海野 次朗
歴史・時代
 タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。  幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。  根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。  前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。 (※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)

河越夜戦 〜相模の獅子・北条新九郎氏康は、今川・武田連合軍と関東諸侯同盟軍八万に、いかに立ち向かったのか〜

四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】 今は昔、戦国の世の物語―― 父・北条氏綱の死により、北条家の家督を継いだ北条新九郎氏康は、かつてない危機に直面していた。 領国の南、駿河・河東(駿河東部地方)では海道一の弓取り・今川義元と、甲斐の虎・武田晴信の連合軍が侵略を開始し、領国の北、武蔵・河越城は関東管領・山内上杉憲政と、扇谷上杉朝定の「両上杉」の率いる八万の関東諸侯同盟軍に包囲されていた。 関東管領の山内上杉と、扇谷上杉という関東の足利幕府の名門の「双つの杉」を倒す夢を祖父の代から受け継いだ、相模の獅子・北条新九郎氏康の奮戦がはじまる。

下級武士の名の残し方 ~江戸時代の自分史 大友興廃記物語~

黒井丸
歴史・時代
~本作は『大友興廃記』という実在の軍記をもとに、書かれた内容をパズルのように史実に組みこんで作者の一生を創作した時代小説です~  武士の親族として伊勢 津藩に仕える杉谷宗重は武士の至上目的である『家名を残す』ために悩んでいた。  大名と違い、身分の不安定な下級武士ではいつ家が消えてもおかしくない。  そのため『平家物語』などの軍記を書く事で家の由緒を残そうとするがうまくいかない。  方と呼ばれる王道を書けば民衆は喜ぶが、虚飾で得た名声は却って名を汚す事になるだろう。  しかし、正しい事を書いても見向きもされない。  そこで、彼の旧主で豊後佐伯の領主だった佐伯權之助は一計を思いつく。

新撰組のものがたり

琉莉派
歴史・時代
近藤・土方ら試衛館一門は、もともと尊王攘夷の志を胸に京へ上った。 ところが京の政治状況に巻き込まれ、翻弄され、いつしか尊王攘夷派から敵対視される立場に追いやられる。 近藤は弱気に陥り、何度も「新撰組をやめたい」とお上に申し出るが、聞き入れてもらえない――。 町田市小野路町の小島邸に残る近藤勇が出した手紙の数々には、一般に鬼の局長として知られる近藤の姿とは真逆の、弱々しい一面が克明にあらわれている。 近藤はずっと、新撰組を解散して多摩に帰りたいと思っていたのだ。 最新の歴史研究で明らかになった新撰組の実相を、真正面から描きます。 主人公は土方歳三。 彼の恋と戦いの日々がメインとなります。

アドリアンシリーズ

ひまえび
歴史・時代
歴史ファンタジーです。1350年ジョチ・ウルスの遊牧民としてアドリアンは誕生します。成長したアドリアンはティムール帝国を滅ぼし、ジョチ・ウルスを統一します。

処理中です...