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一
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三日月幻話
夜、わたしはお姫様。
暗黒の帳をはりめぐらした世界にまたたく黄金の星々、そびえ立つ塔、煉瓦の屋根、大通りを行く馬車、街をつらぬき静かに流れる河、広告塔のそばで吠える犬、下水にうごめく鼠、路地にうずくまる酔っ払い、物乞い、娼婦。そんないつもの夜の風景を遠く眺めながら、わたしは黒い空を舞いつづけます。
そう。もうお気づきのとおり、これは、わたしの夢の世界。
夢の世界でわたしは黒絹のドレスをまとって、月の涙を連ねたような真珠のネックレスを首につけ、空を舞いつづけるのです。
霧をふくんだような夜風のなかを、飛んで、飛んで……、ああ、なんて気持ちいいんでしょう。
なにかとこうるさい教師や、気の合わないクラスメート、冷たい目でわたしを睨む祖母、わたしに無関心な継母もいません。苦手な数学のテストも、ラテン語の授業もない。
わたしは本当に自由なのです。わたしはどこまでも飛んで行く。もう二度と、あのつまらない世界へはもどりたくありません。戻ればまた、お小言やお説教、体罰、級友たちの性悪な陰口に悩まされる憂鬱な日々にとりこまれてしまうのですもの。
(フランシス、この成績は、いったいなんだね? 情けない、我がバラティエ家の恥だね。なんのために高い学費を払っておまえを名門寄宿学校に入れたと思っているんだい?)
(フランシス、お祖母様の言うことをよく聞いておくんだよ。父様は忙しいんだから)
(フランシス、夏休みは帰ってくるの? てっきりあなたはお祖母様の家へ行くと思っていたの。私はお父様とニースへ出かけるつもりなんだけれど……。あなただって大人ばかりの集まりより、お祖母様の所が良くない?)
(フランシス、あなた、もうちょっと練習してよ、あなたのせいでうちの寮が試合に負けてしまうじゃない)
(フランシス=バラティエ、何をぼうっとしているんですか? また授業中にぼんやり窓を見て。立っていなさい。今度やったら、鞭で打ちますよ)
ああ! 嫌、嫌、嫌! みんな消えてしまえばいい!
わたしの身体は一瞬、怒りに燃え、身もだえし、やがて夜の静けさと冷たさにつつまれ、甘ったるい夢に沈みこんでいくように快感の波にのまれていきます。
ここでは、わたしは本当に自由なのです。
もう誰にも叱られることも虐められることもなく、のんびりと、ゆったりと優しさにつつまれて過ごすのです。
もう、あんな所には帰らない。学校も寮も、実家も、お祖母様のお屋敷も、みんな遠くなります。二度と帰ることはないでしょう。
ああ、わたしは幸せです。
ふわふわと、わたしは夜の波間を漂っていました。
夜、わたしはお姫様。
暗黒の帳をはりめぐらした世界にまたたく黄金の星々、そびえ立つ塔、煉瓦の屋根、大通りを行く馬車、街をつらぬき静かに流れる河、広告塔のそばで吠える犬、下水にうごめく鼠、路地にうずくまる酔っ払い、物乞い、娼婦。そんないつもの夜の風景を遠く眺めながら、わたしは黒い空を舞いつづけます。
そう。もうお気づきのとおり、これは、わたしの夢の世界。
夢の世界でわたしは黒絹のドレスをまとって、月の涙を連ねたような真珠のネックレスを首につけ、空を舞いつづけるのです。
霧をふくんだような夜風のなかを、飛んで、飛んで……、ああ、なんて気持ちいいんでしょう。
なにかとこうるさい教師や、気の合わないクラスメート、冷たい目でわたしを睨む祖母、わたしに無関心な継母もいません。苦手な数学のテストも、ラテン語の授業もない。
わたしは本当に自由なのです。わたしはどこまでも飛んで行く。もう二度と、あのつまらない世界へはもどりたくありません。戻ればまた、お小言やお説教、体罰、級友たちの性悪な陰口に悩まされる憂鬱な日々にとりこまれてしまうのですもの。
(フランシス、この成績は、いったいなんだね? 情けない、我がバラティエ家の恥だね。なんのために高い学費を払っておまえを名門寄宿学校に入れたと思っているんだい?)
(フランシス、お祖母様の言うことをよく聞いておくんだよ。父様は忙しいんだから)
(フランシス、夏休みは帰ってくるの? てっきりあなたはお祖母様の家へ行くと思っていたの。私はお父様とニースへ出かけるつもりなんだけれど……。あなただって大人ばかりの集まりより、お祖母様の所が良くない?)
(フランシス、あなた、もうちょっと練習してよ、あなたのせいでうちの寮が試合に負けてしまうじゃない)
(フランシス=バラティエ、何をぼうっとしているんですか? また授業中にぼんやり窓を見て。立っていなさい。今度やったら、鞭で打ちますよ)
ああ! 嫌、嫌、嫌! みんな消えてしまえばいい!
わたしの身体は一瞬、怒りに燃え、身もだえし、やがて夜の静けさと冷たさにつつまれ、甘ったるい夢に沈みこんでいくように快感の波にのまれていきます。
ここでは、わたしは本当に自由なのです。
もう誰にも叱られることも虐められることもなく、のんびりと、ゆったりと優しさにつつまれて過ごすのです。
もう、あんな所には帰らない。学校も寮も、実家も、お祖母様のお屋敷も、みんな遠くなります。二度と帰ることはないでしょう。
ああ、わたしは幸せです。
ふわふわと、わたしは夜の波間を漂っていました。
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