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五
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(中絶なんて……恐ろしい。そんなおぞましいことが行われている場所で、わたしは暮らしているんだわ)
想像するだけで全身が震えそうになった。
コンスタンスは、それほど敬虔というわけでもなかったが、やはりカソリックの家に生まれ育って教育を受け、この時代の道徳観念にしばられている娘なのだ。
多少、自分でもおてんばで気が強く、教師たちの求める模範的な淑女像からかけはなれていることは自覚しているが、それでも基本は〝普通の子〟だったのだ。酒も煙草もほとんどたしなんだことはなく、娼館に来てからも――酔客に無理やり抱きつかれたり、強引に頬に接吻されたことはあったが――清らかで操ただしく生きているのだ。
それが半月足らずで、酒や煙草はもとより、カード遊び、モルヒネなどの麻薬、売春行為、果ては中絶と背徳的なものを身近に見聞きするようになってしまった。この時代の感覚では売春や中絶どころか、そもそも妊娠を避ける避妊という行為ですら背徳とされているというのに。男子学生が自慰行為を見つかって退学させられることが実際にあった時代である。
(つくづく恐ろしい所へ来てしまったわ……)
ほんの少し考えてみれば、娼館なのだから、そういうこともあり得ると想像つくものなのだが、そこまで思いいたらなかったのは、やはり迂闊だった。
「それにしても、あの子、その薬を買うのにまた金がかかったろうに」
ぼやくようにソフィーは言い、コンスタンスはぎょっとした。
「キクって、そんなに借金あるの?」
ソフィーは溜息をついた。
「馬鹿な娘だよ。あのヘボ役者に貢いでるらしい」
ヘボ役者と聞いてすぐ見当がついた。数日前キクをたずねて来た客がおり、出迎えに行くときのキクの頬が、まるで少女のように赤らんでいたのをコンスタンスは思い出す。
「えっと、それって、ピエールとかいう人のこと?」
階段を上がっていく後姿をちらっと見ただけで、顔はよく見えなかったが、どことなく洒落た雰囲気の遊び人のように感じられた。
想像するだけで全身が震えそうになった。
コンスタンスは、それほど敬虔というわけでもなかったが、やはりカソリックの家に生まれ育って教育を受け、この時代の道徳観念にしばられている娘なのだ。
多少、自分でもおてんばで気が強く、教師たちの求める模範的な淑女像からかけはなれていることは自覚しているが、それでも基本は〝普通の子〟だったのだ。酒も煙草もほとんどたしなんだことはなく、娼館に来てからも――酔客に無理やり抱きつかれたり、強引に頬に接吻されたことはあったが――清らかで操ただしく生きているのだ。
それが半月足らずで、酒や煙草はもとより、カード遊び、モルヒネなどの麻薬、売春行為、果ては中絶と背徳的なものを身近に見聞きするようになってしまった。この時代の感覚では売春や中絶どころか、そもそも妊娠を避ける避妊という行為ですら背徳とされているというのに。男子学生が自慰行為を見つかって退学させられることが実際にあった時代である。
(つくづく恐ろしい所へ来てしまったわ……)
ほんの少し考えてみれば、娼館なのだから、そういうこともあり得ると想像つくものなのだが、そこまで思いいたらなかったのは、やはり迂闊だった。
「それにしても、あの子、その薬を買うのにまた金がかかったろうに」
ぼやくようにソフィーは言い、コンスタンスはぎょっとした。
「キクって、そんなに借金あるの?」
ソフィーは溜息をついた。
「馬鹿な娘だよ。あのヘボ役者に貢いでるらしい」
ヘボ役者と聞いてすぐ見当がついた。数日前キクをたずねて来た客がおり、出迎えに行くときのキクの頬が、まるで少女のように赤らんでいたのをコンスタンスは思い出す。
「えっと、それって、ピエールとかいう人のこと?」
階段を上がっていく後姿をちらっと見ただけで、顔はよく見えなかったが、どことなく洒落た雰囲気の遊び人のように感じられた。
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