牢獄の夢

平坂 静音

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黒い渦 一

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 王太子ペドロの妻はこの国の大貴族の令嬢コンスタンサでしたが、ペドロは彼女よりも彼女に随行してきた侍女のイネス・デ・カストロを寵愛するようになりました。イネス・デ・カストロは、あなたの一夜妻だったファナとも親戚関係になると聞きます。

 王太子には妻のコンスタンサとのあいだには正嫡の男子がおりましたが、イネスにも三人の子を産ませたと聞きます。そしてコンスタンサが病で亡くなったあとには、イネスを正式な妻にと望んだそうです。これに反対したポルトガル王と、正嫡の王子のゆくすえを案じる貴族たちが、イネスを酷くも処刑してしまったということです。
 
 美しく哀れなイネス。人々は彼女のために涙をながし、吟遊詩人たちはさぞ彼女のために哀しい歌をポルトガルの街でうたったことでございましょう。イネス自身は野心も野望もなく、ただ王子の愛だけを純粋に寄りどころにしていたにしても、王子があまりにも彼女を熱愛したがたまに、そこに黒い渦が生まれてしったのでございます。

 王太子の寵愛によって権力を持ったイネスが正嫡の王子をないがしろにしないか、それが原因でお家騒動が起きないか、それを心配し、またそれによって自分たちの身の上に荒波が押し寄せてくるのを案じるのは人の常でございます。

 事実ペドロ王子の愛はまたかなり常軌を越したものだったようで、イネスが死んでも「自分の妻はイネス」だけだと言い、父王にあわや剣を向けかけたとか。

 その後この血気さかんな若者は、王になったあかつきにはイネスを処刑させた臣下たちに復讐し、さらに恐ろしいことにはイネスの死骸を王妃の玉座にすわらせ、謁見者たちにその骸骨に忠節を誓うよう命じたとか……。一歩すすめば狂人と呼ばれることになったでしょう。王子を狂わせるほどに愛されたこの女性を、ポルトガル国民は一種の畏怖いふと哀惜をもって、聖女とも妖婦とも後々まで呼びつづけることになるのでございます。
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